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リモートワークにおけるリーダーシップ(3)

リモートワークにおけるリーダーシップ(3

 

リーダーシップが問われるのはリモートワークに迫られたからではありません。政治にせよ経済にせよ、また日常の暮らしの中にせよ、地球温暖化や経済的な格差の拡大など国家を超えるような課題について取り組むにせよ、どのような局面においてもリーダーシップのありかたが問われています。言い換えると、リーダーシップがうまく機能していないから多種多様な課題を解決するに至らない現実があります。

 さらに言えば、リーダーシップが効果的に機能する以前の問題としてまず、リーダーシップについての誤解があることを指摘できます。

 

代表的な誤解のひとつに、優れたリーダーシップを有する個人が存在するといったものがあります。

 もし、リーダーシップが個人の資質や特性で決まってしまうとすれば、いわゆる「生まれながらのリーダー」とか、宗教的な意味合いでの救世主のようにリーダーとなって現世で苦しむ人々を救済するように運命づけられている人、すなわち「神によって選ばれし者」だけがリーダーとなってしまいます。

こうしたリーダーの存在だけを仮定するとすれば、組織運営などできなくなります。リーダーの数が足りなくなるからです。また、起業家もそうそうお目にかからない存在になりかねません。

起業家とは起業するという状況において自ら起業する人です。その起業家を発掘しようとすれば、自ら起業のチャンスをつかもうとする人にチャンスと資源を与えるのがベンチャーキャピタリストであるはずです。もし、もって生まれたリーダーシップを起業家に求めるとすれば、三賢人よろしく起業家となるべき人を探し出すのがベンチャーキャピタリストの役割になってしまいます。

起業家が起業という局面におけるリーダーであることは間違いありません。とはいえ、そのリーダーシップはその局面で望まれるものであるに過ぎず、天賦の才ではありません。もし天賦の才だとしたら、アメリカは神が選んだ起業の国ということになるでしょう。すると、多分、日本は選ばれた国ではなさそうです。これでは、起業を政策的に活性化させることは諦めるしかありません。

この結論に多くの人は同意できないでしょう。つまり、起業が盛んかどうかは、起業家的なリーダーシップを持つ人が多く存在するというよりも、企業を取り巻くビジネス環境の違いに着目すべきです。個人の資質の違いを議論するよりも、起業を促進する事業環境を法的にも社会的にも整備するほうが現実的な効果がありそうです。

 

同様にカリスマ的なリーダーシップというのも、リーダーの個人的な資質や特性ではないことに気がつきます。カリスマ的な人を求めるフォロワーの心理・心情や、その局面に至る経緯などから、一気に課題を解決してくれる人を求める状況にピタリとうまく嵌まった人がカリスマと事後的に呼ばれるのです。

実際、ヒトラーが政権を取る前のドイツの状況は、第一次大戦後のインフレ経済や小政党の分立による政治的な混乱が続くばかりでした。その状況を一気に改善して欲しいのはドイツ人であれば誰もが思ったことでしょう。そこで出現してフォロワー(国民大衆)に大いに受けたのがヒトラー及びナチスだったわけです。この手のリーダーシップのポイントは、数多くのフォロワーに受け入れられるためにポピュリズム的な方法によって、短かい間にリーダーシップを公式化し正統な権力奪取を実現することです。そのためにプロパガンダやテロを実行することも厭わないことが必須条件です。

ただし、こうしたポピュリズム的な方法には限界があります。それは政策(課題解決策)相互の辻褄が合わないことです。ポピュリズム的な手法で辻褄が合わないとかうまく政策が機能しないのは、外国勢力や国内の反体制派の妨害工作のせいと決まっていますから、むしろ辻褄が合わず、政策的に破綻しているところがあるほうが、その犯人捜しと責任回避の形でフォロワーを扇動しやすいのかもしれません。

従って、カリスマ的なリーダーとかカリスマ型リーダーシップというのは、リーダー個人の資質や特性ではなく、それを許すに至る社会情勢や政治・経済動向などのリーダーシップの「場」、特にコンテクストやコミュニケーションのツール(言葉と共に暴力)やシステム(中央でコントロール可能なマスメディア)を活用できるかどうかに依存したリーダーシップのひとつのあり方に過ぎません。

 

次に指摘したいリーダーシップに関する誤解は、リーダーとヒーローの混同です。これも実によく見られるものですが、このふたつは大きく異なるものです。

ヒーローは、個人として自ら高い成果を挙げた人です。スポーツにせよ、企業業績にせよ、その人個人の力で出した結果から判断されるものです。もし、一般の学校の運動会で100メートルを10秒以下で走った学生がいたら、大変なヒーローとなるでしょう。平均的な営業担当が月に100万円の契約を1件とれればいいビジネスで、入社したばかりの新人の営業担当者が1億円の契約を毎週1件取り続けることができたとしたら、社長賞どころの騒ぎではなくなるでしょう。

