昨日まで問題ではなかった問題に対処すべき時代(3)

 

(2)より続く 

 

先週発売されたTIME誌恒例の「今年の人(Person of the Year 2017)」は、“The Silence Breakers”(沈黙を破る人たち、つまり#MeTooなどを通じて長年封印してきたセクハラの被害を語り出した人々)でした。

まさしく、昨日までは問題ではなかった問題が、ある程度の時を経て明らかになっていくことに大きく貢献した人たちが、2017年を代表する人々となりました。

 

さて、こうした問題にはどう対応すればよいのでしょうか。

こうした問題の大半は、過去(それも10年単位での昔)の話です。実際に事象が発生した当時も、多少なりとも問題ではあったのでしょう。ただ、それが表沙汰になってこなかっただけ、ということだったからこそ、あるタイミングで一気に噴き出すわけです。それがたまたま2017年だったのです。

特に日本では、社会人になる前の学生の頃のいわゆる武勇伝の類も問題視されるでしょう。喫煙、未成年の飲酒、異性関係など、改めて過去の自分に真摯に向き合うことが求められる時代になっていることは間違いありません。

今後、寿命がさらに伸びていくとすれば、30年前や50年前には当然のことだった物事が告発の対象になるかもしれません。そういうリスクを自覚しておかないと、リーダーの基本的な資質の欠如と言われても仕方がありません。

 

昨日までは問題として認識されてこなかった理由のひとつは、問題の元凶が有力者であったことです。言い換えれば、セクハラと同時にパワハラでもあった事例が多いのです。

問題を生じさせてきた人々が、経営トップであったり、公職についている人々であったり、名声・権力・富などを有する人々であったりすることを鑑みるに、有力者ほど身近にダメ出しをしてくれる人間を置けるかどうか、そしてその苦言を受け入れる度量があるかどうかが問われます。

もちろん、いかに有力者といえども、個人は弱い存在です。そこで、個人の度量といったものに依存せずに、組織の仕組みとして何らかの制御装置が必要となります。たとえば、第三者委員会や社外取締役などの外部の目や組織的に新しい価値観を導入する制度を設けるといったことです。

とはいえ、いかに仕組みを拡充しても、限界があります。むしろ、形だけ作ることのほうが、中途半端にやった気になる分だけ、実態から目をそらすなどマイナスが大きくなってしまうかもしれません。

結局のところ、経営トップ自らがさまざまな価値観の中に我が身を晒すことが大事でしょう。取り巻きの人々からの都合のいい情報にだけ耳を傾けていると、仮に業績面では問題はなくても、昔の行状を指弾されるリスクが絶えずあることを自覚しておかなければなりません。

投資家もこうした視点をもってリスクを評価することが求められています。訴訟や損害賠償のリスクもありますが、特にレピュテ―ションリスクと財務リスクについては、連動して経営者の過去の言動が大きく影響する時代となっている点をしっかりと自覚すべきでしょう。

 

さて、今、認められている価値や黙認されている言動であっても、いつ見直しの機運が出てくるか分からないものです。

そこで、より多様な価値観や言動が今こそ問われるのは当然です。そのためには、やはり、人材の健全な入れ替えが必要ではないでしょうか。

大きな組織ほど、経営トップが“裸の王様”にならないように一定の期間で交替していくルールが要請されます。それにとともに、マネージャーや現場の社員のレベルにおいても、より多様な価値観と幅の広い言動を組織にもたらすことが肝要です。

任期制というのも、ひとつの方法です。たとえば、すべてのポジションを4年で交代するのです。こうすれば、平均して毎年4分の1が入れ替わることになります。入れ替わると労働生産性が低下するように思われるかもしれませんが、ITなどのテクノロジーが急速に発展している現代では、同じ人が同じ仕事(ポジション)を続けていくために、新たな仕事のやり方が導入されないことによる生産性向上機会の喪失のほうが、大きなダウンサイドリスクとして自覚されるべきでしょう。

こうした発想は組織全体にも必要となります。単にポジションが入れ替わるだけでなく、組織全体の新陳代謝を実現することも忘れてはなりません。

つまり、“健全な退職”を制度化することで、さまざまな価値観をもった人々を社員として取り込むチャンスを確保していくのです。

 

一方、小さい組織では、入れ替えも何もできないというのが実情かもしれません。“健全な退職”どころか、一度採用した社員は引き留めるに越したことはないというのが本音でしょう。

さらに経営トップ(=創業者)に意見するような人は辞めさせられる(または自ら創業者を見切って辞めていく)のが現実です。まして、ミッションやらクレドやらで、上から価値観の共有を求められるとなると、異論反論は口にしにくいものです。

もともとの意図や目的がいかに善なるものであったとしても、同じメンバーで同じ価値観をもって同じ事業に取り組んでいくとなれば、価値観の多様性や異なる価値観との共存などは実現不可能です。

つまり、小さい組織ほど、昔の価値観に縛られ続けるおそれが強いと言わざるを得ません。そして、それがある日突然に(少なくとも告発された当事者やその周囲にいる第三者にとっては)問題として提起されるわけです。こうなっては、時既に遅しで、いきなり倒産の危険性に直面させられることになります。

実際、昔の価値観どころか、現在の価値観に照らしても大きな問題となるような言動を取ってしまい、ウーバーの前CEOのように会社の評判やブランドの価値を大きく損なってしまうのも、ベンチャーらしいといえば、ベンチャーらしいものかもしれません。

まして、創業者や中小企業経営者のなかには、社内のルールは自分が利己的に決めるものだ(それがリーダーシップだ)と誤解・曲解している人たちが、まだまだ少なくないのも実態と言わざるを得ません。そうであるとすれば、昨日まで問題ではなかった問題にベンチャーが晒されるリスクは、けっこう高いものがあると推測できます。

特に起業のプロセスはできる限り健全なものにしておかないと、いつ足元を掬われるかもしれません。特に公的な資金を導入して、起業したり新たな技術・製品・サービスを開発したりする際には、そのプロセスが真に健全なものでないと、起業や開発という行為自体が砂上の楼閣になりかねません。

まして、今もこれからも、膨大な情報がそのまま残っていく時代であり、若気の至りや一時のおふざけでは済まされないことを、起業家は肝に銘じておくべきでしょう。何かトラブルがあっても、そのときは仮に示談を成立させて、問題をもみ消すことができたとしても、いつ何時、問題として噴き出すかは、わかりません。

もしかすると、起業家も経営者も自らの「身体検査」を定期的に行い、問題がないことを電子的に登記しておく時代が来るかもしれません。いわば、起業や企業経営に当たることを証する、人材登記とでも言うべきものです。その内容に異論反論があれば、いつでもそのことを主張できるように担保しておくことで、絶えずその内容が真であることを保証するような仕組みを社会的に設けなければならない時期に来ているのかもしれません。

 

こうした環境の変化や何を善しとするかといった価値観の変化に、企業経営は次々に対応していかなければなりません。今は当然と思われている価値観であっても、目にみえないところでは疑問視されているところがあれば、その見直しは一気に進むでしょう。

ちなみに、起業は善いことなのでしょうか。善いこと、積極的に進めるべきことであるから、さまざまな補助や助成などが実施されているはずですが、本当にそう言い切れるものばかりでしょうか。このようなところでも、昨日まで問題ではなかった問題に対処すべき時が迫ってきているように思われます。 

 

 

作成・編集 QMS代表 井田修 (20171212日)