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2025年夏の3冊+1~「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」

2025年夏の3冊+1~「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」

 

 今年の夏も耐え難い暑さが続いたせいか休む期間が長く、またも映画関連の本を1冊読み通すことになりました。それは、「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」(大林宣彦著、聞き手・構成 馬飼野元宏・秋場新太郎、立東舎20201022日発行)です。

本書は、タイトルの通り、5年前に亡くなった映画監督の大林宣彦氏が生前、インタビューに答えて商業映画・テレビドラマ及び自主製作映画やCMについて語ったものです。資料編を除いて本文だけでも700ページを超えていて、個々の作品を製作していた頃の思い出や裏話、製作・脚本・撮影・編集等の狙いやテクニックなどを語っています。

その語り口を通じて、氏の人柄や映画を作り続けてきた心情が滲み出ています。実際に氏の作品をいくつか見たことがある人であれば、その作品が生まれた経緯及び大林ファミリーともいうべきスタッフィングやキャスティングを、なるほどと思いながら拾い読みしても楽しめる本です。また、大林監督独自の映画の製作体制や日本映画界から見ればアウトサイダーであった監督が実は長く多くの映画を作り続けてきた経緯も、日本映画史を語る上で避けては通ることができないテーマです。

大林映画のファンであれば知っていることですが、大林ファミリーという表現はそのまま事実を表しているもので、妻の大林恭子氏はプロデューサー、娘の大林千茱萸氏は子供の頃より原案提供を始め、脚本・音楽プロデュース・メイキング撮影・印刷物製作など幅広く監督をサポートしており、文字通りファミリーで映画製作に当たってきました。ファミリービジネスでありながら、スタッフにはきちんと報酬を支払うための方策を講じてきた、映画作りのプロフェッショナルが大林監督であったことも本書から読み取れます。

 

終戦80周年の今年読んでみると、本書の至る所から大林監督が映画を作り続けた根源に戦争というものの存在が強くあったことが改めてよくわかります。初めて製作した商業映画“HOUSE/ハウス”(注1)は、実際に製作するのは40年後の2017年になる“花筐/HANAGATAMI”(注2)の企画の代わりに生み出されたとのことですが、そこにもはっきりと戦争が描かれるイメージがあったのです。

 

あっという間に7つのアイデアが出て、それに僕自身の幼年期の戦争体験を踏まえて、戦争で恋人を失ったまま老いていった女人が、戦争を知らない現代の若い娘を怨念からパクパクと食べて戦争の恐ろしさを教えるという話を合体(中略)させて、すぐ桂さん(筆者注、大林監督と組むことが多かった脚本家のひとり)に電話をして「『花かたみ』じゃなくてとんでもない企画で依頼が来ちゃったんだけど、どっちもテーマは同じでジャンルが違うだけだから、これを脚本にしてみない?」と言ったら、「ああそれはいいですな、怪奇と幻想のほうが僕は得意ですよ」(笑)、ということでそれですぐにシナリオにしたんです。(本書14ページより)

 

作っている側から言うと、「こういうわけで戦争を描いた」、とか、「こういうわけでドラキュラを描いた」、ということじゃなくて、戦争があったから映画を作っているんだよ、と一言で答えるしかないですね。戦争がなかったら、きっと僕は映画なんてやってなかっただろうと思うんです。(中略)今回は、渡邉白泉――戦前から戦中にかけての俳人ですけども――の、「戦争が 廊下の向こうに 立ってゐた」、という俳句ですね。これがなぜか最近ずっと心のなかで反芻してて。そういう気配を映像にしたらどうなるんだろう、という想いもあって、自分で非常に納得の行く形でそこに集約されていったんです。(中略)そういうことで肺がん、余命3ヶ月と、僕が生まれた年に書かれた『花筺』という小説と、戦争と、そして2017年という現在とが、落語の三題噺のようにそこでひとつになっちゃったというのが、この映画の正体なんでしょうね。(本書687688ページより)

 

こうした発言一つをとっても、大林宣彦監督の作品を観てそれをより深く知ろうとする後世の人々(特に研究者や批評家)にとって、本書は必ず言及し引用すべきことが豊富にあります。大林作品のファンにとっても、自分が好きな作品にまつわるエピソードや映像には映っていなくてもキャストやスタッフが作品に込めた思いなどを知ることで、作品を観る深度がより深まるでしょう。それらは大林監督のキャストやスタッフへの思いと相互に響き合うものでもあるようです。

NHKのドキュメンタリー番組で見たことだったと記憶していますが、映画“花筐/HANAGATAMI”を撮影中の大林監督は、肺がんのために体調がすぐれず、撮影を止めて東京の病院に戻ったりしながら何とか最後まで撮影するのが精一杯のようでした。それでも、他の作品を作っているときと同じように、映画を作ることと生きることが同値であることが、本書でも確認できたと思われます。プロの映画監督であることは間違いないのですが、同時に子供の頃からフィルムで遊んでいた少年のままアマチュアの映像作家の面を生涯持ち続けた人であったことも、本書から見て取れます。

 

なお、基本的な資料もないようなので、大林監督やインタビュアーなどもあまり語ることができなかったのは理解できますが、2000本とも言われるCM制作を通じて様々に行われたであろう撮影や編集に関わる試行錯誤や工夫について、もっと具体的な言及が欲しかったことは、今更ながら残念です。日本のCMの歴史を語る上で欠くことのできない映像ディレクターとしての大林宣彦氏の仕事については、今後の研究に待ちたいところです。

 

 

【注1

【注2

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2025830日更新)