買収効果が出るクロスボーダーM&Aの人事・組織手法

第1回「M&Aのテキストであり参考書」

  今回、ご紹介するのは、日本企業が海外企業に対して買収や合併(クロスボーダーM&A)を行う際に、現実に大きな問題となる、組織や人事の統合について、個々のケースで直面する課題やその解決へのアプローチとともに、その背景にある日本企業の抱える課題やグローバルにみた経営人事課題などにも言及している本です。

  

  買収効果が出るクロスボーダーM&Aの組織・人事手法

  ~コントロールと統合の進め方~

   (竹田年朗著、中央経済社より20164月発行)

  

本書の狙いは、「はじめに」でこう明示されています。

 

本書は少なくとも今後数年間、日本の企業社会におけるクロスボーダーM&Aのテキストブック(基本書)として通用することを目指すものである。(1ページ)

  

 実際、その通りで、実務的なテキストでありながら、考え方を整理する上でのガイドブックでもあります。

 そこで、基本的な問題意思を冒頭で次のように述べています。

 

 日本企業のクロスボーダーM&Aにおける芳しくない状態の典型は、買収後数年経過してもいまだに「コントロールが利かず」「統合も進まず」「これといった事業の成長もない」と表現できるのではないか。(序章1ページ)

 

 ここで提示されている問題意識を言い換えれば、日本企業が海外企業に対してM&Aを行っても、買い手(日本企業)の経営陣がなかなか買収先(海外企業)の経営者をコントロールできず、時間ばかりが過ぎ、M&Aの成果であるべき事業の成長がこれといって見られない、それが一般的によく見られる現象ではないか、ということでしょう。

  こうした問題意識のもと、買収先の経営者を適切にコントロールし、買い手と買収先を何らかの形で統合して、事業の成長を実現する上での課題として、以下の4つを提示し、それぞれに1章を充てて論じています。

 

課題1:経営者ガバナンスの確立(第1章)

   課題2:買収先の事業構造改革(第2章)

   課題3:買い手と買収先の経営統合・組織統合(第3章)

   課題4;事業ポートフォリオの組替・事業売却(第4章)

  

こうした内容は、たとえば、本社の経営企画や事業企画などの部門で海外企業とのM&Aに携わっている方にとって、実に有用なものと思われます。本書がM&Aを実務的に進める上でのテキストであり、経営人事や組織統合におけるガイドブックとなるでしょう。

 現に海外企業を買収しようとされているのであれば、この本を読むだけでなく、各ページに書かれているさまざまなノウハウや実務上のポイントを書き写しながら、予定されるデューデリジェンスやPMIの諸作業に向けて必要な準備をされるのに必携の一冊と言えそうです。

  

海外企業とのM&Aに直接は関わっていなくても、何らかの形でM&Aに関わっている方であれば、本書は何かあった時に(本来は何かある前に備えておく段階で)参照すべき参考書となるでしょう。買収する側の関係者にとって、クロスボーダーの要素を取り払ってみれば、ここで紹介されている課題やアプローチは、日本企業同士のM&Aでも同様に問題となることが多いことに気づかれるでしょう。

 その一例として、リーダーシップ融合ワークショップについての記述を見てみましょう。

 

(リーダーシップ融合ワークショップとは)買い手と買収先のトップリーダーが一堂に会し、彼我の生い立ち、根本の価値観、類似点と相違点、今後ともに目指すものとアプローチ、両者がうまくやっていくためのそれぞれの自己変革プランなどを話し合うワークショップ(である)。(第142ページ注13

     リーダーシップ融合の目的は、M&Aの所期の成果を速やかに、かつ最大限に実現す

  ることにある。企業文化を「企業文化」とひとことで叙述しているうちは、あまり議論

  が深まらないので、具体的に組織のどこで発生するどのような現象が問題なのか、統合

  の妨げとなる要因(Inhibitor)を特定しないといけない。

    なお、この議論を行うと明らかになるのは、当然のことながら、企業文化を単なる文化として論じることはできないということである。リーダーシップ融合の議論で欠くこ

  とができないのは、事業の文脈(Business Context)である。(中略)重要なことは、

  見ている事実が違っていること、同じ事実を見た時の論理的帰結が違うこと、同じ状況

  判断で採用する打ち手が違うこと、の相互確認である。(巻末付録273ページ)

 

 海外企業を対象としてM&Aをしようとすれば、事業環境の違いや企業社会の慣行や行動様式などの違いがあるということを、最初から前提として話を進めるはずですが、実は日本企業同士のM&Aこそ、いわゆる企業文化の違いが後々、問題となるケースが数多く見受けられます。したがって、こうしたリーダーシップ融合ワークショップの必要性や果たすべき機能については、より重視されるべきものかもしれません。

