ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(1

 

(1)事実を事実として認識するには

 

 COVID-19(新型コロナウィルス感染症)に代表される感染症の流行、地震・台風などの大規模な自然災害、戦争や虐殺、航空機の墜落などの大規模な事故など、重大な問題事象が発生するたびに、問題の原因究明が行われます。

しかし、多くの場合、真相が仮に明らかになったとしても、それへの対策を報告書上は提案されることはあっても、予算不足や既得権益との調整難航などにより、容易に実行されることはありません。事件や事故が起きた当初は原因究明よりも犯人捜しが行われることもありますが、犯人を論ったところで適切な予防策がとられるとは限りません。心理的には無理もないことかもしれませんが、それで本当に問題が解決し、二度と同様の問題事象が発生しないのでしょうか。

 実際は、同じようなことが時と場所を変えて幾度となく起きます。スリーマイルからチェルノブイリ、そしてフクシマと原発事故ひとつをとっても、そうです。

感染症についてみても、過去30年間で30種類も新たに発見されているそうです(注1)。AIDSにエボラ出血熱、ウェストナイル熱、高病原性鳥インフルエンザに豚インフル、SARSMERS、そして新型コロナと、その流行が問題となったものだけでもいくつもあります。また、一般のインフルエンザや結核や麻疹・風疹といった古くから存在する感染症もまた、大流行こそないものの、毎年のように一定規模で感染が見られます。

 こうした問題事象に直面したときにこそ、冷静に事態を見て、原因を見極めて対策を打ち出す必要がありますが、その前提となるのが、ファクト(事実)を知ること(ファインディング)です。

 著者がファクトファインディング(事実を認識すること)の重要性を本当に理解し実行するようになったのは、最初の転職をしたときでした。転職先企業の代表者で経営コンサルティングという仕事の大先輩でもあった方が、口癖のように「ファクトは何か?」「それはどういうファクトに基づいているのか?」「ファクトを見つける(ファインド)には何から着手すればいいのか?」とファクトファインディングを習慣化できるように、いつも若いコンサルタントたちに問いかけていた姿を思い出します。

 ファクトは、単に〇〇病が流行っているということではありません。いわゆる5W1H(いつ・どこで・何が・誰に・どのような経路で・何故に)にしたがって、感染の事実を明らかにしたものです。それがしっかりとデータとして把握できないと、原因究明も対策実行もやりようがありません。

とはいえ、正確にファクトを掴むとなると、時間的な制約やデータを集める要員やシステムの不備などもあって、100%望むものが入手できるとは限りません。むしろ、流行の萌芽期や爆発的な感染が始まった緊急時には確かな数字は集まらないのが通例です。数字の限界を知ったうえで、いま入手可能なデータを読み解くことで、ファクトを推定していくのです。

一方で平時には、ファクトよりも優先的に物事を見る際に適用されるのが、既に頭の中にあるフレームワークです。これは先入観と呼んでもいいかもしれません。きちんとした数字で物事を判断するよりも、習慣や先入観で判断してしまうのが人間です。

 

今回ご紹介するのは、スウェーデン人の医師で公衆衛生学(グローバルヘルス)の教授でもあったハンス・ロスリング(故人)およびその共同作業者でもある息子のオーラ・ロスリングとその妻アンナ・ロスリング・ロンランドが、TEDやダボス会議などでの数多くの講演を通じて得た知識や経験から、データをきちんと押さえて事実を確認することの重要性・必要性を説いた本です。

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~

(ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作、関美和訳、日経BP社より20191月発行)

 

以下に本書で採り上げられている10の「思い込み」を挙げておきます。これらに囚われてしまい、世界を事実でもって正しく認識できないと、解決すべき課題を取り違えてしまうことにもなりますし、問題を悪化させることにもなりかねません。

 

・分断本能

・ネガティブ本能

・直線本能

・恐怖本能

・過大視本能

・パターン本能

・宿命本能

・単純化本能

・犯人捜し本能

・焦り本能

 

大事なのは、事実を認識するには、何らかの数字が必要ということです。言い換えれば、統計学に裏打ちされた数字でもってこの世界を見ることを習慣化することです。そのための第一歩として、本書では13の質問(イントロダクションの913ページ)があります。いずれも3つの選択肢から正解を選ぶのですが、その正解率の低さに著者は愕然としたそうです。

選択肢が3種類あるということは、世界の人口や経済・社会問題や環境問題などに何の知識がなくても、正解率は33%程度になるはずですが、実際は1問(世界の平均気温の予測についての質問)を除く12問で、ほぼすべての国で33%を顕著に下回る結果となっています。

こうした正答率の低さが何に起因するのか、著者たちは知識のアップデートが不十分であると当初は考えて、より印象深いプレゼンテーションを心がけるようになったそうです。しかし、著者たちの努力も空しく、一向に正答率は向上しないことから、新たな仮説が浮かび上がります。それが、既にご紹介した10の「思い込み」です。

 

【注1

「平成16年版厚生労働白書」第1部第2章『現代生活に伴う健康問題への解決に向けて』は、前年のSARSの流行を受けて、感染症に関する言及が42ページから65ページまで続きます。

https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/04/dl/1-2.pdf#search=%27%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87+%E6%AD%B4%E5%8F%B2+%E5%B9%B4%E8%A1%A8%27

ここで述べられていることの基本は、いまでも変わらず効果的なものと思われます。

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020522日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(2

 

(2)分断=世界は富めるものと貧しいものに二分されている?

 

 本書で最初に指摘される思い込みが「分断本能」です。これは、金持ちと貧しい者の2種類にこの世のものは分かれている、という思い込みで、それは国家間の認識(先進国と発展途上国)でもあれば、個人間の認識(金持ち、セレブ、上級国民など呼称はさまざまだが、リッチな人々と貧困に喘ぐ人々とに二分されているという思い込み)でもあります。

この思い込みに囚われていると、現実に多くいる存在に注意が向かず、両極端ばかりに目が行ってしまいます。それでは、正しい現実認識ができませんし、解決すべき課題もその解決策も、適切なものを選択できません。

 

大半の人は低所得でも高所得でもなく、中所得の国に暮らしている。世界が分断されていると考える人には想像できないだろうが、これは事実だ。(中略)そこ(引用者注、中所得の国)には、人類の75%が暮らしている。

中所得の国と高所得の国を合わせると、人類の91%になる。そのほとんどはグローバル市場に取り込まれ、徐々に満足のいく暮らしができるようになっている。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」4243ページより)

 

国家間の貧富の格差と同様に、同じ国内にける格差についても同様の思い込みがあると、本書は指摘します。

 

世界で最も格差が大きい国のひとつであるブラジルを例にとってみよう。ブラジルでは、最も裕福な10%の人たちが、国全体の所得の41%を懐に入れている。ひどいと思わないか?いくらなんでも不公平すぎる。(中略)

たしかに41%は不公平なほど高い。とはいえ、41%という数字は数十年で最も低い数字なのだ。(中略)

ブラジル国民の大半は極度の貧困(引用者注、1日あたりの所得が2ドル未満の所得階層=本書ではレベル1=というカテゴリーに属する人々)を抜け出している。いちばん人数が多いのはレベル3(引用者注、1日あたりの所得が8ドル以上32ドル未満の所得階層)だ。バイクや眼鏡を買い、貯金をすれば子供を高校に行かせたり、洗濯機を買うことができる世帯だ。世界的に見ても格差が大きい国でさえ、分断は見当たらない。ほとんどの人は真ん中にいる。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」5556ページより)

 

きちんと数字で物事を見ると、単なる平均値や両極端な存在だけではなく、分布が理解できるようになります。また、ある一時点の数字だけでなく、時系列での変化を見ることも、物事がよくなっているのか悪くなっているのかを判断する上で不可欠です。引用したブラジルの所得分布についての記述は、まさに分布や経年変化の重要性を物語っています。

 

11ドルの極度の貧困にいる人たちは、116ドルどころか、14ドルも稼げるようになれば、どれだけ良い暮らしができるかを知っている。靴すら履けない人たちは、自転車があればどれだけ良い暮らしができるかを知っている。(中略)

ドラマチックすぎる「分断された」世界の見方の代わりに、4つのレベルで考える。これこそが、この本で伝授する「事実に基づいた思考法」のひとつめにして最も大事なポイントだ。(中略)

ファクトフルネスとは……話のなかの「分断」を示す言葉に気づくこと。それが、重なり合わない2つのグループを連想させることに気づくこと。多くの場合、実際には分断はなく、誰もいないと思われていた中間部分に大半の人がいる。

分断本能を抑えるには、大半の人がどこにいるか探すこと。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」5859ページより)

 

確かに所得格差は今も現に存在します。

ただ、その格差の分布の両極だけに着目するのではなく、最も多く存在する中間層にもっと目を向けることが必要です。敵と味方、金持ちと貧乏人、支配者と抑圧される人民、といった、この世界は分断されているという思い込みを抜け出す第一歩となります。

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020525日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(3

 

(3)ネガティブ=交通事故で今も数多くの人々が亡くなっている?

