「1918年の最強ドイツ軍なぜ敗れたのか」に見るリーダーシップと戦略(3)

 

1918年の最強ドイツ軍なぜ敗れたのか」に見るリーダーシップと戦略(3

 

それでは、第一次大戦が始まった頃、ドイツ帝国のリーダーシップのトライアングルを形成していた人々はどのようなキャラクターであったのでしょうか。

 

はじめに、皇帝についての記述を見てみましょう。

 

 皇帝ヴィルヘルム二世は、祖父ヴィルヘルム一世と異なり、情緒面で多くの問題を抱えていた。気分屋で激高しやすく、自己顕示欲が旺盛で、極めて自己中心的な人物だった。知性は高く、大言壮語を繰り返したので大胆に見えることもあったが、実は臆病であった。(中略)精神異常というよりも、今日的に言えば、一種の人格障害であろう。18886月、29歳の若さで即位。ヴィルヘルム二世の「異常な精神状態」を知るビスマルクは、ドイツを破局から救うために、宰相の地位に留まることを望んでいた。一方でヴィルヘルム二世は、ビスマルクを煙たがり、1890年に罷免した。彼は、ドイツ統一の立役者、宰相ビスマルク、参謀総長モルトケ(引用者注、ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケのこと)を敬う気がなかったようである。18972月の演説では彼らを「下僕たちとピグミーたち」と呼びさえもした。(同書51ページ)

 

 この記述からイメージされる皇帝というのは、CEOとしてドイツ帝国の経営を担うのは無理としか思えない人物です。実際の企業経営でもよくありますが、特に世襲で経営トップが決定される場合、CEOは社内での昇進競争や外部人材の獲得競争もないため、問題のある人物であっても淘汰されることなく、CEOの地位に就いてしまうことがあり得ます。

 ヴィルヘルム二世は、父のフリードリヒ三世の急逝(在位3ヶ月)により、急遽、皇帝に即位したのでしょう。もしそうなら、皇帝に即位する準備や覚悟が不十分であった可能性があります。これが、皇帝としての資質に欠けると言わざるを得ないキャラクターをもつ人物として記述されるようになった一因かもしれません。

 CEOにある日突然なるとしたら、誰でも大変です。心の準備も、能力やスキルを必要なレベルに引き上げておくことも、何もせずにいきなりCEOになるとしたら無理が出てくるのが自然でしょう。

確かに、地位が人を作ることはありますが、その大前提はこの人ならこういう状況でリーダーとしてやっていけるだろう、という第三者の目による判断です。必ずしも、その判断が正しい保証はありませんが、少なくとも本人以外の誰かの目による判断があって初めて、その地位を全うしていく覚悟を迫られるわけです。衆目が一致するとまでは言わないとしても、賛否が分かれる程度には周囲の目によってトップとしての力量がある可能性を判断するでしょう。

しかし、世襲の王政では第三者の判断が多少ともあった上でリーダーの地位に就くわけではありません。まして、今自分がなるとは思ってもいないタイミングで皇帝となったヴィルヘルム二世は、本来もっていたキャラクラーにも問題があったにせよ、その問題点が顕在化しても修正するスキルを身につける時間もなく、また修正を迫る人材もいない状況を自ら作り出していたようです。

確かに、企業の承継の際にもよく見られますが、創業者の身近で事業を仕切ってきたベテラン社員の存在は、次の世代に属する二代目の社長にとっては煙たい存在でしょう。まして、その二代目が急逝してしまい、まだ就任するはずもなかった次の次の世代に属する三代目が社長になると思えば、ベテラン社員も三代目の若い社長も、互いにやりにくいはずです。

こうしたサクセッションプランの問題が、ドイツ帝国を襲ったとも見て取れます。そして、サクセッションプランの問題を解決するような仕組みがないため、問題がそのまま顕在化していくことになります。

 

(4)に続く

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(201823日更新)