「超越の棋士 羽生善治との対話」に見るリーダーシップ(5)

「超越の棋士 羽生善治との対話」に見るリーダーシップ(5

 

「桜井さん(注1)は、セオリーやマニュアルで表わせないものを知っている人という感じなんです。そういう人は、きっと世間にたくさんいると思うんですよ。それこそ町工場の職人さんとかにもいるはずなんです、絶対に」(「超越の棋士 羽生善治との対話」高川武将著・講談社刊191ページより、以下の引用はすべて同書より)

 

 これは、先月22日に史上最年少で通算2000局の対局(注2)を記録した羽生氏が、2012年に行われた「雀鬼」との異名を持つ伝説的な雀士の桜井章一氏とのトークイベントについて、高川氏とのインタビューで語った言葉です。

 

「将棋には、羅針盤が利かない場面があるんですよ。乱戦とか混戦になったときですね。序盤だったら定跡やセオリーで形はある程度決まってきますけど、局面が進んで未知の領域に入ると、前例はまったくなくなっちゃう。セオリーもデータも、自分の経験さえも役に立たない。そうなったときにどうするかという問題は常にあるんです。(中略)でも、そういう話を聞くこと自体は大事なことかなぁと。桜井さんが独自に切り拓いたものなので、自分とはまったく違ったアプローチ、考え方、発想から、何かヒントを得られることはあると思っています。」(同書191192ページより)

 

将棋に限らず、むしろ一般の社会全体が羅針盤の利かない状況に置かれていると言えるのが現代でしょう。特にITAIなど社会に広く大きなインパクトを及ぼすテクノロジーが次々と進化し続けているので、従来の定跡やセオリーや経験値が通用しないというのは、ビジネスの現場で日々起こっていることに他なりません。

そういった時代だからこそ、真剣勝負に徹してきた人やセオリーがない状況で何かを生み出し続けてきた人の問題へのアプローチやものの考え方から、何らかのヒントを見出すことができるかもしれません。ただし、それはあくまでも可能性の話ですし、問題に取り組む際の発想レベルの話です。

 

「結局、『最後は読み』だと思うんですよ。(中略)目的地に行くには、自分の足で歩いて行かないとといけないですよね。当たりを付けておくのは大事だけど、読みで確認して、そこまで辿り着けなきゃしようがない。つまり将棋は、だいたいのところで正解というわけにはいかない、具体的な一手を指さなきゃいけない。だから、最後は、読みの力は凄く大事になるんです」(同書200ページより)

 

現実のリーダー、それがビジネスであろうが、それ以外の分野であろうが、リーダーがさまざまな人々を巻き込んで何か行動を起こそうとするのであれば、大局的なものの見方がしっかりしていることは必須であるとしても、それだけでは物事は進みません。現に物事を進めるには、今、この瞬間に何からどのように取り組むのか、個別具体的な行動に着手しなければなりません。まさしく、人々を将棋の駒のように存分に動かして活躍できるように、その第一歩を指し示すことが肝要です。

ただ、ビジネスにおいては、将棋ほどの厳密な読みは求められないかもしれません。そもそも将棋のように、相手の駒の配置(ビジネスモデル)や持ち駒(経営資源)がすべて見通すことができるわけではありませんし、対局相手以外のプレーヤーが突然、乱入してくることもありません。もし、打ち手が当たっていないのであれば、そのことが明らかになった時点で速やかに、別の打ち手に変更する柔軟性や敏捷性があれば、それで十分と言えそうです。

 

一つ思い浮かぶのは、七冠を獲った頃と今を比べ弱くなった点について、「冒険的な手を指しにくくなった」と言っていたことだ。経験はプラスにもマイナスにもなる。一つの選択がプラスになった経験があるせいで、無意識に無謀な冒険を避け、無難な手を選択してしまうことがある、と。その話をすると、桜井は頷きながら答えた。

「羽生さんは、それが凄く嫌だったじゃないですか。若いときは無謀な冒険ができていた、それを今、もう一度取り戻したいんですよ。リスクから生まれるのが勝負だからね。でも今度は、無謀ではなくて、勇気というかな、そういうものがあるんじゃないかと思ったのでしょう。20代の強さは鬼のような強さであって、それで勝ったとしても面白味がない。勝とうが負けようが面白かったなという将棋を指せたときに、凄い納得感がある。だから羽生さんは、周りの評価よりも自分の評価が非常に強いんですね。(中略)常識と非常識がある中で、さらに、その両方を否定したものがある。それを探すのが40代だと思うんですよ」(同書214215ページより)

 

 誰にでもどの職業においても、中堅からベテランと呼ばれる世代に至り、自分なりの成功パターンができてくるに従って、変化とか冒険とかリスクテイクといった行動を知らず知らずに忌避してしまうのではないでしょうか。

 ビジネスにおいて、担当者として専門性が高まったり管理職に昇進したりするような立場ともなると、単に優秀なプレーヤーとして仕事をこなすだけでは、周囲も本人も納得できないようになります。

周囲の目は、ベテランなんだからもっと高度なことができるはずとか、管理職なんだからもっと組織全体の成果や部下のレベルアップに力を入れてるべきでは、といった評価が絶えずついて回ることでしょう。

本人自身も、若いころと同じような成果では次第に満足できないようになってくるはずですし、10年前と同じような成果で満足するような人材ばかりでは、組織の成長がないと言わざるを得ません。

 そうは言っても、成功パターンを捨て去るというのは、試行錯誤もあれば失敗への恐怖もあるでしょう。ここで仮に失敗に終わったとしても、納得できる仕事にチャレンジできるかどうかが、結局はその次のステップへの扉を開くことにつながります。ときには、キャリアチェンジをすることで、新たな第一歩を踏み出すこともあるでしょう。

人生もビジネスキャリアもどんどんと長くなっている時代にあって、チャレンジやチェンジというのは、成功するかどうかがわからなくても、何度も機械を設けて挑戦し続けるものとなっています。

ただひとつだけ、はっきりしていることがあります。それは、次へのステップとなる扉を開こうとしない人には、誰もついていかないということです。つまり、リーダーであろうとする限り、一度や二度の失敗にめげてチャレンジしないという行動様式は捨て去り、新たなチャレンジをし続ける勇気をもつことが不可欠なのです。リーダーのチャレンジする勇気をみて、他の人々もともにチャレンジしようと行動が変わっていくのではないでしょうか。

 

(6)に続く

 

【注1

本書の表現を借りると、

桜井は1960年代から、大金を賭けた麻雀の代打ちを行う“裏プロ”として活動し、裏技も駆使して、引退するまで「20年間無敗」だったとされている。今は「雀鬼会」という道場を主宰し、主に自己啓発分野の著書も多数ある。(同書190ページより)

このように紹介されている、「雀鬼」との異名を持つ伝説的な雀士の桜井章一のこと。

 

【注2

日本将棋連盟のHPにある「棋士データベース」によると、羽生氏は現役年数が33年弱で2000局に届いているので、平均すると1年に60.6局ほど公式戦の対局をこなしていることになります。

これは、昨年度でいえば、73局の藤井聡太7段、62局の豊島将之二冠に継ぐ対局数となります。50局以上の対局をこなした棋士は羽生氏を含めて9名いますが、羽生氏以外は1020代の若手の実力者と呼ばれるような人ばかりです。このように、対局数という指標でみても現役を代表する存在であり続けていることが読み取れます。

  

作成・編集:QMS 代表 井田修(2018123日更新)