 

 本書で2番目に指摘される思い込みが「ネガティブ本能」です。

 

人は誰しも、物事のポジティブな面より、ネガティブな面に注目しやすい。これはネガティブ本能のなせるわざだ。そしてネガティブ本能もまた、世界についての「とんでもない勘違い」が生まれる原因になっている。

その勘違いとは、「世界はどんどん悪くなっている」というものだ。これほどよく聞く意見はほかに見当たらない。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」63ページより)

 

著者たちがさまざまな国で行ってきたアンケート調査(同書65ページのグラフを参照)によれば、「世界はどんどん悪くなっている」と回答する人は、すべての国や地域で少なくとも過半を占めています。

しかし、世界から悪いことが減り続けていると同時に良いことは増え続けていること(同書7881ページのグラフを参照)もまた事実です。

減り続けている悪いことのなかには、天然痘のように完全に姿を消したものもありますし、大気汚染(一人当たりの二酸化硫黄排出量)や飢餓(低栄養状態にある人の割合)のように過去50年間で着実に低下しつつあるものもあれば、石油流出事故や戦争や紛争による犠牲者数(人口10万人当たり)のように激しい上下動はあるもののトレンドとしては低下傾向にあるものもあります。

増え続けている良いもののなかには、識字率や女性参政権のように超長期的に上昇しているものもあれば、予防接種の普及率や農作物の収穫量(1ヘクタール当たりの穀物生産量)のように過去4050年の間に着実に向上しているものもあります。

では、なぜ、「世界はどんどん悪くなっている」と人は思ってしまうのでしょうか。

 

人々が「世界はどんどん悪くなっている」という思い込みからなかなか抜け出せないでいる原因は「ネガティブ本能」にある。ネガティブ本能とは、物事のポジティブな面よりもネガティブな面に気づきやすいという本能だ。

ネガティブ本能を刺激する要因は3つある。(1)あやふやな過去の記憶、(2)ジャーナリストや活動家による偏った報道、(3)状況がまだまだ悪い時に、「以前に比べたら良くなっている」と言いづらい空気だ。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」83ページより)

 

たとえば、交通事故による死者について考えてみましょう。

高齢ドライバーによる運転操作のミス、アルコールや薬物摂取による運転ミス、轢き逃げ事件など、悲惨な交通事故死の事例は相変わらず後を絶ちません。誰でもそうした事件の具体例をいくつも挙げることができるでしょう。

それでは、データを見てみましょう。

1947年から2017年までの交通事故に関する統計(注2)によると、人口10万人あたりの交通事故による死者の数は、1970年の16人強をピークとし、特に1990年代半ば以降一貫して減少を続けており、直近では3人を下回るまでになっています。交通事故による死者数という点では、日本社会は1970年に比べて約5.6倍安全になったと言えるのです。

しかし、私たちのもっている印象では、子供や家族が巻き込まれる悲惨な交通事故や轢き逃げされたまま犯人が捕まらない事件が毎年、繰り返されているのではないでしょうか。むしろ状況は悪化していると思っている人もいるかもしれません。

これが、本書で言うところのネガティブ本能です。

このネガティブ本能を抑えるには、本書によると次の5点に留意すべきです。

 

・「悪い」と「良くなっている」は両立する

・良い出来事はニュースになりにくい

・ゆっくりとした進歩はニュースになりにくい

・悪いニュースが増えても、悪い出来事が増えたとは限らない

・美化された過去に気をつけよう

(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」9495ページより)

 

交通事故による死者の数は、まさに「悪い」と「良くなっている」が両立した状態を示しています。個々の事件はまさに「悪い」ニュースであり当事者にとって悲劇以外の何物でもありません。一方、日本全体で交通事故の発生件数そのものが2004年をピークに2017年は半分以下に急激に減少しています。特に死者が出る重大な交通事故ということで見てみると、更に着実に死者数は減少しており、まさに状況は「良くなっている」のです。

もちろん、今も日本全体で毎年3000人以上の人が交通事故で亡くなっている事実がある以上、「悪い」ことが厳然と起こっていることは否定できませんが、それでも16,000人を超える人が亡くなっていた頃よりは「良くなっている」ことは間違いありません。シートベルトの着用など、その間に打ち出してきたさまざまな対策が相応の効果を上げてきたこともまた、間違いのない事実です。

ちなみにニュースとして報じられるのは、基本的に交通事故が起こり誰かが亡くなったということが圧倒的に多いのです。年に1回程度は、今年の交通事故統計は〇〇でしたと報じられることと思われますが、個々の事件を報じる際のセンセーションをもって、公式に発表された統計データを報じることはまずないでしょう。当然のことながら、個々の交通事故のほうが強く印象に残り、長く記憶されることになります。

そうした交通事故のニュースに接すると、なかには、昔は今ほど交通事故で亡くなる人が多くはなかったのではないかと思う人もいるでしょう。実際、年齢が高い人は交通事故で亡くならなかったから、現に今、生存しているわけで、今よりも交通事故による死者が少なかったと過去を美化してしまうおそれがあります。また、年齢が低い人は、そもそも交通事故による死者数が多かった時代を知らないわけですから、昔がどうであったかわかりません。

交通事故による死者数ということひとつをとっても、きちんとデータで物事を見ることの重要性は理解できるでしょう。

 

ファクトフルネスとは……ネガティブなニュースに気づくこと。そして、ネガティブなニュースのほうが、圧倒的に耳に入りやすいと覚えておくこと。物事が良くなったとしてもそのことについて知る機会は少ない。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」94ページより)

 

【注2

ここでは、以下のサイトにある交通事故に関するコラムより数字を引用しています。

https://jafmate.jp/blog/news/180115.html

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020527日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(4

 

(4)変化はどこまでも直線的=年功賃金は一生上がるもの?

 

COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の患者数にせよ、世界の人口にせよ、横軸に時間を採り、縦軸に数量を採って動向を見てみようとすると、傾きはいろいろあっても、多くのものは直線的に増える(または減る)ように思われます。これが、本書で第3の思い込み(本能)とされる直線本能です。

 

ファクトフルネスとは……「グラフは、まっすぐになるだろう」という思い込みに気づくこと。実際には、直線のグラフのほうがめずらしいことを覚えておくこと。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」127ページより)

 

もちろん、直線的に増える傾向にあるものもあります。所得階層との関係でいえば、平均寿命、学校教育の平均年数、女性の平均初婚年齢、所得に占める趣味への支出の割合といったものが、その代表例として本書でも紹介されています。

しかし、グラフはいつも直線を描くとは限りません。S字カーブを描くものもあれば、滑り台のように上下に平らなところがあって途中が低下(上昇)する形状のものもあります。なかには、コブのようにある一部分だけが目立って突出した(増大してから減少する)形を示すものもあれば、倍増(指数関数的に上昇)していくものもあります。ときには、直線・倍増・直線と変化して、全体はS字カーブになるものもあります。

 

数字がまっすぐ上昇しているように見えても、そのグラフは直線なのか、S字カーブなのか、コブの形をしているのか、倍増のグラフなのかわからない。(中略)2つの点を線で結ぼうとすると、必ず直線になる。しかし、点が3つ以上あれば、「123」と増える直線なのか、「124」と増える倍増なのかを知ることができる。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」126ページより)

 

本書で紹介されている事例としては、所得階層との関係でS字カーブを描くものとして、識字率・予防接種の普及率・冷蔵庫の普及率が挙げられています。滑り台のような形状のものでは、女性1人あたりの子供の数(出生率)があります。コブのようにある一部分だけが目立って突出した形を示すものとしては、子供の虫歯率・子供の溺死率(死因に占める溺死の割合)・交通事故による死亡率(すべての死因に占める交通事故死者の占める割合)があります。