しかし、ヒーローはリーダーではありません。リーダーは個人ではなく、チームが成果を出せるように必要な方策を採る人です。もちろん、自ら個人(プレイヤー)として成果を生み出せるのであれば、成果を生み出すことはかまわないですし、それが(偶然できたことではなく)真に優れた成果であるならば、ヒーローとして称えられることもあるでしょう。

この混同の例は、MLBのポストシーズンによく見られます。毎年10月になると、リーグチャンピオンシップからワールドシリーズへと次々と重要なゲームが行われます。そこで大活躍をしてチームをリーグチャンピオンからワールドチャンピオンに導く選手が出てくると、10月後半には「○○(大活躍している選手の愛称)を大統領へ」と書いたカードをかざし声援を送るファンが目立ちます。特に大統領選挙が行われる年には、より多く目にすることがあるように思われます。

リーダーがヒーローとなるのはあくまで結果論に過ぎません。リーダーにもともと求められているのは、個人ではなくチームとして成果を出すことです。そのために、チームメンバー(フォロワー)や関連部署などを動かすことが必要とされるのであって、自分が目立った結果を出すことが求められているわけではありません。

反対に、ヒーローになった人を自動的にリーダーにすると、大半は失敗します。これはさきほどのポストシーズン最中のMLBのエピソードを考えてみればわかります。野球選手として優れた結果を出したからといって、アメリカ合衆国の大統領がすぐに務まることは、まずあり得ないでしょう。

しかし、現実の企業社会では、けっこうヒーローを公式なリーダーにしてしまいがちです。主力製品に成長したものを開発したエンジニアを、全社を挙げてのプロジェクトの責任者にしてしまったり、凄腕の営業担当を営業教育のリーダーに任命したりといった話はよく耳にします。そして、その結果はたいていプロジェクトの空中分解であったり、体系的な教育ではなく自慢話か説教に終始したりといったものです。

 

もうひとつの誤解が、リーダーはイノベイティブな仕事を推進し、マネージャーは既に確立した仕事を管理するという、リーダーとマネージャーを区分する考え方です。

リーダーとマネージャーを区分するのは旧来の考え方としては理解できますが、今の時代、マネージャーが担うマネジメントに、イノベーションという考え方が不要ということはありません。

むしろ、日々の仕事を社外のイノベーションを取り込むなどして改善し続けることなしには、オペレーショナル・エクセレンスの追求・実現は不可能です。GAFAに代表されるイノベーション志向の巨大企業が成功し続ける理由のひとつに、現実の仕事におけるオペレーショナル・エクセレンスを非常識なまでに追求することが挙げられます。

日々の仕事にすらイノベーションが求められる時代であるからこそ、マネージャーがイノベーションにリーダーシップを発揮するか、少なくともイノベーションを理解してその実現を邪魔しないようにチーム内の合意形成を図るような形でリーダーシップを発揮することは必要でしょう。

 

リーダーに求められるものとして、コミュニケーション能力の高さ、特にスピーチの能力の高さがあるというのも、誤解かもしれません。

もちろん、リーダーにコミュニケーション能力がなくてよいと言っているわけではありません。リーダーシップを発揮するにはコミュニケーションのスキルは必要不可欠です。

とはいえ、仕事の場面でリーダーシップを発揮するのに必要なコミュニケーションは、TEDでのスピーチとは異なるものです。一緒に仕事をする人たちは単なる聴衆ではありません。ましてや、ヒトラーやケネディのようなカリスマ的な政治家のスピーチを日常の職場で行う必要性もありません。

リーダーシップを発揮するのに必要なコミュニケーションとは、まずは聴くことです。○○の仕事を××までにこうして欲しいとフォロワーに言う前に、それぞれのフォロワーの事情や抱えている問題などを把握することからリーダーシップを発揮することが始まります。そして、仕事を進める上での障害があれば、それを取り除くために必要な経営資源を調達すると約束するとか本人が解決できるヒントを助言するといったことがあってから、具体的な仕事の話につながるでしょう。

要は、業務指示や命令をリーダーが公式に発さなければ動かないチームでは、変化の激しい現代において期待される成果を挙げることは困難なのです。フォロワーが置かれている(と意識的・無意識的に感じている)状況を手早く理解し、その認識をフォロワーと大筋で一致していることを確認しておくことが、チームとして仕事を進めて成果を挙げるに至る早道なのです。

 

リーダーシップにはいつも機能する何らかの「正解」があると思っているとしたら、それがそもそも誤解なのです。生まれながらのリーダー、救世主、カリスマ、ヒーロー、イノベーションの旗手、スピーチの名手、こういったリーダー像は現代においてはリーダーシップの正解ではないことを改めて強く認識しておきましょう。

 

(4)に続く

 

 

作成・編集:経営支援チーム(2021426日更新)