「超越の棋士 羽生善治との対話」に見るリーダーシップ(4)

「超越の棋士 羽生善治との対話」に見るリーダーシップ(4

 

「諦めることも大事というのは、将棋の対局のように、何かをたくさんこなしていく場合に、(中略)『テンションが低い日も当然あるんだ』と思っていたほうがいいような気がしますね。(中略)毎回毎回、100%、いつも同じテンションの高さを保ち続けようとすると、逆に下がっちゃうという感じがありますね」(「超越の棋士 羽生善治との対話」高川武将著・講談社刊140ページより、以下の引用はすべて同書より)

 

 これは、7年前に当時の森内俊之9段を挑戦者に迎えた名人戦で、13敗と後がない状況にあった羽生氏がインタビューで語った言葉です。

 インタビュアーの高川氏によると、こうした諦めはうつ状態から抜け出すのに必要なマインドセットのようです。いつでも全身全霊を傾けて一生懸命取り組んでいこうとするところに無理が生じるので、それは避けることがポイントのようです。どうしても気分がのらない日があるのは誰でもしかたのないことなので、その時に無理にテンションを高めようと無理ばかりしていると、その反動がどこかで生じるおそれが大きくなるのかもしれません。

 もちろん、諦めるといっても、ただ放りだすわけではありません。勝負にしろ、仕事にしろ、やるべきことはやった上での話です。その上で、テンションが低い日もあると割り切ることが、長続きするコツでしょう。

 続けて、次のようにも語っています。

 

「どうしてそういうことが起こったのか、どうして普段できることができなかったのかという要因を、自分なりに整理して消化しきれれば、(勝負に敗れたことであっても)忘れられるんじゃないないですかね。(中略)『やることはやったんだけれど、ツイていなかった』という結論でもいいわけです。(中略)スポーツなら、『あの審判がいけない』とか。(中略)今回は思いきった手を指してみたけれど、結果的にはうまくいかなかったわけです。でも、それを次に活かせればいい。そこで得たものを今後の対局で作戦面や考え方に活かせば、それは負けたことにはならない……うん、そんなふうに考えていますけど」(同書144145ページより、()は引用者による補足)

 

 ビジネスでいえば、事前の準備はできるかぎりしておくとしても、全ての商談やプレゼンがうまくいくわけではありません。うまくいかなかったときこそ、その原因をしっかりと明らかにすることが肝要です。

 ここで難しいのは、ビジネスでも勝負事でも、100%すべての情報が明らかになった上で本番に取り組むことができるわけではない点です。そこを何が何でも敗因を追究しようとすると、上司や部下のせいにしたりライバルが不正な行為を働いているといったゴシップ的なものを真に受けてしまったりするなど、理不尽な対応をしてしまいがちです。それなら、むしろ、羽生氏が説くように、『やることはやったんだけれど、ツイていなかった』と割り切るほうが精神的には健全といえるでしょう。

 もうひとつビジネスで陥りがちなのは、経験を積み、相応の実績を挙げてきた人ほど、ひとつひとつの仕事の成功・失敗をきちんと分析しなくなることです。ベテランほど、うまくいってもダメであっても、仕事を流すようになる、といったら過言でしょうか。確かに、日々の仕事、それがルーティーンであればあるほど、いちいち反省ばかりしてはいられないかもしれません。実際には、仕事はそれなりに処理していくことができるという現実もあります。

 ここでは、『やることはやったんだ』といえるまでの準備をして仕事に臨んでいるかどうかが問われます。出たとこ勝負ではダメなのは、改めて言うまでもありません。

将棋でいえば、対局前に相手の得意な戦法や最新の戦形を研究するのは最低限の事前準備作業です。ITやネットの現代では、これだけでも相当量の勉強であることは、本書の中で羽生氏もいくども言及していますが、ビジネスにおいても同じことです。先週と今週で同じテーマでプレゼンをするにしても、同じマテリアルで同じスピーチをするのでは失格でしょう。当然、今週は今週で今日の話題や最新事例のひとつも入れておかないと、商談のきっかけすらつかめるはずがありません。

 

「羽生さんの強さの原動力は、好奇心だと思うんですね。一般的に、自分の得意な形や研究している形を指すほうが勝率は高くなりますけど、それではなかなか新しい発見が得られない。羽生さんは、あまり研究が進んでいない形を好んで指しますし、そういう将棋では本当に楽しそうに盤に向かっていますよね。

普通は逆転負けをすれば悔しいし、対局中に自分が発見できなかった妙手が感想戦で見つかったりすると、余計に悔しい気持ちになるものです。ところが彼はそんなときでも、『新しい発見をした!』という感じで、本当に楽しそうなんです。」(同書170171ページより)

 

 羽生氏と現役では最多の166局(掲載日時点)を対局してきた谷川浩司9段(17世名人有資格者)は、こう語ります。

 将棋の対局の映像をネット配信やテレビで観たことがある人、特に将棋のことをあまり知らずに観た人は、終局直後の様子だけを観た場合、どちらが勝者かわからないかもしれません。ただ、終局直後に行われる感想戦の模様をよく見ると、敗者のほうが微笑んだり照れ隠しをしているようであったり自嘲気味に感想を述べたりしているように見えることが多いようです。少なくとも、『新しい発見をした!』と楽しそうに感想戦を行っている敗者というのは、まず目にすることはないように思います。

棋士にとって最も真剣に取り組むはずの仕事である公式戦の対局において、それが敗れた対局であっても、終局直後に行われる感想戦において好奇心が悔しさに優っているように見えるというのは驚きです。そうなるほどに、いつも新しい戦形や局面を探求し続けているからこそ、長期的に結果を残し続けているのでしょう。

 ビジネスの現場において、たとえばコンペでライバル企業に負けたときに、ライバルの提案の優れている点を発見して「これはすごい」といえるビジネスパーソンは、そうそういないでしょう。大概は、「結局はコストでしょ」とか「何か裏があるはず」と勘繰るのが関の山でしょう。徹底的に自社とライバルを比較検討してライバルの強みを発見して喜ぶなどという人は、見たことも聞いたこともありません。

 将棋の対局が同じ棋士同士の戦いである点に注目すれば、ビジネスでは同じ会社内での売上競争とか出世競争を想起するほうが適切かもしれません。

今月のキャンペーンで同じ部署のライバル社員に負けた直後にその原因を素直に分析できるビジネスパーソンが存在するとは、とても想像できません。悔しがるとかライバルに嫉妬するのが、ごく普通の反応でしょう。下手をすれば、次は足を引っ張ってやるとばかりにライバルの悪口を言いふらすとか、上司に何とか取り入ろうとゴマをするとか、誤った方向に行きそうです。

これでは自分の課題に気がつくことといったことは起こりませんし、そうであるならばビジネスパーソンとして成長する機会も方向性も見失っていることになります。

 一般の社員ならばまだ、こうした反応も許されるかもしれませんが、少なくともプロジェクトやチームのリーダーともなるようなビジネスパーソンにはあってほしくない態度です。反省すべき点は反省し、次につなげる何かを発見して、他のメンバーなどと共有する程度の行動はとって欲しいものです。結局は、そうしたことの積み重ねがビジネスパーソンとしての成長につながりますし、出世のチャンスを掴むことにもつながるでしょう。

 

(5)に続く

 

        作成・編集:QMS 代表 井田修(20181113日更新)