 リーダーシップ融合ワークショップは、ほんの一例ですが、本書には、こうした例やノウハウが次々に紹介されています。そして、それらを体系化したフレームワークもしっかり提示されています。特に「巻末付録:M&Aにおける組織・人事のプロセスマップ」はフレームワークとノウハウがいっしょに描かれており、この部分だけでも、本書が日本企業同士のM&Aに関わるビジネスリーダーにとって参考書と呼ぶに値すると言っても過言ではありません。

 

文章作成:QMS代表 井田修(201652日更新)

 

第2回「M&Aには直接関係のない人にとっても示唆に富む一冊」

  M&Aには一切関係がない、という一般のビジネスパーソンの方にとっても、この本のなかで紹介されている考え方や実践的な方法論は、ある局面において役に立つことがあるでしょう。

 特に、何らかの形でビジネスリーダーの立場にある方や、これからビジネスリーダーを志向される方にとって、M&Aそのものは直接関係することはないイベントであったとしても、ガバナンスとマネジメントの違いであるとか、経営者のありかたなどについては、しっかりと理解し実践することが求められるでしょう。

  

 クロスボーダーのM&Aで重要なのは、ガバナンスです。特に日本企業は、これまではガバナンス不在というしかないほど、経営者をコントロールする仕組みや能力がありませんでした。そのため、海外の企業を買収しようものなら、たちまちガバナンスの問題に直面してしまいます。

 マネジメントは、経営者が行うものです。株主(取締役会)から任された企業を経営することで、通常はCEOがその任にあたります。ガバナンスを一言でいえば、CEOをコントロールすることです。本書では、ガバナンスについて、ハードウエア、ソフトウエア、「重要な細部」という3点から、実践的なポイントを述べています。

 ハードウエアというのは、買収した現地CEOの権限・ルール・報告・モニタリングなどの仕組みであったり、会議体の設置やオペレーションの可視化(監査、検査、不正防止策など)であったりします。

  ソフトウエアというのは、本書で人事三権とよぶものです。すなわち、CEOの任免・評価・報酬について買収した側が決定することです。

  「重要な細部」というのは、ハードウエアとソフトウエアで扱う以外の事項で、買収した側が早急にレベルアップをすべきところが大であると考えるところです。一般には、品質・技術標準、ブランド、環境・安全衛生、コンプライアンス、キャッシュマネジメント、などが具体的な事項として挙げられています。これらのなかで、問題が発生したら買収側にも多大な損失が発生する恐れがあるなど、個別の重大な課題やリスクについてです。

  近年見られる、さまざまな企業の不祥事を思い起こしてみると、買収後にそうした不祥事が発覚したら、と考えると、「重要な細部」をガバナンスの観点からしっかりと把握しておくことが不可欠であると理解できるでしょう。

  

さて、海外企業のM&Aにおいて現地CEOの取り扱いは、最大の課題といえます。

  本書では、実力CEOを次のような4類型に分けて、その特徴や対応策を説明しています(138145ページ)。

  

創業経営者

   長期勤続プロパー(中興の祖)

   外部採用(業界の大物)

   外部採用(経営改革の専門家)

  

ちなみに、こうした類型は、クロスボーダーM&Aにしか適用できないものではありません。M&A一般においても、買収した企業の経営者をどのように取り扱うかは、極めて重要な課題です。また、M&Aから離れて、企業経営一般においても、特に事業承継や経営者(CEO)のサクセッションプランにおいて、経営者の特性や処遇は企業経営の基本に関わる課題です。

  このように、広くガバナンスに関わる課題が本書で随所に見られるのは、クロスボーダーのM&Aがガバナンスの問題に直面せざるを得ない状況に、必ず迫られるからに他ならないからでしょう。

 

 同様の問題状況は、ガバナンスに関わるものに限りません。たとえば、買収した海外企業の経営幹部となるべき従業員を新たに雇用しようとする際の面接において尋ねる項目について、次のように解説しています。

  

通常の面接の場合(中略)、異文化環境その他のダイバーシティが進んだ環境での勤務経験や問題解決経験を聞くことが考えられる。

    しかし、おそらくより重要なのは、大事な問題でも利害対立や意見の衝突(conflict

  が起きた場合に、本人がどのように対処したのかを理解することである。(中略)それ

  がどの規模の組織での話なのかは、ここでも重要である。通常、組織規模が違えば、課

  題の難度が全く異なるからである。(中略)