倍増(指数関数的に上昇)していくものには、旅行距離・交通費への支出割合・CO2排出量が代表的なものです。これらは、言い換えれば、所得に対して直線的に増加するというよりも、所得が2倍・4倍・16倍・32倍と増えるにしたがって階段を上がるように生活水準が上がることを意味します。

ちなみに、世界の人口動態(2100年までの予測を含む)については、滑り台のような形状で、一定のところ(百億人程度)で人口の増加がストップすると見込まれており、直線的にどこまでも人口が増大する心配はありません。

また、ウィルスや細菌も指数関数的に倍々で増えていきますが、あくまでも研究室での実験や培養か、人体における感染初期の増殖モデルであって、環境条件の変動および抗原抗体反応や適切な薬剤の使用などにより、いずれかのタイミングで減少していくものです。

 

この直線本能の一例として年齢別の賃金額のグラフを考えてみましょう。

年功的な賃金というと、多くの人は年齢の上昇とともに賃金が一定のペースで上がり続けるグラフを頭に思い浮かべるのではないでしょうか。年功的な賃金=年齢に比例して一次関数で賃金が上がっていくものだけではありません。そうした実例もないわけではありませんが、実際にはさまざまなものがあります。

たとえば、年齢に関係なく毎年の昇給率だけも決めて賃金管理を行っている会社では、賃金カーブは直線ではなく、倍増(指数関数的に上昇)していくカーブに近いものになります。数%とはいえ、毎年、前年の賃金に掛け算をして新しい賃金額を決めるので、必然的に一定額が昇給するのではなく、年齢が高くもともとの賃金額が高い人ほど昇給額が高くなる傾向をもちます。故に、この場合の賃金カーブは直線にはなりえず、わずかとはいえ指数関数的な傾向をもちます。

一方、年齢ごとの昇給額を決めて賃金管理を行っている会社では、賃金カーブは直線に限りなく近くなります。直線の傾きが年齢ごとの昇給額(の平均値)なので、年齢ごとの昇給額に極端な格差がない限り、たとえば、ある年齢では昇給ゼロとかマイナス昇給を行うとか、いきなり2倍や3倍に昇給する年齢があるとかいう場合でなければ、賃金カーブは直線的といえます。

30歳で主任、40歳で課長、50歳で部長といういうに、全員一律に昇進させ、昇進に伴って極めて大きな昇給がある(役職手当が多額に付与されるなど)のであれば、年功的な賃金といっても階段状のグラフとなります。本書の表現では滑り台のようなグラフです。

高年齢の社員について再雇用制度をもっているような場合、一度、定年退職として扱い、再度、雇用契約を結ぶことがあります。こうした際には、毎月の賃金額は再雇用前よりも下がることがあります。この場合、全体の賃金カーブは一度落ちるところが出てくるため、グラフではコブ(崖状のもの)が表現されます。

現実には、同じ年齢であっても、職責や権限も違えば、そもそも雇用契約の種類が違う(いわゆる正社員もいれば非正規社員もいるし、派遣社員や業務委託者などもいる)ので、支払われる賃金や報酬の額も大きく異なります。

以上述べたように、賃金カーブひとつをとっても、年功的な処遇を行っている会社だからといって年齢に応じて直線的に賃金が上昇するわけではありません。労働生産性や業務スキルの向上などを考慮すれば、せいぜい40歳程度までしか年功的な賃金体系を維持できないでしょう。それ以降は若い時以上に、能力においてもモチベーションにおいてもキャリアへの考え方においても、個人による違いが大きいので賃金カーブを一律に設定することは不可能です。

つまり、年功的な賃金だからといっても必ずしも直線的に年齢とともに賃金が上がるグラフが想定できるわけではありません。個々の会社の人事・処遇方針や社員個々の事情などに応じて、賃金カーブも多種多様に展開していることを認識しておきたいものです。

 

文章作成:QMS代表 井田修(202068日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(5

 

(5)本当に恐れるべきものは?

 

COVID-19(新型コロナウィルス感染症)のように、流行初期に著名人がなくなるなど、大きなニュースとして取り扱われる事象が発生すると、一種のパニックに陥り、慌ててマスクやトイレットペーパーを買いに走るのが人間です。そして、そのことすらすぐに忘れてしまうのも人間ですが。

病気の正体が目に見えず、感染防止策がはっきりとせず、有効な治療法がないともなると、デマかなと心のどこかで気づいてはいても、万一であっても自分が感染して人工呼吸器につながれたり、最悪の場合、死ぬかもしれないという恐怖心に打ち勝つことは容易ではありません。

これが、本書で第4の思い込み(本能)とされる恐怖本能です。

 

ファクトフルネスとは……「恐ろしいものには、自然と目がいってしまう」ことに気づくこと。恐怖と危険は違うことに気づくこと。人は誰しも「身体的な危害」「拘束」「毒」を恐れているが、それがリスクの過大評価につながっている。(中略)

●リスクは、「危険度」と「頻度」、言い換えると「質」と「量」の掛け算で決まる。リスク=危険度×頻度だ。ということはつまり、「恐ろしさ」はリスクとは関係ない。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」159ページより)

 

たとえば、自然災害で亡くなる人の数は、この100年間にどのように推移してきたのでしょうか。

時には大地震が起こり、火山噴火や竜巻の発生も珍しくはなくありません。近年は異常気象という表現を使うまでもなく、50年や100年に一度の大雨が降って、毎年必ずと言ってよいほど土砂崩れや急流に流されて亡くなる人がいます。さらに、熱中症で救急搬送される人の数は増加する一途を辿っています。

日本のような先進国ですらこのありさまなのですから、世界全体ではどれほどの人が自然災害の犠牲になっているのか、と思わずにはいられません。

 

正しい答え(引用者注、3つの選択肢のうち「半分以下になった」という選択肢)を選んだのは、たったの10%。正解率が最も高かったファンランドとノルウェーですら、正しい答えを選んだのは16%だった。(中略)

自然災害による死亡者数は100年前に比べて半分どころか、25%になった。一方、人口は同じ期間に50憶人増えている。ひとりあたりに換算すると、災害による死亡率は激減し、100年前の6%になった。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」138ページより)

 

そうなのです。実際には、自然災害で犠牲となった人の絶対数が減少しているのです。まして、自然災害に巻き込まれて亡くなる確率となると、激減と言わざるを得ません。

同様に、もしその事象が起って自分が巻き込まれたとすると、恐ろしい目に遭う(最悪の場合は死ぬことになる)例として本書で紹介されているのは、自然災害のほかに、航空機事故、戦争や紛争、核物質・核兵器・放射線被曝、危険な化学物質、テロといったものです。

いずれも、もし起きれば、身体的な危害や多大な苦痛が生じることが十分に予想できます。いつ起こるかわからない、誰が巻き込まれるのかもわからない、目に見えないもの(放射能や有毒物質や細菌・ウィルスなど)では防ぎようがない、といった共通点があります。

つまり、原因や手段が目に見えない、起きることの予測が困難、自分がターゲットであるかどうか不明といったところに恐怖が存在します。しかし、恐怖があるからといって、そのリスクを適切に評価し対応を取ることとは別次元の問題です。その点を冷静に落ち着いて判断することがファクトフルネスなのです。

(3)でネガティブ本能について紹介しましたが、そこで具体例として引き合いに出した交通事故についても、恐怖本能が生じやすいでしょう。飲酒運転・高齢ドライバーによる逆走や運転操作ミス・轢き逃げなど、ひとたび事故が起きれば、死者が出ることも稀ではなく、加害者も被害者も悲惨な情況に陥ります。

しかし、交通事故の件数も発生確率も低下しているのが事実です。本書の式に当てはめてみると、交通事故が起きた場合の危険度は今も昔も同程度でしょう。注目すべきは頻度です。これは、明らかに下がっています。道路1キロ1年あたりもしくは自動車11年あたりまたはドライバー11年あたりの事故率、すなわち事故が起きる頻度が低下しているのです。なにしろ、道路の総延長も、自動車の総台数も、運転免許保有者の人数も、長期的に見て増加こそしても減少はしていないでしょう。

