コロナ禍を考える二つの戯曲~「白い病」と「疫病流行記」を巡って~(2)

コロナ禍を考える二つの戯曲~「白い病」と「疫病流行記」を巡って~(2

 

戯曲「白い病」は3幕からなります。

この病は、治療法も予防法もなく、最終的には敗血症により死亡するものです。発病するのは、4550歳以上の人間に限られ、レンズ豆程度の大きさで大理石のようで感覚のない斑点ができるという初期症状から始まります。既に欧州で広く流行している状況にあるところから、芝居は始まります。

 

パンデミックだ。雪崩のように世界中で流行する病気のこと。いいかね、中国では毎年のように興味深い新しい病気が誕生している。おそらく貧困がその一因だろう。(「白い病」第一幕第二場15ページ)

 

感染症の中国起源説が既にこの頃からあったことに改めて驚くと同時に、感染症についての欧米のものの見方がステレオタイプから現実を直視するものに変わることはないのだろうかと諦めに近い感覚を持たざるを得ません。そして、貧しいが故に医療サービスが適切に受けられず、結果として感染症を食い止められないことはあっても、貧困が病気の原因でないことは新型コロナウイルス感染症など現代の感染症については自明のことです。

さて、こう語るジーゲリウス教授は、枢密顧問官にしてリリエンタール大学病院院長という立場にあります。疫病の発生、原因や治療法の探求、一般市民への広報などの責任者でもあります。その教授のところにある日、リリエンタール病院から開業医となったガレーン博士が訪ねてきます。どうやら、博士は、治療法を確立できる段階に差し掛かっているようで、一定の治癒例が出ている方法をリリエンタール病院で試すことを提案します。しかし、ガレーン博士とジーゲリウス教授は、治療を優先すべき患者や治療法の開示を巡って対立します。それは、次のような教授の台詞にも表れています。

 

無政府主義者という腫瘍、野蛮な自由という名の伝染病、腐敗という疫病、社会の腐食というペスト、これらは我が国民の体内組織に襲いかかり、衰弱させたのです。(「白い病」第一幕第五場60ページ)

ひと時でも、平和主義という君(引用者注、ガレーン博士を指す)のペストに罹るぐらいなら、世界中がこの病気に罹って命を落とせばいいではないか。(「白い病」第一幕第五場75ページ)

 

ガレーン博士は、自らが開発した治療法を知らせることと引き換えに、戦争をなくし平和条約を欧州全体で締結するように主張します。それに対するジーゲリウス教授の反論となっています。

対立は他にも出現します。たとえば、白い病についてメディア(新聞)で知ることになる市民の間では、特に父母の世代と子供たちの世代でこの病気についての受け止め方が大きく異なります。それは次のような娘の台詞から理解できます。

 

今の若者にはチャンスがないの、この世の中に十分な場所がないの。だから、私たち若者がどうにか暮らして、家族をもてるようになるには、何かが起きないとだめなの!(「白い病」第一幕第三場39ページ)

 

父母、特に父親は五十歳前後から発病する白い病に対して、強い不安や恐れをもっています。一方、若い世代や子供たちは病気の流行や戦争のように、世の中を一変させる契機を待望しているのかもしれません。第三幕で戦争を指導する元帥に熱狂的な支持が集まるシーン(第三幕第二場冒頭及び第三場)がありますが、戦争が白い病やそのほかのうまく行かない物事をすべて一掃するかのように錯覚させる(ように国民を情報操作の下に置く)のが、国を導くリーダーの役割なのでしょうか。

白い病に対する現実的な方策として、枢密顧問官のジーゲリウス教授は特効感も効果的な感染防止策もない状況では、病院を収容所にして隔離するしか手段がないことを認めます。

 

収容所ですよ、男爵。患者は全員、白い斑点を発症した者は全員、監視下の収容所に移送されるのです。(中略)その収容所から脱走を図る者は射殺されます。四十歳以上の国民は皆、月に一回、医師の検診を義務化する。チェン氏病(引用者注、白い病のこと)の感染を、武力を用いて鎮圧するのです。ほかに防御する術はありません。(「白い病」第二幕第三場96ページ)

 

この台詞は昨年、武漢で見られた光景を想起させます。

この収容所というのを一つの街を単位として行えば、いわゆるロックダウンということになります。まさに、コロナ禍で行われていることです。開発されたワクチンが広く行き渡るには時間も資金もかかります。有効な薬が上市されるには、更に多くの時間や資金がかかりそうです。

