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初任給引き上げに伴う賃金の調整方法(2)~明確なルールがない場合~

初任給引き上げに伴う賃金の調整方法(2)~明確なルールがない場合~

 

さて、賃金を決めるルールやシステムがない場合、初任給が大幅に上昇した際に既にいる社員の賃金を調整するには、どのような考え方でどのような方法をとって対応すればよいのでしょうか。

こうしたケースでは一般に、業績評価や昇進・異動のルールもないなど、人事管理の仕組み全体がないことが多く、人事に関する制度や手続きも慣例に従うだけということが珍しくはありません。とはいえ、人事の方針や考え方は経営者や人事責任者の頭の中にはあるものです。誰を管理職に登用するのか、誰に賞与を多く支給するのか、考えもなく実行する人はいないはずです。

 

そこでまず理解しておくべきは、こうした状況ではやってはいけないことがあるという点です。

第一は何の手も打たないことです。これは言うまでもないでしょう。問題がわかっているのに放置してはいけません。

次に、いきなり短期間で賃金管理の仕組みをきちんと整備しようとすることもNGです。何も手を打たないことがダメとは言え、いきなりすべてを整理しまとめ上げようとするのも無理があります。

初任給の調整がきっかけとは言え、社員全体の賃金に影響が及びます。また、月例賃金だけではなく賞与や退職金などにも直接波及する場合(注2)もあります。諸手当との調整も必要となるかもしれません。とても短期間では整備しきれるものではありません。

どういう賃金制度を作るにしても、その仕組みの趣旨やルールを対象となる社員全員に説明するだけでも時間と手間がかかります。更に、業績評価や昇進・異動などの人事制度全体の整備も必要になるでしょう。

それではどの程度まで仕組みを作るように考えるべきかというと、多少なりともルール化や制度を志向すべきです。決して、対象者について全員一律に初任給上昇分を超えて昇給させてもいけません。

全員を一律に4万円増額して、Aさんを34万円、Bさんを33万円、Cさんを30万円、Dさんを29万円とすれば、少なくともEさんの初任給28万円よりは高くなります。昇給させることが可能な原資があればいいようにも思えますが、対象者全員が次回(翌年)の賃金改定でも大幅に昇給するはずと間違った期待をもつ虞が大きいのです。

なぜ昇給させるのか、昇給額(率)はどこから算出されたものなのか、対象者にきちんと説明できるかどうかが問われます。単に、初任給よりも高くするためというのでは、人事の方針も何もありません。

そして、姑息な手段に訴えることも厳に慎まなければなりません。

例えば、Eさんの28万円のうち、基本給は25万円で残りの3万円は初任給調整手当と見做して、基本給については他の4名を1万円(または4%)ずつ昇給させて、基本給の序列はAさんからEさんまで維持するといったこともプランとしてはあり得ます。この初任給調整手当は翌年以降、毎年の昇給分と相殺する(来年は基本給が1万円昇給するのであれば、基本給は26万円となり初任給調整手当は1万円減額して2万円となるので、実質は昇給なし)となると、Eさんは退職するでしょう。昇給分を全て減額しなくても、原理的には同じことですし、減額措置をしなければしないで、月例賃金ベースではいつになってもEさんを特別扱いとしているため、衡平性が損なわれたままです。

同様に、賞与を増額して月例賃金で対応しきれなかった分を増額するというのもダメです。なぜなら賞与は変動するものであり、一般には支給されない可能性もあるものだからです。賞与で上乗せする気があるのなら、月例給で支払うことを忌避する理由は見当たらないのです。

また、個別に金額を調整するのも避けたほうがよいでしょう。とりあえずEさんよりもわずかでも多くなるように賃金を個別に引き上げればよいと考えて、Eさんよりも低い2名だけを昇給させて、Dさんを28.5万円、Cさんを29万円にするとか、CさんがBさんと同額ではまずいと考えて28.9万円にするのも、いずれも同じ程度に問題を悪化させるでしょう。賃金が見直されなかったAさんとBさんは元より、CさんやDさんは賃金を引き上げたのにEさんとの差が小さいことに不満を持つものと十分に予想されます。

 

要は、いきなり完全な賃金制度ではないにしても、現在は欠けているルールやシステムを制度化する方向を見せながら、今年に限った暫定的な対応として今いる社員の月例賃金を改定することが求められるのです。

まず、現在の賃金が会社として社員の価値の序列を表していると仮定します。その序列を当面は維持する方針としましょう。その上で、ルールはないとしても、個別に金額を決めるのではなく、一定のメカニズムで金額を算定してみるほうが、経営者や人事責任者のもっている考え方を目に見える形にできるぶんだけ望ましいのです。

そこで、Eさんの28万円が最も低くなるように、Aさん・Bさん・Cさん・Dさんをある方針に従って昇給させることが必要です。一例としては、Dさんを29万円(4万円昇給)、Cさんを30.5万円(4.5万円昇給)、Bさんを33.5万円(4.5万円昇給)、Aさんを35万円(5万円昇給)とすることで、金額の序列と昇給額の序列をある程度まで一致させることができます。

もちろん、これだけの昇給を行うには、人件費の増加を覚悟しなければなりません。コストアップがあっても経営上対処可能な範囲かどうか、頭の中だけでも試算しておく必要があります。賞与や退職金の算定方式が基本給に直結している場合のそれぞれの増額分や時間外勤務手当等の算定基礎額の上昇など、人件費全体への波及が大きくなるので、人件費総額の簡易なシミュレーションをできれば行いたいところです。

その結果によっては、昇給額を抑える必要性が出てくるかもしれません。なお、補助金・助成金によっては、従業員の賃上げに応じて補助金・助成金が支給されたり、補助金・助成金の上限額が引き上げられたりするものもあります(注3)から、人件費総額の上昇がそのまま経営にマイナスとなるわけではない場合も考えられます。

ただ、こうしたやり方は、方向性は示すことはできても、細部まで説明することが難しいので、経営者や人事責任者の恣意的な方策と捉えられるリスクもあります。そこで、今回限りの応急措置と明示した上で、一定の時間と労力をかけて、人事制度を人の支配からルールやシステムに基づくものに変更していくことを同時に表明すべきでしょう。

 

(3)に続く

 

【注2

具体的に言えば、次のような算定式で支給額が算出される場合が該当します。

賞与=基本給×支給月数×業績評価別係数

退職金=基本給×支給率×退職事由別係数

人事に関する明確なルールがない組織であっても、規定上または運用上こうした算定式を用いていることも多いので注意を要します。

 

【注3

一例を挙げると、「キャリアアップ助成金(賃金規定等改定コースなど)」や「事業承継・引継ぎ補助金」があります。

 

 

作成・編集 人事戦略チーム(2024510日)