「古代ローマ帝国軍 非公式マニュアル」にみる普通の人を戦力化する要諦(5)

「古代ローマ帝国軍 非公式マニュアル」にみる普通の人を戦力化する要諦(5

 

 どのような組織においても、働きに応じて適切な処遇が行われて、はじめて人は「ここで働いて良かった」と思い、抽象的な使命感や押し付けられたやりがいではない、本当のやりがいとか組織への帰属意識をもつものです。

とはいえ、本格的な戦闘が毎日起こるわけではなく、訓練などの日々のルーティーンをこなしていくローマの軍団にとって、一般の兵士にとってやりがいとか処遇というものは何だったのでしょうか。

 

ミラミッド型組織の古典的な存在であるはずのローマの軍団ですが、意外なことに基本的に階級や階層がありません。あるのは一般の兵士(ミレス・グレガリウス)という身分だけです。

ただし、その中には、インムニスという一種の特権をもつ者がいます。この特権は、一般の肉体労働以外の特定の技能労働に従事することができる者に、その人が持つ技能を活かす仕事に就く権利のことです。

具体的には、鍛冶仕事(武器作り)、天幕作り、配管工事、測量、会計事務など20種類以上があります。特に読み書きの能力がある場合は、軍団の書記を兼ねるラッパ手(コルニケン)となったり、計算能力があれば年金基金の管理を兼ねる旗手(シグニフェル)となったりして、屋内の仕事に専ら従事することができます。

インムニスではない(これといった特技のない)兵士は、建物や道路の建設・補修などの土木作業、上官の視察や輸送隊などの警護、軍団陣営内外の歩哨、狩猟や調理などの肉体労働を担います。

このように説明すると、一度インムニスとなると、個人的な懲罰に値するような重大な失態を犯さない限り、その地位に留まり、うまく行けば昇進するように思われるかもしれません。しかし、インムニスと一般の兵士の間の(現代の表現で言えば)人事異動はよく行われたようで、インムニスは役職とか地位ではなく、むろん階級でもなく、職務分担に過ぎません。兵士の中では、先輩・後輩とか目立った手柄を挙げたかどうかといった違いはあっても、階級や役職位による違いはないのです。

人事管理の基本として、階級や役職位などを細かく設定して、その間の異動(昇級や昇進など)のスピードに差をつけて、やる気を高めようとするアプローチがあります。処遇に細かく差をつけて競争心を煽るやり方です。

いわゆる職位職階制や年次管理というのがその代表的な手法です。これらは組織全体のモチベーションを構成員間の社内競争により高めようとするものですが、組織内の昇進・昇級競争には必ず勝者と敗者が生まれます。敗者は、退職するかそこそこの処遇(報酬など)を得て、そこそこの仕事(組織内の役割)に甘んじるかしかキャリアを選べません。人材が次々と確保できる環境であれば、組織内にフレッシュンな人材を得ることで士気を維持・向上させることができます。

ローマの軍団がこうした社内競争的なアプローチで一般の兵士を管理しなかったのは、当然理由があります。それは、多分、次のようなものでしょう。

ローマの軍団は本国イタリアから遠く離れた辺境の地に置かれます。戦闘が起これば死者や傷病者が必ず出ます。辺境の地で兵士の補充ができる保証はありません。その上、内部競争に敗者が出てしまうと、さらに兵士の数が減少し、その補充に当たらなければなりません。軍団の維持のためには、少なくとも兵士の数を規定どおりにキープしておく必要がある以上、徒に内部競争に走らせて兵士を辞める人を出すような政策をとるはずがありません。

こうした事情により、兵士の間に無用の内部競争を起こさず、兵士は兵士としての仕事を全うすることを求めていたのでしょう。内部競争をむやみに起こさないという点では兵士から将校への昇進も、ほぼなかったようです。兵士と将校は実質的に身分が違うようで、同じローマ市民といっても、出自の良い、いわゆる上級市民が将校になるのが通例でした。

軍団の将校は下から、プリンキパリス、百人隊長、プリムス・ピルス(最上位の百人隊長)、兵士トリブヌス(トリブヌス・ミリトゥム)、陣営監督(プラエフェクトゥス・カストロルム)、軍団長代理(トリブヌス・ラティクラウィウス)、軍団長(レガトゥス・レギオニス)などがあります。

将校(≒上級市民出身)だからといって一般の兵士の後ろにいて実戦にはあまり参加しないわけではなく、百人隊長などは自ら率先して敵と戦って兵士の模範となることで士気を高める必要があります。その結果、戦闘による死亡率は一般の兵士も将校レベルもあまり変わらなかったそうです。

一般にピラミッド型の組織というと、古代ローマの軍団やカソリック教会の組織の構造や編制が基本となって発展したものと解されていますが、実際のローマの軍団は、ピラミッド型というよりも、圧倒的に多数を占める一般の兵士から構成されるシンプルなフラット型の組織ではないかと思われます。

一般の兵士を底辺に置くとして、百人隊長、兵士トリブヌス、陣営監督、軍団長代理、軍団長までが軍団内の階級です。実際は軍団長が属州総督を兼ねることが多く、その上にはローマ皇帝がいるだけです。人数比で見れば、底辺が極端に広く、6段階上がるだけで1人しかいない皇帝にたどり着いてしまう組織構造です。

そして、軍団長から皇帝に就任する例は実に多いのです。一般の兵士(=一般の市民)にとってみれば、皇帝の顔を知っていて、一緒に戦ったことがある点からも、皇帝=ローマ帝国への忠誠心が育まれることにつながるのではないでしょうか。

現代の大企業のCEOと企業組織の末端にいる人々との関係を改めて考えてみると、時には正社員ではなく、アルバイトやパートタイマー、派遣社員や社外コントラクター(業務委託者)が珍しくはない、企業の戦いの第一線にいる人々の中で、自社のCEOの顔と名前を知っている人はどの程度いるのでしょうか。誰もが顔と名前を知っているような、いわゆるカリスマ経営者ならばともかく、万単位の人々から成る大企業ともなれば、CEOどころか、自分の所属する部門全体の担当役員の名前と顔を知らない人も少なくないでしょう。

それでは、帰属意識も忠誠心も持ちようがありません。まして、自社のミッションとかコア・バリューとか言われても、ピンとこないでしょう。現実にともに戦ったトップの姿や言動こそが、第一線の社員(兵士)にとっては真のやりがいを形成するものでしょう。

 

(6)に続く

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(202186日更新)