交通事故にせよ、自然災害やテロにせよ、それに巻き込まれれば、犠牲が出るのは事実です。しかし、そうしたことが起きる確率(頻度)を的確に理解しておかないと、もっと高い確率(頻度)で起きること、たとえば生活習慣病に罹患して亡くなること、そうしたリスクへの備えができていないが故に、本当に生活習慣病で亡くなってしまうかもしれません。

真に恐れるべきは、日常化された悪習や悪癖であって、極めて稀に起こる事件や事故ではありません。

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020622日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(6

 

(6)目の前の数字がすべてではない

 

目の前に何か新しいもの、特に未知の病気や突発的に発生した事故があると、人はそのことにのみ目を奪われる傾向があります。なかでも、子供の死や貧困に喘ぐ人々の存在に直面すると、ふだんはいかに冷静な人であっても、その全体像に注意が及ばず、目の前の1人を助けようとしがちです。

これが、本書で第5の思い込み(本能)とされる過大視本能です。

 

ファクトフルネスとは……ただひとつの数字が、とても重要であるかのように勘違いしてしまうことに気づくこと。ほかの数字と比較したり、割り算をしたりすることによって、同じ数字からまったく違う意味を見いだせる。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」185ページより)

 

本書では、過大視本能の例として豚インフルエンザのケースが紹介されています。

 

1918年に、スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザにより、世界人口の2.7%が亡くなった。(中略)

2009年には、豚インフルエンザが流行した。その年の最初の数カ月だけで、何千人もの人が亡くなった。どのメディアも2週間にわたって、豚インフルエンザを報じ続けた。しかし、2014年のエボラ出血熱と違い、豚インフルエンザの感染者は倍増しなかった。それどころか、感染者のグラフは直線にすらならなかった。(中略)

同じ2週間のあいだに、結核で亡くなった人も計算した。結果は約63,066人。(中略)結核の死亡者ひとりに対して、ニュース記事はその10分の1しか書かれていない。つまり、豚インフルエンザによる死は、同じくらい悲惨な結核による死に比べて82,000倍もの注目を浴びていた。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」174175ページより)

 

いわゆる世間の注目を集めるニュースの陰に、ニュースとして扱われることは少なくてもより意味のある数字が存在するとしたら、その数字に着目して政策を実行すべきではないでしょうか。特にその数字がひとつしかないとか、そもそも数字で表現されていないという場合には、過大視本能に陥っていないか、改めて注意してみる必要があります。

例えが適切ではないかもしれませんが、子供が両親に虐待されて亡くなったという事件が報じられたとします。通常は、虐待した両親や周囲の人間関係また日頃の虐待の模様などが詳しく報じられるでしょう。いわゆる識者とか専門家と呼ばれる人たちが、事件の背景や虐待件数の動向などを論じることもあるでしょう。

さて、事件が起きた地域では毎月10件は虐待を疑われる通報が児童相談所に寄せられていたとします。1ヶ月に10件しかないのに、なぜ、虐待死に至るまで放っておいたのか、児童相談所や関連する公的機関や周囲の大人たちは何もせずに見て見ぬふりをしていたのか、と憤慨する人も出てくるかもしれません。

そうした時にこそ、数字の意味を問う必要があります。10件がそもそも多いのか少ないのか、増加しているのか減少しているのか、季節や年度による変動があるのかないのか、そのうちの特定のケースで虐待死につながってしまったとして、それは例外的なことなのか、どこでも起こりうるものなのか……このように10件という数字にまつわる明らかにすべき疑問は次々と出てきます。さらに、こうした疑問は、地域の子供を持つ家庭の数や児童相談所の体制などによって変わっても、その意味や重要性が変わってくるであろうことは想像がつきます。

こうした場合に数字を扱う要点を、本書では次のようにまとめています。

 

ひとつしかない数字をニュースで見かけたときは、必ずこう問いかけてほしい。

●この数字は、どの数字と比べるべきか

●この数字は、1年前や10年前と比べてどうなっているのか

●この数字は、似たような国や地域のものと比べたらどうなるのか

●この数字は、どの数字で割るべきか

●この数字は、合計するとどうなるのか

●この数字は、ひとりあたりだとどうなるのか

(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」184ページより)

 

仮に、虐待の原因がいくつもあって、それぞれの原因別に個別の対策が求められるとすると、発生件数が多い以上に対策が追い付かない虞があります。そうした時のテクニックとして、本書では8020ルールを提唱しています。

 

全体像をつかむために、ここでは8020ルールを使ってみよう。「石油・石炭・ガスだけで、世界の8割以上のエネルギーを生んでいるのではないか」と考えてみる。実際に計算してみると、答えは87%になる。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」175ページより)

 

マネジメントの手法をご存じの方であれば、このルールはABC分析を簡略に行っているものであることに気づくでしょう。たくさんの商品を扱っているとしても、売上高の上位20品目で売上全体の80%を占めているといった経験則です。実際にはもっと少ない品目数で全体の80%以上を占めるケースも多々あります。

売上分析だけでなく、コストダウンをする際にも同様のアプローチが可能です。たとえば、販管費を30%カットしようとするのであれば、金額の多い順に費用項目を並べてみます。そうすると、人件費や不動産賃貸料など上位35費目程度で、5070%を占めるかもしれません。そうであれば、全体を一律に30%カットしようとするよりも、もし60%を占めるのが上位4項目であるならば、その上位4項目について半減させるための方策を捻り出すことができれば、それだけで販管費全体を30%削減することになります。

児童虐待の原因についても、発生件数別に多いほうから並べてみれば、同様の傾向が見られるかもしれません。すべてに対応するのではなく、重点を絞って、数の多いもの、すなわち対策を取ればより多くの結果が出るはずのものから対策に着手することが、現実を改善していくのに効果的なのです。その結果として、児童相談所のスタッフという限りある人的資源をより重点的に投入すべきところに投入することができますし、コストパフォーマンスの向上を実現することも可能となります。

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020624日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(7

 

(7)先入観やラベリングは有効であるがゆえに暴走しがち

 

性別、人種、宗教、地域(出身地、在住地など)、学歴、趣味・嗜好、職種、所属部署、役職などなど、人は何らかの徴でもってその人やその人が属する集団を「こういうものだ」と決めてかかるところがあります。それがまた、ぴったりと当て嵌まる事象に出くわすことも多いように思われます。

男なら〇〇しろ、女のくせに××するなんて、というのが性別によるパターン化の例です。人種や宗教によって人を差別する事例は、ここで敢えて挙げる必要もないでしょう。

地域は、〇〇県人とか関西人といった区分で人に固定的なイメージをつけるものです。同じ東京でも、下町と山の手といった区分で違いを際立たせようとするものもあります。

学歴は、日本の場合、出身校名の違いとか理系・文系・運動系・芸術系といった区分がよく出てきます。趣味・嗜好の代表例は、プロ野球ファンとはあまり言わずに、阪神ファンとか巨人ファンといった贔屓のチームによるファンの気質や外見・行動のイメージについてのステレオタイプでしょう。

同じ会社のなかでも、営業は〇〇、技術は××、管理は△△、といった違いもあります。実際、見た目の第一印象で職種がわかるほど、職種間の異動がなく、あるパターンの人材を継続的に採用し続けている会社もあります。また、課長らしさや部長らしさを強調する組織もあります。「営業は足で稼ぐ」という表現も、職種による思い込みの一例でしょう。

これらが、本書で第6の思い込み(本能)とされるパターン化本能です。

パターン化本能の怖いところは、実例がひとつかふたつであっても、その言説が対象の集団に属するすべての人に当て嵌まっているかのように、反論を許さないテーゼとして機能するところです。言い換えれば、仮に若干の実例があったにせよ、単なるラベリングで人の言動や物事を決めつけ、その先の分析や考察を拒否してしまい、当該グループを一つの色で見てしまうことに気がつかないのです。

 

人間はいつも、何も考えずに物事をパターン化し、それをすべてに当てはめてしまうものだ。しかも無意識にやってしまう。偏見があるかどうかや、意識が高いかどうかは関係ない。(中略)

