ジャンヌ・モローの逝去

ジャンヌ・モローの逝去

 

先月の31日、女優のジャンヌ・モロー氏が死去しているところを発見されたそうです(注1)。5月に亡くなったロジャー・ムーア氏と同じ89歳というのは、意外な感じがしました。若い頃よりジャンヌ・モロー氏は映画女優として著名でしたが、舞台でも実績のある俳優でした。

その舞台を直接見る機会がありました。30年近く前のことになりますが、シアターアプル(注2)で「ゼルリンヌの物語」という作品が上演されました(注3)。この作品は、一人芝居だったと間違って記憶していたほど、ジャンヌ・モローの存在が作品そのものというものでした。

 

一人芝居というと、「審判」(バリー・コリンズ作)のように、何もない空間で観客に語り訴える(観客は陪審員の立場)ものがまずは思い浮かびます。また、「化粧」(井上ひさし作)や「障子の国のティンカーベル」(野田秀樹作)のように、演者は主人公一人ですが、舞台セット・小道具・音楽・音響効果などをフルに活用して、その生きている世界を見せるものもあります。

「ゼルリンヌの物語」は厳密な意味では一人芝居ではありません。主人公のゼルリンヌという女中が、昼寝中の青年に自分の人生を語る物語という形で展開します。観客はうたたね気味の青年とともに、聞いてはいけない話を聞いてしまうわけです。語っている女中の心の奥底にあるものを知ってしまうのです。

ジャンヌ・モローの動き・しぐさ・口調・呼吸などから、思い出して語られる人生のその時々における感情の動きを受け止めざるを得ない状況に、観客は置かれてしまいます。

「ゼルリンヌの物語」の上演に際しては、字幕が舞台の両袖にあったかもしれませんが、記憶が定かではありません。この頃は、字幕なしとか字幕があってもストーリーの概要だけという形で、外国語で上演する演劇が時々ありましたから、もしかすると、この作品も字幕というほどのものはなかったかもしれません。

そうした上演形態であったにも関わらず、フランス語をまったくわからない者にも、ジャンヌ・モローの語り口やしぐさから、聞いてはいけないものを聞いてしまうことが感じられます。舞台上の青年と同じく観客も聞かなかったふりをすればいいのでしょうか。

実際、話を受け止めるのに精一杯で、秘密の日記を覗き見してしまったかのような感覚に囚われます。観劇後には、とても内容を口に出して論じるわけにはいきません。黙って、劇場を後にするのみです。

この舞台と、映画「小間使いの日記」(ルイス・ブニュエル監督)の印象が重なって増幅されるせいか、個人的にはジャンヌ・モローといえば、小間使いの扮装をしていて心の奥底に強い意志をもった女性というイメージが強く形成されました。

「死刑台のエレベーター」(ルイ・マル監督)や「突然炎のごとく」(フランソワ・トリフォー監督)のような生き方の自由度が高いイメージの女性を演じても魅力的ですが、小間使いとして仕えるという自由度が制限される立場にありながら、心に誰も触れることができない何かをもった女性を演じるのも、実に見事でした。

 

ちなみに、「ゼルリンヌの物語」が上演された頃は、字幕なしとか字幕があってもストーリーの概要だけという形で、外国語で上演する演劇が時々ありました。

たとえば、英語での「薔薇戦争7部作」(イングリッシュ・シェイクスピア・カンパニーによる東京グローブ座杮落とし公演)、スウェーデン語での「令嬢ジュリー」、ロシア語での「森は生きている」「ワーニャ伯父さん」などを観たことを覚えています。

演劇は言葉の芸術であることは改めて申し上げるまでもないことですが、その一方で、言葉を超える表現とか言葉では表現できない感情や意志といったものを表現する芸術であることを実感させてくれた俳優の代表がジャンヌ・モロー氏でした。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170801-00010000-afpbbnewsv-int

 

【注2

シアターアプルは、新宿区歌舞伎町にあった中規模(キャパ700人程度)の劇場でした。現在は、ホテルグレイスリー新宿やTOHOシネマズ新宿が入っている(ゴジラがランドマークとなっている)ビルになっています。

もともと、この場所にあった新宿コマ劇場の稽古場として使われていた地下1階のスペースを改装して、ダンスやミュージカルを主体にした劇場を目指して開設されたと聞いたことがあります。そのため、演者の足元がどの客席からも見通すことができるように、座席配置などもワイドに広く奥行きは深くなかったように記憶しています。

杮落とし公演は、トワイラ・サープ・カンパニーのコンテンポラリー・ダンスだったと記憶しています。その後、「不思議の国のアリス」や「星の王子さま」といった原作をベースにしたオリジナル・ミュージカルを上演したり、「キャバレー」のようにブロードウェイ・ミュージカルを日本人で上演したりすることが多かったようです。また、毎年8月に定期公演となっていった「カンコンキン・シアター」やワハハ本舗の本公演などのお笑い系の舞台もありました。

なかでも忘れられないのは、野田秀樹氏が初めて原作をもとに舞台化した「半神」(原作・萩尾望都)です。白い布が舞台全体を覆いながら波打つように動き続けており、シャム双生児という切るに切れない関係、そこに飲み込まれかねない主人公二人の関係を、視覚的に理解させてくれたものでした。これも、シアターアプルの構造(幅広く見渡せると同時に多くの座席がステージをやや見下ろすような高さにある)を活用したものではなかったかと思います。

 

【注3

「ゼルリンヌの物語」については、次のブログに詳しく紹介されています。

https://plaza.rakuten.co.jp/plexus/diary/200605170000/

 

 

作成・編集:QMS代表 井田修(201784日)