一般に病気は年齢が高い人やもともと持病がある人ほど、重症化したり致死率が高まったりするでしょう。それは新型コロナウイルス感染症や「白い病」に限ったことではありません。季節性インフルエンザやちょっと風邪をこじらせた肺炎でも同様です。資金はあっても時間が味方にはなってくれません。

「白い病」は皮肉にも、年齢が高い人であれば貧富の差や社会的な地位の違いに関係なく誰にでも発病するので、国を導くリーダーである元帥やクリューク男爵も例外ではないのです。リーダーだからといって、収容所で隔離されることを免れるわけにはいかないのです。これは、新型コロナウイルス感染症でも同様で、国によってはリーダーから感染したところもあることは、まだ記憶に新しいものです。

この戯曲は、いずれの幕のタイトルにこの国のリーダーの名前がついています。第一幕はジーゲリウス教授、第二幕はクリューク男爵、第三幕は元帥です。

第二幕では、白い病に罹患してガレーン博士との交渉にも失敗したクリューク男爵が病に倒れる前に、自ら銃で死を選びます。第三幕では、発病した元帥は戦争もうまく運ばず、和平交渉を選ばざるを得ない状況に陥ります。不承不承ながらガレーン博士の平和条約締結を飲んで治療を受けることを決めますが、ガレーン博士は元帥の元に赴く途中に、興奮した群衆によって殴り殺されます。

結局、戦争にも白い病にも適切な対応を取るチャンスが永久に失われたところで芝居は幕を迎えます。

仮にガレーン博士が元帥の治療を成功裏に終わらせたとしましょう。すると、元帥はガレーン博士の言うとおりに和平交渉を行い、平和条約を締結せざるを得なくなります。または、群衆(国民)の怒りと失望を買った元帥が失脚したり暗殺されたりするでしょう。

このように特効薬か有効な治療法を開発した個人や組織が、それを基に既存の体制に揺さぶりをかけるというシナリオは、一歩間違うと、テロリストの一種になりかねません。恒久平和という目標のためには、目先の白い病の流行を人質に取ることも厭わないというのは、正に目標のためには手段を選ばず、ということです。

作者であるカレル・チャペック自身、戯曲「白い病」について次のように語っている点からも、この戯曲のテーマが戦争(政治)と感染症(医学)のジレンマにあることは明らかです。

 

(前略)医師としての倫理が命じるところに従って薬を提供したとしても、侵略戦争の地獄を後退させることはできない。それは、一時的に数千もの人を伝染病の脅威で失うというリスクを負うことでしか実現されない。これは、すぐに解決を導き出せないジレンマである。(「白い病」作者による解題165ページ)

 

また、カレル・チャペックはこうも語って、戦争と感染症の関係に別のジレンマを見出しています。戦争を止めたところで感染症の方が戦争よりも被害が大きいのであれば、戦争のほうがましとも言えるとしたら、ガレーン博士の行いは意味があるのでしょうか。白い病は自ら開発した治療法である程度は治癒するとすれば、戦争の方が犠牲は少ないのではないでしょうか。

 

未知の新しい疫病が世界で誕生し、雪崩のように広がっていく様子を思い描いてほしい。特別な想像力など必要ないだろう。ご存じの通り、世界戦争(第一次世界大戦)の後半、鉛の弾やイペリットガスで命を落とした人よりも、スペイン風邪で亡くなった人の数のほうが多かったのだから。(「白い病」作者による解題162ページ)

 

新型コロナウイルス感染症では、これよりも甚大な被害が出ています。たとえば、ベトナム戦争におけるアメリカ軍の死者数は戦死が5万人弱、その他の死因が1万人ほど、合計で6万人弱となっています。一方、米国において新型コロナウイルス感染症による累計死者数が6万人を超えたのは20208月下旬で、5ヶ月ほどで足掛け10年のベトナム戦争全体の死者数を上回ってしまったことがわかります(注3)。

戦争が過剰な供給体制を破壊して経済を再生させる契機とすれば、感染症は人間という過剰な存在そのものを地球上である程度リセットする神の意志である、そんな思いに囚われ兼ねない戯曲が「白い病」なのです。

 

(3)に続く

 

作成・編集:QMS代表 井田修(2021322日更新)

 

【注3

詳しくは、以下のサイトをご覧ください。

戦死者|アメリカンセンターJAPAN (americancenterjapan.com)

Vietnam War U.S. Military Fatal Casualty Statistics | National Archives

新型コロナウイルス 世界の感染者数・感染者マップ|NHK特設サイト