生活に役に立つはずのパターン化もまた、わたしたちの世界の見方を歪めてしまうことがある。実際にはまったく異なる物や、人や、国を、間違ってひとつのグループに入れてしまうのだ。そして、同じグループの物や人はすべて似通っていると思い込んでしまう。しかも、なによりも残念なことに、ほんの少数の例や、ひとつだけの例外的な事柄に基づいてグループ全体の特徴を勝手に決め込んでしまう。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」190ページより)

 

 いま正に問題となっているBLM(Black Lives Matter)運動を引き起こした黒人(アフリカ系アメリカ人)への扱いも、ここに引用したとおりのパターン化本能によるものと考えられます。さらに状況を悪化させるのは、パターン化本能の結果(それを“偏見”と呼ぶことも可能)を助長し強化する方向に誘導する言動をとることで、自己の利益を追求しようとする人間が少なくないことです。既存のパターンが強固であるほど、それによって生じる既得権益もまた多大なものです。

 だからこそ、パターン化本能に陥らないように、絶えず注意することが求められます。特定のグループについてパターン化本能に従って人々を分断に導くような言動(中世以降のヨーロッパにおけるユダヤ人への対応、明治以降の日本における朝鮮・韓国系やアイヌ民族の人々に対する扱い、現代アメリカ社会における黒人の処遇、イスラム教徒をテロリストと同一視すること、いつの時代のどのような国家においても見られる移民に対する態度など)は、立ち止まってそのパターン化が真にデータに裏付けられたものであるかどうか、検証してみることが必要です。

 

ファクトフルネスとは……ひとつの集団のパターンを根拠に物事が説明されているとしたら、それに気づくこと。パターン化は間違いを生み出しやすいことを肝に銘じること。パターン化を止めることはできないし、止めようとすべきでもない。間違ったパターン化をしないように努めよう。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」213ページより)

 

パターン化本能そのものは、時には効率的に他人を判断する力にもなるため、すべてが悪いものとして拒絶するわけにはいきません。対処すべきは、その限界を知って暴走を抑えることです。そのためには、次のような観点から集団に関する分類そのものを疑ってみることを本書は勧めています。

 

●同じ集団の中にある違いを探そう

●違う集団のあいだの共通項を探そう

●違う集団のあいだの違いも探そう

●「過半数」に気をつけよう

●強烈なイメージに注意しよう

●自分以外はアホだと決めつけないようにしよう

(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」213214ページより)

 

まず、集団の規模が大きいほど、大雑把な分類であり、その言説に該当しない人々が数多く存在するのが普通です。同じ集団とはいえ、その集団の特性と思われるものに該当しない人々もいれば、違う集団にその集団の特性と思われるものが見つかることも往々にしてあります。そうであるならば、その集団を特性づけると判断された特性は、実はより広い社会で普遍的に見られるものかもしれません。

宗教にせよ、人種にせよ、政治体制にせよ、文化的歴史的背景にせよ、さまざまな要因が生活様式を決定づけるように思われますが、最も大きな影響力をもつ要因は所得水準です。そのことを本書では“ドル・ストリート”という生活実態の写真集で明らかにしています。このように現場の実態を客観的に見るということは、パターン化本能に依存しがちな見方や先入観を見直す契機となります。

また、“過半数”のように、ざっくりとした区分にも注意が必要です。過半数というのは5149でも正しい表現ですし、991でも間違ってはいません。しかし、5149991では、僅差と圧倒的という表現以上の差がついていると見るのが普通でしょう。同じ過半数であっても、容易に逆転しうるものもあれば、そうそう変動しそうもないものもあるのです。

仮に、テロリストの過半数がイスラム教徒であったとしても、残りはキリスト教徒かもしれませんし、仏教徒かもしれませんし、無神論者かもしれません。しかし、形成されるイメージはテロリストの大多数、下手をすれば全員がイスラム教徒とラベリングしがちです。実際は、過半数が10人で、残りの9人がキリスト教徒であったならば、テロリスト=イスラム教徒、という定式化が間違っていると言えます。

テロや中毒などが起きれば、人々に強烈な印象を残します。自然災害や航空機の墜落事故などもそうでしょう。しかし、だからといって、その当事者が属する集団すべてに問題があり、危険視されるべき存在であるとは限りません。むしろ、そうでないことのほうが多いでしょう。

ある事件を起こしたテロリストがイスラム教徒だからと言って、イスラム教徒全員がテロリストであるはずもありません。そもそもテロを容認し扇動する宗教があるということを仄聞にして耳にしたことがありません。これまでの実例を顧みれば、テロリストにはキリスト教徒もいれば仏教徒もいました。

ある食品で食中毒が起きたからと言って、その食品を全面的に食用禁止にしていたら、フグはおろか、牡蠣も卵も肉類も野菜類も禁止すべきでしょう。カレーやシチューも提供禁止となってしまいます。現実には、食中毒の原因を科学的に特定し、食中毒を起こさないような方法で食材の保存・管理・調理及び出来上がった料理の保存などを適切に行うことで、より豊かな(多様性のある)食生活を送ることができます。

パターン化本能の暴走から逃れるには、最終的には、自分自身への懐疑を保つことが不可欠なのかもしれません。自分に自信をもつことは何をするにしても必要でしょう。ただし、自信が過信へと増長しないように、自信をもつと同時に自分の能力や実績などへの懐疑を絶えず持つことを忘れてはなりません。

しかし、これは実際のところ、自分一人で行うには最も難しいことでしょう。身近なところに諫めてくれる人がいれば幸運というべきでしょうし、そういう人の存在を疎ましく思うのが人間ですから、反対に嫌いな人や苦手な人の意見を年に1回は聞く機会を意図的に作るくらいしか、パターン化本能の暴走を抑止する方策はないかもしれません。

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020626日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(8

 

(8)小さな変化は必ず起こっている

 

パターン化本能と関連して、一度確立されたパターンなどの思い込みの内容は時間が経ってもそうそう変わらず、下手をすれば一度できた思い込みがより強化されていくこともあります。そうなると、現実は少しずつでも変化していることが圧倒的に多いので、ある瞬間に変化の大きさに驚かされることがあります。そこで変化に驚いて、変化を認めることができればいいほうで、変化を認めず、「そうはいっても〇〇は○○だから、変化(成長、改革、変身)するなんてありえない」といった態度を取るほうが多いのではないでしょうか。

これが、本書で第7の思い込み(本能)とされる宿命本能です。

 

アフリカの国を全部いっしょくたにしてアフリカはヨーロッパに絶対追いつけないという見方は、宿命本能に典型的な現れだ。それから「イスラム世界」は「キリスト教世界」と根本的に違う、というのもよくある勘違いだ。宗教であれ、大陸や文化や国家であれ、根強い「価値観」と伝統のせいで未来永劫変わらない(か、変わるはずがない)、という人は多い。言い回しは違っても、考え方は同じ。一見なんらかの分析があるように見える。でもよく見ると、たいていは本能にだまされている。理屈があるようで、実はただの思い込みなのだ。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」218ページより)

 

本書で宿命本能の例として紹介されているのは、出生率や子供の数、家庭や家族のありかた、開発や発展のスピードといったことに関して、ヨーロッパやキリスト教の国家が優越的であり、非ヨーロッパや非キリスト教の国々はいつになってもヨーロッパやキリスト教の国家に追いつくことはできないというものです。

こうした思い込みの例として思い浮かぶもののひとつに、近頃ではホワイトパワーという白人優越主義の標語があります。確かに、白人が黒人を奴隷として扱ってきた歴史がありますし、21世紀になっても、白人のキリスト教社会が黒人やイスラム教徒の世界や中国よりも優れているはずだと思い込みたい心理も推測できないではありません。

ただ、それは、自らの現状の不平不満の原因から目を逸らして昔話的なストーリーに逃げているに過ぎないかもしれませんし、そもそも最新のものにアップデートされた情報やデーに基づく議論や見解の表明でもありません。

この宿命本能に囚われている人の話は、話を聞く相手が同じ宿命本能に囚われている人であれば、共感を得ることもできますが、相手のことを対象とする話であれば、相手から反発や蔑みを受けたり、本書の著者が受けたように憐みを施されたりするでしょう。

つまり、「(こんな時代遅れの話をして私たちの現在の姿を知らないなんて)この人もまた、口では尤もらしいことは言っても、今の私たちの姿を知ろうともしないし、現に知らない。多分、この人は私たちと対等な関係をもちたくないのだろうし、そもそも私たちのことに心からの関心を抱いていないのだろう」というようなものです。