    その時の自分にとって難度の高い課題に取り組んで初めて、自己拡張の必要性に迫られる。この質問は、成長したいという思い、現実に成長するための着眼・アプローチの品

  質、目的への執着と問題解決の能力、そしてこれらの再現性を窺い知ろうとするもので

  ある。(191192ページ)

 

 ここで示されている面接項目は、もちろん、海外企業とのM&Aに際して行われるべきものですが、一般に中途採用で管理職や役員などを採用しようとする場合、それが日本国内での採用であろうと、海外での採用であろうと関係なく、きちんと問われることが要請されるものでしょう。

 経営幹部の採用に応募する側にいたとしたら、ここで挙げられているような事項について、当然、質問されるものと考えておくべきでしょう。もし、こうしたことを聞かれなかったとしたら、応募している相手の企業の経営能力(特に経営人材の調達能力)に大きな疑問符をつけざるを得ません。言い換えれば、経営人材をちゃんと採用するノウハウがあるとは思われない企業に、経営幹部として中途入社すると、自分の能力や経験を活かすことば難しいことを覚悟すべきでしょう。

 

 このように、本書で指摘されていることの多くは、クロスボーダーM&Aという状況においてより明確に直面せざるを得ない問題であるとしても、一般のビジネスにおいても、直面することがある問題ばかりと思われます。

  少なくとも、何らかの形で、ガバナンスやマネジメントに関わるビジネスリーダーにとっては、現実の仕事において示唆に富む内容をもった本であると言えるでしょう。

  

文章作成:QMS代表 井田修(201656日更新)

 

第3回「クロスボーダーM&Aなどのプロジェクトを進めるためのガイドブック」

  本書でテーマとしているクロスボーダーM&Aは、買い手側の企業にとっても、売り手側の企業にとっても、そして売買の対象となる海外企業にとっても、仕事の類型から言えば、ひとつのプロジェクトです。

  本書は、一般にプロジェクトとして進められる仕事のノウハウ集としても活用できるヒントが至るところにあります。本書で使われている「M&A」とか「組織統合」といった用語を“プロジェクト”と読み替えることで、そのまま使えるかもしれません。そのなかのいくつかを、ご紹介してみましょう。

  

Co-CEO体制など、両者を横並びにする案は、一見良さそうに見えるかもしれないが、最終的に誰の言うことを聞いていいのか分かりにくく(中略)、社外に対しても2人のCEOの関係について、長々とした説明が必要になる。

    そこでCEOの上のポジションで、かつ常勤であってマネジメントに関わることを示すために、例えばExecutive Chairmanというようなタイトルを考えてみる。Chairmanとは

  取締役会長だが、Executiveと明記されているので、マネジメントに口を出し、実務の一

  部も行うことがこれで分かる。(3435ページ)

 

 組織運営のノウハウの一端が、肩書(タイトル)の取り扱いです。どういう仕事をするにしても、それぞれの関係者の立場や事情があります。一方、組織編成上、果たすべき役割もあります。

  クロスボーダーM&Aでは特に買収先の経営層について、それらが複雑に絡まって問題となることがあります。そこで、肩書(タイトル)には、属人的な状況や組織上の位置づけを適確に表現し、同時に、本人がやる気になるようなネーミングであることが求められます。

  こうした問題は、クロスボーダーM&Aでもセンシティブな問題でしょうし、一般の仕事においても、誰にどういう立場で関わってもらうのか、それをどのように表現するのか、ちょっとした工夫で仕事の進み具合が大きく変わるでしょう。

  

 第一番に考えなければならないのは、組織統合は実に大変な作業で、その負荷が通常業務の負荷に上乗せされるため、統合がよほどうまくやれたとしても、業績、業務や組織に何か悪い影響があってもおかしくはない、ということである。(中略)組織統合のために経営者や管理職の目配り(Attention)は分散し、顧客回りや生産などのオペレーションで事故や事件が起きやすくなる。(76ページ)

  

 重要なプロジェクトであればあるほど、経営者や上級管理職の意識はそちらに傾いてしまいがちです。こういうときほど、日常業務もあることを忘れずに取り組まないと、手痛いトラブルに見舞われてしまいます。

 クロスボーダーM&Aでも通常のプロジェクトでも、よほどの大企業でない限り、実務を担う部隊(の一部)は兼務ということが多いと思われます。日常の仕事に加えて、表向きにはその存在自体が公表されていなかったりする上に時間や情報が限られているプロジェクトを担当するとなれば、日常業務のほうに問題が発生しないほうが不思議です。こうしたことを経営者や上級管理職がどこまでフォローするのか、といったことも結果を出すのに不可欠でしょう。

 

