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転職を阻む壁(3)

転職を阻む壁(3

 

 転職を阻む第二の壁は、「企業の属性の壁」です。特に、現在属している企業が東証プライム市場に上場しているなど、いわゆる大企業や知名度の高い会社や中央省庁などからそうでない組織に転職しようとする際には、処遇水準の違いや組織についての格に関する思い込みなどから問題が生じがちです。

 経済社会的に見れば、人材の流動性は大企業や官公庁から中堅・中小企業へと動くことにより、人材が量的にも質的にも不足しがちな中堅・中小企業に適切な人材が供給されることが望ましいでしょう。反対に中堅・中小企業から大企業や官公庁へと人材が動くことで、中堅・中小企業の実態に即した政策が立案・実施される契機ともなるべきでしょう。

 こうした人材の動きが人材の流動性として望ましいと理念的にはわかりますが、同じ企業規模や業種業界で動くことが悪いわけではありませんし、現実にはそうした動きが多いでしょう。なかなか自分が知らない世界に転職という形で飛び込むのは、容易なことではありません。

 

 ミクロ的に見ても「企業の属性の壁」は無視できないものです。以前は嫁ブロック(注1)ということが言われていましたが、現在では親ブロックや祖父母ブロックもあるようです。転職をビジネスキャリアにおける一大イベントと捉えれば、配偶者や父母・祖父母も全員参加となってしまう心理もわからないではありませんし、本人以外の家族関係者にとって、自分が知らない会社に配偶者や子や孫が転職しようとすれば反射的(本能的?)に止めようとするものなのかもしれません。

 そうした反対や不安感を払拭するには、転職しようとする組織のことを少しは知ってもらうとか、経済的な問題を回避するための方策を話し合ったりすることが必須です。転職者を受け入れようとする組織は、代表者や採用責任者が自ら転職候補者の家族関係者にどういう会社か説明したり、実際に職場見学を行うなど新卒採用と同様のプログラムを実施することも望まれます。

 また、経済的に厳しくなることが十分に予見できるのであれば、対応可能な手段を事前に講じておくのが、戦略的なキャリアチェンジというものでしょう。その基本は、固定的な生活費の削減・圧縮です。住宅ローンがあれば、退職金や預貯金を取り崩してでも、できるだけ多く(理想的には全額)返済してしまうとか、より賃貸料が低い地域へと引っ越してリモートワークをメインとして勤務可能な会社に転じるとか、保険や自動車ローンなどを見直して不要な出費を抑えることが不可欠です。

 この点、現在属している企業が処遇水準の高い企業(注2)であるならば、そのメリットを最大限に活かすことも転職に必要な視点です。例えば、時限的な早期退職優遇制度が発表されて、自分がその対象となるのであれば、この機会に転職を検討してみる価値はあるでしょう。退職しても何も優遇制度がない場合に比べれば、支給される割増退職金が1千万円単位で違うかもしれません。

 一方、現在属している企業が必ずしも処遇水準が高いとは言えない企業(2)であれば、仮に早期退職優遇制度が新設されたとしても、その優遇金額は百万円単位、もしくはそれよりも少ない金額かもしれません。これではいつ退職(転職)するのかということにあまり拘らないほうがいいでしょう。むしろ、転職したいと思える企業や仕事に出会った時が転職のベストなタイミングと考えるべきかもしれません。

 

 ところで、中途で人材を採用しようとする中堅・中小企業やベンチャー企業の中に、ひとつ大きな誤解があります。それは、個人の実力を会社の看板と混同することです。

中堅・中小企業や立ち上げたばかりのベンチャー企業が、いわゆる一流企業から管理職や経営幹部として、それなりの人物が転職してくることに成功すると、その人個人の実力を適切に評価せずに、それまで勤めていた会社の評判や格でその人の実力も高いはずと誤解してしまうのです。本人も同様の誤解をしていて、部長であった自分は転職先では役員待遇で当然と思い込むことがよくあります。

その結果、転職後は受け入れた企業側の期待ほどには活躍することもなく、1年ももたずに退職せざるを得ないということが起こりがちです。転職した本人も、以前勤めていた大企業とは異なる業務システムや企業文化などに戸惑ったまま、これといった結果を生み出すことができず、時間だけが過ぎていくのです。

30年以上の昔からよく言われていたことですが、「(大企業で)部長ができます」という人に限って、コピー1枚取ることができず、エクセルやワードやパワーポイントも自分で工夫して使うことができません。そういう仕事は全て部下や派遣社員などがやっていたからです。これでは転職後に活躍するのは難しいでしょう。いわゆる人脈も、企業の看板がないと、誰も相手にしてくれないという現実に直面するのです。

こうしたエピソードが広く流布しているので、いわゆる一流企業や大企業、官公庁などに長く勤めている人ほど、転職に前向きに取り組むことは容易ではないかもしれません。こうした組織に長く所属していた人にとって、処遇水準が大きく下がること以上に、これまでの自分の実績や職業上のプライドが維持できないことのほうが別の組織へと動くことを阻む要素として大きいのかもしれません。ただ、この壁を乗り越えないと、大企業や官公庁から中堅・中小企業へと人材が動くことは実現しません。転職者を受け入れる組織の側も、この人はこの壁を乗り越えることができると確信しているのかどうか、採用を決定する前に十分に検討すべきです。

ちなみに、初めての転職を機に給与が35割増し、年収ベースで2倍、といったオファーを受けることもあるでしょう。ただ、その場合は、それ相応に短期的に結果を出すことが求められていることを忘れてはなりません。それが実現できなければ、収入増のつもりが減収になることは実によくある話です。給与アップと言っても、固定給がアップするのか、インセンティブ(変動給)がここまでいけば年収が増えるという話なのか、冷静に見極めることができないならば、その転職はやめるべきでしょう。

初めての転職までが恵まれた処遇であった人ほど、転職後の処遇は厳しいということを肝に銘じるべきです。それだけでも、転職での失敗は未然に防ぐことができますし、初めての転職にはある種の覚悟が必要なのです。

 

(4)に続く

 

【注1

いわゆる一流企業からベンチャー企業や知る人ぞ知る中堅・中小企業への転職に際して、転職しようとする本人は処遇水準が低下したり仕事の進め方が異なることを十分に覚悟して転職しようとしても、家族(特に配偶者)の反対で転職活動が中止となってしまうもの。確かに、給与水準の低下から住宅ローンや教育費の支払いが困難となったり、社宅から引っ越すことになったりすることで、配偶者や子女に苦労や面倒をかけてまで転職すべきかどうかは、議論の分かれるところです。

 

【注2

より高い給与を得るには(3 - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

 

 

作成・編集:人事戦略チーム(2023320日)