 

ファクトフルネスとは……いろいろなもの(人も、国も、宗教も、文化も)が変わらないように見えるのは変化がゆっくり少しずつ起きているからだと気づくこと。そして、小さなゆっくりとした変化が積み重なれば大きな変化になると覚えておくこと。

宿命本能を抑えるには、ゆっくりとした変化でも、変わっているということを意識するといい。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」236ページより)

 

ここで記されている“ゆっくりとした変化でも、変わっているということを意識するといい”ということを実感するには、テレビのクイズ番組やネット動画などでよく出てくるアハ体験の動画(注3)を見てみるのがいいでしょう。

風景や室内など動いているものが何もない静止画の一部が徐々に変化していき、いつの間にか全く異なるもの(色、形、大きさなど)になってしまいます。どこかが変化しているはず、と思って画像に注意を集中してみても、変化しているところがどこか全くわからず、最初と最後の画像を見比べてようやく変化していた箇所がわかるようになった経験を、大概の方はお持ちでしょう。

目の前で起こっているわずか数十秒程度の変化でも気づかないとすれば、特に注意も払わず、年単位や十年単位で変化していること、それも人々の日常生活やライフスタイルといった注意を惹きにくい事象についてということであれば、気がつくほうが異常と言うべきことかもしれません。

したがって、この宿命本能というものは、他の思い込みにもまして、誰もが必ず陥っている思い込みであると心に刻み込んで対処する必要があります。

 

【注3

検索サイトで“アハ体験 画像”と検索してみると、数多くのサンプルやクイズが出てきます。

 

文章作成:QMS代表 井田修(202076日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(9

 

(9)数字だけを真に受けてはダメ

 

今年5月の倒産件数を見ると、東京商工リサーチでは“倒産件数が314件 半世紀ぶりの300件台に減少、「新型コロナ」関連倒産は61件発生”、帝国データバンクでは“倒産件数は288件、2000年以降最少、負債総額は7113100万円、3カ月ぶりの前年同月比減少”(注4)となっており、数字から見ると持続化給付金の支給開始や民間金融機関による実質無利子・無担保での融資スタートなどの資金繰り対策が功を奏したかのような印象を受けます。

本当でしょうか?

ちなみに45月と言えば、COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の緊急事態宣言が出ている最中です。企業活動がまともに行われ、売上が得られて資金が順調に回っていたとはとても思えません。

両社のレポートにも言及されていますが、緊急事態宣言のために法的整理を行う弁護士事務所や裁判所が業務縮小に追い込まれてしまい、倒産の法的処理を行いたくても行えなかったことや、業績不振に陥った企業をどう処理するのか判断すべき経営者自身が業務停止状態になり、法的整理を行う意思決定そのものを先送りしていることもあったりします。

また、敢えて法的整理を選択せずに、廃業や法人の解散を行ったりするケースについては、両社ともに倒産とはカウントしないため、そもそも倒産件数には算入されません。なかには、廃業や解散すら行わず、従業員の解雇を行い、営業を停止したまま、法人登記もそのままにしておくといった、無期限の休業状態に陥っている法人も少なからずあります。これらも法的整理ではないため、倒産とはカウントされません。

結局のところ、倒産件数という数字だけでは、現状についての正しい理解・判断ができません。しかし、人は公表された数字だけを見て、おかしな理解・判断に至ることがよくあります。

 

これが、本書で第8の思い込み(本能)とされる単純化本能です。こうした思い込みの例として本書ではキューバとアメリカの医療をめぐるエピソードを紹介しています。

まずキューバ側の思い込みについてです。

 

わたしがつくった健康と富のバブルチャートの中で、キューバが特殊な位置にいることを示して見せた。所得はアメリカの4分の1なのに、子供の生存率はアメリカと同じくらい高かったのだ。わたしが話し終えるとすぐに厚生大臣が壇上に飛び乗って、鼻高々にこうまとめあげた。「キューバ人は貧乏人の中でいちばん健康だ!」大きな拍手が起こり、それが講演の締めくくりになった。

でも、みんなが大臣と同じ感想を持ったわけではなかった。(中略)「先生のデータは正しいんですが、大臣は完全に勘違いしていますよ。」まるで謎かけをするようにわたしを見て、その謎に自分で答えた。「キューバ人は貧乏人の中でいちばん健康なんじゃなくて、健康な人たちの中でいちばん貧乏なだけです。」(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」253ページより)

 

キューバ側、特に厚生大臣ともなると、勘違いでもいいから自国の厚生政策のいい点を誇りたいのでしょう。しかし、医療面では高く評価されることの多いキューバであったとしても、こと経済面となるととても自慢できる状況にないことくらい、国民のひとりひとりが実感しているのです。

一方、アメリカ側の思い込みについては次のように述べています。

 

特定の政治思想を信奉する人は、アメリカとキューバを比べたがる。どちらか一方はなにもかも正しくて、どちらか一方はすべてにおいて間違っていると言い張る。(中略)

アメリカ人ひとりあたりの医療費は、ほかのレベル4(引用者注、11日当たりの所得が32ドル以上に属する国々、西欧諸国、アメリカ・カナダ、日本・韓国・シンガポール・オーストラリアなどのアジアオセアニア諸国、サウジアラビア・アラブ首長国連邦などの中東産油国、ポーランド・ハンガリーなどの東欧諸国など50ヶ国ほど)の資本主義国の倍以上だ。ほかの国が3600ドル程度なのに対して、アメリカは9400ドルも使っている。それなのに、アメリカ人の平均寿命はほかの国よりも3歳短い。アメリカ人ひとりあたりの医療費は世界一高いが、アメリカよりも平均寿命が長い国は39カ国もある。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」255ページより)

 

 こと医療に関してはアメリカにはさまざまな課題がありそうです。それは、キューバと比較して明らかになることではありません。アメリカと同程度の経済力(所得水準)を有する国々との比較の中でこそ、課題は明らかになるでしょう。

 さらに言えば、アメリカの技術力・経済力・軍事力などからみれば、医療システムはお粗末とすら言い得るほどの問題を抱え込んでいるのではないでしょうか。健康保険・医療保険などの社会保障制度の課題とも関連しますが、アメリカがCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の感染者数でも死者数でも世界で最も多く、相変わらず感染の勢いが治まらないというのも医療システムとその前提となる社会のシステムや慣習に重大な問題があると言わざるを得ません。

 

ファクトフルネスとは……ひとつの視点だけでは世界を理解できないと知ること。さまざまな角度から問題を見たほうが物事を正確に理解できるし、現実的な解を見つけることができる。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」259ページより)

 

そのためには、本書によれば次のようなことを意識して心がける必要があります。

まず、自分の考え方を立証したり裏付けたりする情報ばかりを集めてはならず、自分の意見や考え方とは異なる(相容れない)人に見解を求めるようにします。その際に、当然のことながら、先方の指摘に対して、そんなことは既に知っているといった態度を取ることは厳禁です。特に自分の専門分野以外のテーマについては、謙虚でありすぎることはありません。

専門性であったり、卓越したスキルであったり、語学力であったり、とにかく自分の武器となるものがある人ほど、何かにつけてその武器(強み)を活用しようとしがちで、そもそも適用・応用しようのない事象にまでひとつの武器で対処を試みることすらあります。この陳腐な例が、仕事上の問題に対して、ちょっと知っているスポーツ(野球やサッカーやゴルフなど)の知識や格言を譬えに使って、なんとなくわかったようなふうを作り出すことでしょう。営業会議で課長から「X社には全員野球でアタックしよう」とか「Y社のZ部長にはインコース攻めが効くよ」と言われた部下はどうすればいいのでしょうか?