もうひとつは、いわゆる「事務局」を増強することである。事務局というのは、会社運営を円滑に行うために買い手と買収先の経営レベルでの情報連携、スケジューリング、会議設定などを行うところで、買収先には必ずそのような経営関連の諸事一式を捌く、高級庶務部隊があるものである。(中略)

    買い手が買収先の問題を大目に見られればよいのだが、いつも、そしていつまでもそうできるとは限らないので、買収先の経営企画やCFOオフィスの体制が買い手が暗黙に

  要求する水準に合致しているかが、想像以上に重要な問題となることもある。(6162

  ページ)

  

 プロジェクトを進める際に、ご意見番的なプロジェクト・メンバーばかりで、実作業がなかなか進まないことが、間々あります。そうした事態に陥らないように、事前に強力な事務局を設ける必要があります。特に仕事の進め方が大きく異なるような部門や職種を横断して進めるプロジェクトでは、事務局となるメンバーのレベルが揃っていなかったり、期待され要求されている水準についての齟齬が見られたりするのが普通と割り切って、事務処理を手際よく捌くことができるスタッフを必ず入れるのもノウハウのひとつです。

  クロスボーダーM&Aの例に倣って、事務局メンバーの意識づけやモティベーション向上のためにも、守秘義務契約(誓約)書を一筆取るとか、プロジェクト開始時に成功報酬を約束するなど、多少の演出が欲しいところです。もちろん、成功報酬とはいっても、金銭的に多額なものである必要はなく、プロジェクトの打ち上げに旅行とかイベントといったものを約束する程度でもよいでしょう。

  

 このあと数日間をかけて、主要なポリシー、プラン、データについて実務的な内容の確認を行う。具体的な調査対象は、前日のプレゼンテーションを踏まえて、先方の助言も聞いて選定する。(中略)

    もうひとつの調査の観点は、前日のプレゼンテーションや課題の討議の論拠を、現

  地・現物で確認することである。書類を見せてもらって説明を受けるのはもちろん、

  ミーティングルームから出て、買収先社内を歩くのもよい。(208209ページ)

  

 プロジェクトに限らず、日常の仕事であっても、社内外で調査を行うことがあるでしょう。また、社外関係者と共同で調査を行うこともあるでしょう。そうした時に、単にインターネットで調べるとか、関係者とミーティングをするだけでなく、実際に現地・現物を見て歩き、当事者から直接、話を聞くことも意識的に行うほうがよいでしょう。そして、顔を合わせてミーティングを行う前後に、ランチや夕食などをともにすることで、言葉やデータだけでは伝えきれないものを把握することも必要です。

  

M&Aで得た膨大な知見は、整理して初めて活用可能になる。(中略)

    知見は直接体験した人に未整理の状態で留まるので、本当に起こった事実を洗い出し、それを評価していく作業が必要になる。(中略)

   日本企業の場合、ローテーション人事があるので、キーパーソンの異動とともに知見が散逸するという声をよく聞く。(中略)

   書くことには時間を要するが、書けば整理は格段に進み、センス良くまとめれば書き物の分量も抑制できる。この整理作業に外部を使えば、社内では口にしにくい本音も収集できる。(218ページ)

  

 通常の仕事にせよ、プロジェクトにせよ、終わったらそれで終わりというわけではありません。その仕事を通じて得られた知見(仕事のノウハウといってもいいでしょう)を記録し、数をこなすなかで次第に体系化していくことで、組織全体のレベルアップを図ることができます。こうしたプロセスを踏むことで、担当した人自身も仕事を振り返ることができますし、他の人々に経験やノウハウをトランスファーすることができます。こうしたプロセスこそ、人材育成にも不可欠でしょう。

 

 以上、本書の特徴をご紹介してきましたが、最後にひとつ、著者にお願いしたいことがあります。

 それは、本書がクロスボーダーM&Aのテキストであることは間違いないのですが、そのテキストを肉付けして、よりリアルに理解できるように、事例研究とかケースストーリーのようなものがあったらいい、と思わずにはいられません。多分、参加者を限定したセミナーやワークショップなどでは、より具体的なケースが紹介されていることとは思います。

 守秘義務等の縛りがあるのは承知の上ですが、具体的なケースとして読むことができるようなものがあれば、本書で紹介されているアプローチや指摘されているポイントが、実際にどのように機能しているのか、さらに理解が深まるものと思われます。特に、これからクロスボーダーM&Aに直接、従事しようとしている関係者や、将来、こうした仕事に関わりたいと考えている方々にとって、本書とセットで有益なものとなるでしょう。

  

文章作成:QMS代表 井田修(2016510日更新)

 

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