1兆ドルコーチ(1)
(1)伝説のビジネスコーチ:ビル・キャンベル
今回ご紹介するのは、アメリカのIT業界の発展を陰で支えた伝説の男 ビル・キャンベルについて、彼のコーチを直接受けてきたグーグル元CEOのエリック・シュミットなどが、彼の死によってそのコーチングが忘れ去られる前に、そのストーリーを残すべく書かれた本です。
1兆ドルコーチ シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの教え
(エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ、アラン・イーグル著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社より2019年11月発行)
この3名が共同で書いた本としては、「How Google Works 私たちの働き方とマネジメント」(注1)がありますが、今回の著作はグーグルの形成に多大な影響を与えた1人のビジネスコーチについて記述したものです。
筆者の周囲にもエグゼクティブ・コーチングを業としている人たちがおり、その果たすべき役割や期待される成果、確立された方法論やその限界、求められるスキルやマインドセット、ビジネスコーチ業界の歴史や動向など、多少なりとも見聞きしています。
そこでエグゼクティブ・コーチングを行っている人たちの中には、コーチングとかビジネスコーチというものの価値や役割に多少なりとも疑問を持っている人たちも存在するようです。もちろん、ビジネスにおけるコーチングの効果やエグゼクティブ・コーチの意義といったものを十分に理解した上での疑問ではありますが、本当に役に立つコーチであるのかどうか自問する人もまた多いようです。
そういう状況も知りつつ、ビル・キャンベルについては名前程度しか知らなかった筆者は、大きな興味をもって本書を読むこととなりました。
そもそもコーチングとはどういうものか、あまりご存じない方もいらっしゃるかもしれません。そこで、最初に、本書の著者たちが実際にビル・キャンベルのコーチングを受けていたところを回想するシーンから、本書のご紹介を始めたいと思います。
ビルと私たち(引用者注、著者のシュミットらグーグルの経営者や上級幹部たち)の1on1ミーティングは、いつも彼の地味なオフィスで行われた。にぎやかなユニバーシティ・アベニューから南へ1キロ半ほど離れた、パロアルト商業地区の落ち着いた側、カリフォルニア・アベニューの外れという場所だ。
最初、そこまで行くのは時間のムダのような気がした――なぜ、彼がグーグルまできてくれないのか? でもこれがふさわしい場所なのだと、すぐ気がついた。カウンセリングを受けるときは、あえてセラピストのところまで足を運ぶ。それと同じことだ。
(中略)
エリックとのミーティングでは、いつもホワイトボードにその日の議題を示す5つの言葉が書いてあった。それは誰かの名前のこともあれば、プロダクトや業務上の問題、近々行われるミーティングのこともあった。二人はそうやって話し合いに備えた……。
本書を執筆するために、エリックがビルとのミーティングをそんなふうに説明していると、ジョナサンが割って入った。
ビルはそうやって1on1を始めたんじゃない、とジョナサンは言った。たしかにビルは話し合うべき議題のトップ5リストをつくってはいたが、ホワイトボードにでかでかと書いたりはしなかったぞ。ポーカーのプレーヤーが胸の前で手札を持つような感じで、あくまで伏せていた。
ビルは家族など仕事以外の話をしてから、「君のトップ5はなんだ」とジョナサンに聞いた。
(「10兆ドルコーチ」82~83ページより)
コーチングとは、コーチとコーチングを受ける人の対話(ミーティング)と言ってよいでしょう。時には雑談から始まり、時にはビジネス・ミーティングさながらに始まる言葉のやりとりです。
ビル・キャンベルがグーグルの社内セミナーで語ったところによれば、1on1ミーティングを行う際には、エリック・シュミットの回想にあるように、議題を絞って書き出すのが基本です。
ただ、相手によってはそうせずに、家族の近況などの話題から入いることもあります。
このように方法論の基本はあっても、相手に応じて、またその場の状況に応じて、ミーティングのやりかたも柔軟に変わるのが、ビル・キャンベルのコーチングです。スティーブ・ジョブズとはオフィスでホワイトボードを前にするどころか、往々にして散歩をしながらミーティングを行っていました。
彼が行っていたコーチングは、方法論よりもコーチであるビル・キャンベル自身にこそ、最大の持ち味というか特徴が表れています。
プロフェッショナルなコーチとはいいながら、コーチングそのものは無償・無給で行います。
直接会って話をするのが原則です。スカイプなどを通じて行うことはなかったようです。
ときには、コーチを受けている相手の会社の社内会議や取締役会に出席して、その模様をつぶさに観察して、その結果を相手にフィードバックすることもありました。
コーチングの対象は、ビジネスでは経営者や上級幹部ですが、ビル・キャンベルがコーチングをする価値があると認めた人に限られます。
ビジネス以外では、もともと本業であったアメリカンフットボールのコーチとして、青少年を相手にボランティアでコーチを引き受けていましたが、その姿勢やスタイルはビジネスでのコーチングと変わらないものでした。
さて、このように際立った特徴をもつコーチングを行っていた彼はなぜ、本書の題名にある通り、「1兆ドルコーチ」と呼ばれるようになったのでしょうか。その経緯を次回まとめてみましょう。
【注1】
「How Google Works 私たちの働き方とマネジメント 」
(エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ +アラン・イーグル著、ラリー・ペイジ序文、土方奈美訳、日本経済新聞出版社より2014年10月発行)
この本については、4年前に当HPでもご紹介しています。ご興味のある方はこちらへ。
文章作成:QMS代表 井田修(2019年12月6日更新)