本書が基本的に主張しているように数字で物事を見るとはいっても、数字だけですべてを理解し判断できるわけではありません。冒頭にご紹介した、今年5月の倒産件数の少なさというのも、その一例です。

そして、そもそも単純な見方や答えで問題が解決するほど、世の中は甘くないことを肝に銘じるべきでしょう。物事は複雑であることが当たり前ですし、個々の事情や環境に応じてさまざまな解決方法を生み出していくことこそが現実的なアプローチです。ひとつの解決策をすべてに当てはめようとしていたら、その時点で間違っている可能性が極めて高いのです。

 

【注4

東京商工リサーチのサイトでは「最新記事」>「全国企業倒産情報」>「月次(全国企業倒産状況)」>「20205月の全国企業倒産314件」、帝国データバンクのサイトでは「倒産情報」>「倒産集計一覧」>「20205月報」を、それぞれ参照してください。

 

文章作成:QMS代表 井田修(202078日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(10

 

10)犯人の前に原因を探す

 

COVID-19(新型コロナウィルス感染症)は中国のせいだ、その中国に支配されているWHOのせいだ、とアメリカの大統領は事あるごとに言い募ってきました。実際は、世界全体のなかで感染者の約25.7%がアメリカ人であることから見れば、もともとの発生源は特定できないとしても、その感染を拡大した中心がどこであるかは自明です(注5)。

アメリカは人口も多い国であるから、感染者数が多くてもしかたがないと思われるかもしれません。そこで、感染率(人口100万人当たりの感染者数)を見てみると、アメリカは世界全体で8番目に多い16,350人であることがわかります。ちなみに、アメリカよりも多い国は、カタール・仏領ギニア・バーレーン・サンマリノ・チリ・パナマ・クウェートです。そのなかで最も人口が多いチリですら2000万人にも満たず、感染率が高い国は一般に人口が少ないことがわかります。中国・インドに次いで世界で3番目に多い人口(3.3億人強)を有するアメリカにおける感染率の高さは、どう言い訳をしようにも、感染防止の政策が十分に効果を発揮しているとは言い難いことは明らかです。

また、死亡者数や死亡率(人口100万人当たりの死亡者数)を見てみると、アメリカは10位にランク付けされており、医療崩壊といわないまでも、感染者に対する治療の面でも厳しい状況にあることは否定できません。

こうした数字を認めることなく、悪いのは中国だと感染拡大の責任を転嫁する言動に終始しているのは、一国のリーダーとして不適格と言わざるを得ません。こうした言動を本書では第9の思い込み(本能)とされる犯人捜し本能と呼んでいます。

 

なにか悪いことが起きたとき、単純明快な理由を見つけたくなる傾向が、犯人捜し本能だ。(中略)犯人捜しには、その人の好みが表れる。人は自分の思い込みに合う悪者を探そうとする。では、いちばん悪者扱いされる人たちを見てみよう。悪どいビジネスマン、嘘つきジャーナリスト、そしてガイジンだ。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」264266ページより)

 

この指摘の通り、ガイジンである他国のせいにしたり、政権に批判的なメディアが流す情報をフェイクニュースとして無視するようでは、問題は解決できません。現に感染の拡大という問題は依然として解決の目途が立っていません。感染を防止できない公衆衛生の諸制度や医療システムとその前提となる社会のシステムや慣習にどのような問題があるのか直視しない姿勢には、批判を禁じ得ません。

もちろん、ことはアメリカに限った問題ではありません。日本でも同様の傾向は見て取れます。

たとえば、歌舞伎町などの特定地域の特定の職業に従事する人々を狙い撃ちにしたかのようにPCR検査を実施すれば、そこにクラスターを発見することは容易でしょう。しかし、現実には歌舞伎町だけが問題なのではありません。クラスターは東京都から遠く離れた島根県の高校のサッカー部でも生じます。また、感染者の多数はすでにクラスターとは関係のない感染経路不明者であるとすれば、これまで感染者が多くはなかった地域では都市部から来たよそ者(一種のガイジン)が持ち込んだと思われて、「さっさと帰れ」というようなビラを撒かれたり、いたずら書きを車にされたりするわけです。

 

ファクトフルネスとは……誰かが見せしめとばかりに責められていたら、それに気づくこと。誰かを責めるとほかの原因に目が向かなくなり、将来同じ間違いを防げなくなる。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」282ページより)

 

犯人捜しの本能に囚われないようにするためには、本書によれば次の2点に十分に注意する必要があります。

まず、物事がうまく行かないのであれば、誰かのせいにしようとする心を一旦抑えて、うまくいかない事象を分析して、その原因や理由を探り出すように心がけることです。その際に、物事には一つの理由や原因で問題が生じていることは極めて稀で、それが社会的に重要な課題であればなおのこと、複数の原因や物事を動かしている仕組みやシステムにこそ注目すべきです。

前項でも述べましたが、そもそも単純な見方や答えで問題が解決するほど、世の中は甘くないことを肝に銘じるべきでしょう。物事は複雑であることが当たり前ですし、個々の事情や環境に応じてさまざまな解決方法を生み出していくことこそが現実的なアプローチです。ひとつの解決策をすべてに当てはめようとしていたら、その時点で間違っている可能性が極めて高いのです。

次に、物事がうまく行っているのは、特定個人のせいであることはまずありえないことを必ず意識しなければなりません。反対に物事がうまく行かないのを特定の個人や集団のせいであるとすれば、正に犯人捜し本能に囚われていると言わざるを得ません。

現実の社会の仕組みは、特定の個人、それがいかに著名なセレブや強大な権力を握ると思われる政治家であっても、1人の力で社会を動かすには限界があり、システムそのものを作り出しうまく機能するように日々支えている人々にこそフォーカスすることを強く意識したいものです。これは、COVID-19(新型コロナウィルス感染症)を治療したり感染を防止したりするのに、数多くの医療従事者や公衆衛生の専門家たちが貢献している役割を考えれば、誰でもすぐに理解できることです。むしろ政治のリーダーたちがヒーローでありたいがために感染防止にマイナスの存在となっている例がいかに多いか、と痛感せざるを得ません。

 

【注5

ここで示しているCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の感染状況に関するデータは、すべて以下のサイトの2020814日午前11時(日本時間)時点でアップデイトされている数字によります。

https://www.worldometers.info/coronavirus/#countries

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020814日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(11

 

11)立ち止まり深呼吸してデータを見る

 

著者はCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)が流行する3年前に亡くなりました。本書が最終的に取りまとめられたのが2018年ですから、まだCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)は流行っていません。にもかからず、次の記述があり、その指摘の的確さに驚かざるを得ません。

 

感染症の世界的な流行、金融危機、世界大戦、地球温暖化、そして極度の貧困だ。なぜこの5つを特に心配しているかと言えば、実際に起きる可能性が高いからだ。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」301ページより)

 

 著者が感染症のことを最も心配しているのは、もともと医師であることによるとも思われますが、COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の流行が一向に衰えを見せない現状を見るにつけ、その心配の正しさに慄かざるを得ません。

 

感染症の専門家のあいだではいまも、新種のインフルエンザが最大の脅威だというのは共通の認識になっている。(中略)あっという間に広がるインフルエンザのような感染症は、エボラやHIV・エイズのような病気よりもはるかに大きな脅威になる。感染力が強くどんな対策も効かないウィルスからあらゆる手で自分たちを守ることは、あたりまえだがかなり重要だ。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」302ページより)

 

現実を突きつけられている私たちにとって、感染症への対策は今ここにある危機にほかなりません。今すぐに動かなければ、次は自分かもしれないという焦りが生じないほうがおかしいとも思えます。そうした事態に直面しているからこそ、データに基づき正しく危機感をもつことが望まれます。

ただし、そこには10の思い込みの最後の思い込みである焦り本能が生じやすい故に、間違った判断もまた往々にして見られるのです。この焦り本能のことを自覚して、問題に対処することが求められるのです。

 

読者のみなさんはとうとう最後の教えまでたどりついた。ここでやらなければあとはない。ファクトフルネスを実践して、世界を正しく見られるようになるか。それとも本を読み終えたら何もしないか。どちらかを選べるのはいま、この時だけ。(中略)いまやらないと、もう次はない――それが焦り本能を引き出すコツなのだ。いますぐ決めろとせかされると、批判的に考える力が失われ、拙速に判断し行動してしまう。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」290ページより)

 

経営者の信条や経営の理論や実践的なガイドブックのなかには、拙速でも良いからまずやってみて、問題があったら後で修正していけばいい、といった考え方を説くものがあります。特に新商品開発や市場開拓などでは、思いつきレベルのアイデアでいいから、少しでも具体的なものを作って市場に出してみて、後は顧客などからのフィードバックに迅速に対応しながら製品やサービスを生み出していくほうが、最初から完璧なものを上市しようとするよりもいいというのが、ほぼ常識化しているのではないでしょうか。

