· 

人的資本経営時代に給与を適切に調整するには(1)

人的資本経営時代に給与を適切に調整するには(1)

 

当コラムでは6月に「人材版伊藤レポート2.0を読んで」と題した記事の中で人的資本経営について考えてみました。そこで紹介したように、このレポートでは人的資本経営を実現する人材戦略には次に掲げる5つの要素が共通の要素として指摘されています。

 

『動的な人材ポートフォリオ』

『知・経験のダイバーシティ&インクルージョン』

『リスキル・学び直し』

『従業員エンゲージメント』

『時間や場所にとらわれない働き方』

 

多くの企業にとって、これらを実現することがまずは喫緊の課題であることは論を俟たないでしょう。ただ、これらの課題に取り組むことが、当面の人材マネジメント上の課題を解決することにつながるわけではありません。これらの課題に取り組みつつ、同時に、より現実的な課題に取り組み、テクニカルなアプローチも採り込みながら、個々の問題事象を解消していくこともまた、マネジメントとして疎かにしてはなりません。

現実的な課題の筆頭は、給与の問題です。たとえば、『動的な人材ポートフォリオ』の重要性は理解でき、実際に新たな人材ポートフォリオを実現すべく他社から人材を獲得したり、自社で思い切った人材登用に成功したとして、そうした人材に給与や賞与をいくら支払えばよいのでしょうか。

ちなみに、人材ポートフォリオとして認識するほどではない人材、いわば一般の社員についてはどのような給与体系でどの程度の金額を支払うのが妥当なのでしょうか。会社の事情で一方的に労働条件を下げるわけにもいかず、対応に困るかもしれません。

同様の問題は『知・経験のダイバーシティ&インクルージョン』でも起こります。女性はともかく、外国人となるとそもそも日本円で支払うべきでしょうか。この円安の時代に、円での支払いに同意してくれる海外在住の外国人がいるとは思えません。もしいたとしても、為替リスクを従業員に負わせるのがマネジメントとして適切なことなのでしょうか。

一方で、『知・経験のダイバーシティ&インクルージョン』が望ましい方向に進めば進むほど、特に経営幹部レベルにおける日本人男性の比率は低下することが予想されますから、経営幹部に登用できない日本人男性社員の処遇、特に転職・退職や出向・転籍などに伴う給与の取り扱いは、どのような点に留意すべきでしょうか。

『リスキル・学び直し』においてもお金の問題は付き纏います。新たに身につけるべきスキルや知識、特にDXを実装するのに必要なスキルや知識というのは、引く手数多の情況にあります。『リスキル・学び直し』にチャレンジして、求めるスキルや知識を身につけた人材が、そのまま自社に留まって活躍してくれるように労働条件に向上させていくことは誰も異論はないでしょう。

同時に考慮しなければならないことは、『リスキル・学び直し』に取り組まないとか、チャレンジしても結果が伴わない社員をどのように遇していくかということです。先行投資としての『リスキル・学び直し』ですから、結果が思うように出ないことを事前に想定して給与体系や報酬パッケージ全体を見直しておくことが肝要です。

『従業員エンゲージメント』は失敗すれば、業績の低下・低迷や想定しないレベルでの退職率など目に見える形で問題が明らかになるのは当然ですが、目に見えない形でも問題は悪化するものです。実際、『従業員エンゲージメント』が低下するほど、真面目に働いているように思われる従業員でも静かなる退職(Quiet Quitting)に走っているかもしれません。

いわゆる残業代稼ぎで、無駄に残業をするなど徒に長時間労働をしようとするよりも、言われた仕事を決められた時間の範囲できちんと処理して、それ以外のことには一切関わらないという静かなる退職の姿勢は、ある意味では労働者の鑑と称賛すべき行いであるかもしれません。特に、上司が帰らないと先に帰宅することが憚られ、残業をつけることができない雰囲気の中で職場に拘束されている時間が長くなる傾向にあるのであれば、目に見えない行動(静かなる退職)が無意味な長時間労働を是とする企業文化に反旗を翻しているようにも見えます。

つまり、『従業員エンゲージメント』は、人々が何のために働くのか、働くことの意味を改めて問うことから着手しなければならない課題ですし、働くことと(給与を含めて)働きに報いることとの関係を再構築しなければ解決しないテーマでもあります。マイクロソフト社が提唱する「従業員スライビング」(注1)をひとつの方向として課題が発展していく可能性もあります。

最後の課題である『時間や場所にとらわれない働き方』は、リモートワークにおける給与のありかたを問うものです。もちろん、この課題は、給与のことだけではなく、仕事の分担方法や進め方に始まり、コミュニケーションや業績評価のありかた、部下の指導や能力開発、人材の発掘や仕事へのチャレンジ、企業全体や組織がもつ不文律などの価値観など、組織や業務のすべてを見直さなければならないテーマとなっています。

 

このコラムでは、過去にも賃金や報奨についてコメントしてきました(注2)が、今回は改めて人的資本経営における給与や賃金について考えていきたいと思います。それとともに、人材不足や急なインフレなど、賃金水準を大幅に引き上げる方向にある外部環境の変化に適応していくには、どのように給与を見直していくべきか、水準面でも体系面でも検討を試みます。

 

(2)に続く

 

【注1

ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー 202292日『マイクロソフトの掲げる新指標「従業員スライビング」とは何か』を参照してください。

 

【注2

賃金や給与について直接扱ったものは、次の通りです。

同一労働同一賃金を巡って(1 - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

いつ入社するかが問題? - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

レンジマトリクス方式による賃金管理とは(1) - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

賃上げをすると格差が広がる? - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

IEとEC~賃金を考える観点 - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

賃上げはどのように行われるのか? - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

2%の賃上げで毎月の賃金は必ず2%増えるのか? - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

賃上げで皆がハッピーに? - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

 

  作成・編集:人事戦略チーム(2022927日)