そうなると、とにかく何か新しいそうなものを試しに出してみて、問題は後から考えるというアプローチが望まれます。いちいち立ち止まってデータを精査し見立てを変えようと試みるのは、時間の浪費として非難されるでしょう。

しかし、それで本当に少しでも世の中を良くしていくことができるのでしょうか。そこまで大げさな話でなくても、日々の仕事や暮らしの中でより良い判断を下して、フェイクニュースや噂話に振り回されることが少なく落ち着いて生活していくことができるのでしょうか。

 

ファクトフルネスとは……「いますぐに決めなければならない」と感じたら、自分の焦りに気づくこと。いま決めなければならないようなことはめったにないと知ること。

焦り本能を抑えるには、小さな一歩を重ねるといい。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」307ページより)

 

焦り本能には次のような対処法が紹介されています。

まず、深呼吸して二者択一を迫られている情況から一歩引いたポジションに立ちます。そこで必要なデータを入手したり、分断本能・ネガティブ本能・直線本能・恐怖本能・過大視本能・パターン本能・宿命本能・単純化本能・犯人捜し本能といった冷静な分析を妨げる諸要因を思い出したりします。

次に、データを精査します。ここで見るべきデータというのは、正確で重要なデータです。そもそも重要でないものは捨てるべきです。正確でないものも同様です。緊急時こそ、データの正確性に拘ることが大切です。

ここで思い出されるのは、35年前に起きた日本航空123便墜落事故の事故調査(注6)です。当時、国の事故調査官だった藤原洋氏によると、123便の墜落当初は情報が錯綜して墜落場所がわからない状況でした。そこで藤原氏らは、やみくもに現場に行こうとするのではなく、正確な墜落地点が判明するまで待って、場所がわかったところで現場に急行することで墜落事故の2日後には事故原因をほぼ特定できるようになっていたそうです。

このエピソードからも理解できるように、重大事件や緊急事態に直面した時こそ、ただ動くのではなく、正確で重要なデータを収集することを最優先に行動しなければなりません。日航機123便の事故では、いつという情報はレーダーから機影が消えた時点でほぼ特定できましたが、墜落場所がどこかとという情報は不確かなものばかりで、それが正確にわからなければ夜の山中を彷徨い歩くことになり、二次的な遭難や被害が出かねない状況でした。

さて、焦り本能に対処する第三の方法は、占い師((特に極端な未来を予測すること)に十分に注意することです。未来を予測するシナリオは最善と最悪だけではないことをいつも強く意識して、物事に対処します。現実は敢えてシナリオとして提示されていない平凡な事象であることが圧倒的に多いのです。

そして、過激な対策に要注意です。極端なシナリオは極端な解決策を求めます。大胆でドラマティックな対策ほど耳目を引きやすいのは事実ですし、時には予算もより多くつくでしょう。しかし、その実効性には疑問が付くことが多いはずです。何しろ、未だ誰もチャレンジすらしていない方策が、いきなりうまくいくと考えるのは極度に楽観的すぎます。むしろ、既にある程度の結果が出ていると実証されていることを地道に少しずつでも改良しながら取り組んでいくほうが、確実に効果が挙がります。

 

【注6

本文中の記述は、以下のNHKのウェブサイトにおける「日航機墜落 事故調査官100ページの手記に書かれていたこと」によります。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200812/k10012564381000.html

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020817日更新)

 

 

ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣~(12

 

12)知識のアップデートが必要という事実を認識する

 

ここまで本書に従って、分断本能・ネガティブ本能・直線本能・恐怖本能・過大視本能・パターン本能・宿命本能・単純化本能・犯人捜し本能・焦り本能という10の思い込みについて説明し、それらに囚われないようにどうすればよいか、そのヒントを紹介してきました。

ご紹介の最後に、ファクトフルネスを実践しようとする上で求められる最も基本的なマインドセットについて、本書で述べられていることを見ておきましょう。

 

なによりも、謙虚さと好奇心を持つことを子供たちに教えよう。

謙虚であるということは、本能を抑えて事実を正しく見ることがどれほど難しいかに気づくことだ。自分の知識が限られていることを認めることだ。堂々と「知りません」と言えることだ。新しい事実を発見したら、喜んで意見を変えられることだ。(中略)

好奇心があるということは、新しい情報を積極的に探し、受け入れるということだ。自分の考えに合わない事実を大切にし、その裏にある意味を理解しようと努めることだ。答えを間違っていても恥と思わず、間違いをきっかけに興味をもつことだ。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」316317ページより)

 

 まず、謙虚さと好奇心をもつことが指摘されています。これは、子供、特に小さい子供ほど、もともと持っているマインドセットではないかと思われます。それを一定の型にはめて好奇心を削いだり、学校や塾での勉強や受験というゲームに子供を漬け込んで、そのなかでの勝者と敗者を作り出すのが教育の機能であると誤解しているような大人が、子供の謙虚さをも壊しているのではないでしょうか。

 むしろ、大人こそがファクトフルネスの重要性を理解し、少しでも実践すべき存在です。

 

世界は変わり続けている。知識不足の大人が多いという問題は、次の世代を教育するだけでは解決できない。学校で学ぶことは、学校を出て10年や20年もすれば時代遅れになってしまう。だから、大人の知識をアップデートする方法も見つけなければならない。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」317ページより)

 

 ここで述べられている大人の知識のアップデートについて、その必要性は個人的に痛感するところです。また、周囲を見回しても、知識のアップデートをしなさいと思わず説きたくなる大人たちが多いこともまた事実です。

 特に日本では、相変わらず、出身校(大学名)や所属する企業名でその人の能力を判断してしまいがちです。しかし、どの大学を出たか、どの企業に就職したか、という過去のある時点での行動の結果よりも、その後現在に至るまで、その人が仕事や日常生活を通じて、どのような経験を積んで何を学び身につけてきたのかということを、どれだけ重視すべきなのか、改めて考えてみるまでもなくわかることです。

就職後の習慣的な行動の長期の蓄積こそが今のその人を作っています。本をまともに読んだことがないとか、何でもネット検索で済ましてしまい、自分の力で調べたり試したりしたことがないといった日常的な行動を何十年にもわたって繰り返しているのです。そこでは学歴の違いなどは人材を評価する上では無視してよい瑣末な要因に過ぎません。

 つまり、人材を比較し、それぞれの能力を評価するのに、最終学歴のように20年も30年も前の知識レベルを代替する指標とはなっても、現在の知識レベルとは何の関係もないものを持ち出しても無意味です。

 

採用担当者なら、欧米企業というだけで外国人を簡単に採用できる時代は終わったことを知っておいたほうがいい。たとえば、真のグローバル企業になったグーグルやマイクロソフトには、「アメリカ臭」がほとんどない。グーグルやマイクロソフで働くアジアやアフリカの社員は、まぎれもないグローバル企業の一員だ。グーグルのサンダー・ピチャイCEOとマイクロソフトのサティア・ナデラCEOはどちらもインドで生まれ育っている。(「ファクトフルネス ~ 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 ~」316317ページより)

 

正に今はグローバルに人材の獲得競争が行われています。個人にとっても組織にとっても、絶えず最新の情報や知識にアップデートし続けることが、競争に参加する最低限の条件と言えます。

中途採用の試験や内部登用の審査の際に、本書で例示されているような客観的で容易に探すことはできても、意外にアップデートしていない知識(それが仕事に直結するものであればなお望ましいものです)を質問してみるといいかもしれません。その結果で、その候補者が知識をアップデートする習慣があるかどうかを推測できますし、さらに言えば、その人の謙虚さや好奇心の程度も想定できます。現代のリーダーには、謙虚さや好奇心は必要不可欠であることは論を俟ちません。

経営者や人事の責任者にとって、本書は自分の知識や知的好奇心の程度を再確認させてくれる格好の試験問題かもしれません。年齢が高くなるにしたがって、どうしてもいろいろなものに好奇心を持つことがしんどくなります。また、立場が上になるほど、そうそう知りませんとは言いづらいものです。周囲の人々も、その知識は「古いです」「間違っています」とはそうそう言えません。今からでも一人で本書を読んで知らなかったことを認識すれば、部下や社員の前で面子は保てます。

 

文章作成:QMS代表 井田修(2020821日更新)