人間の仕事からコンピューターの仕事を差し引くと(後)
たとえば、給与の支払いという仕事を考えてみましょう。
昔々まだコンピューターもない時代には、社員一人ひとりに支払うべき給与は、給与計算担当者が手計算で金額を算出していました。そして、その金額を現金で手渡すために、札や硬貨の種類と枚数を事業所別に用意して銀行から運び込み、各人の封筒にぴったりの金額となるように現金を入れて封をして、支払日には金庫から取り出して本人に手渡しする、そういう作業が行われていました。
今では、圧倒的に多くの会社では、こうした作業は経理(給与計算)システムや金融機関の取引システムの連携で処理され、支払日には個人の口座に給与が支払われているでしょう。現金の輸送・搬入・仕訳・保管といった仕事や、そもそも給与を計算する仕事も、人間が直接、手作業で行うという意味においては、大半がなくなっていることでしょう。
もちろん、給与計算結果を確認したり、計算途中や支払後に何か問題があれば対応したりする仕事はあるとは思いますが、手計算の時代に比べれば、少人数の担当者がより多くの人数の給与を処理していることは間違いありません。
給与計算という仕事のミッションが変わってきていることにお気づきでしょう。
昔は、正確に間違いなく計算して、所定の期日に間に合うように現金を手渡す、ということがミッションでした。金額も納期も間違いなくやりきることが求められる仕事であったわけです。
一方、いまは、昔のようなミッションは機械(システム)に任せて、人間の果たすべきミッションは(会社によって人事部門や管理部門の構成が異なるので一概には言えませんが)社員へのサービスでしょう。給与に関するさまざまな取り扱いについて問い合わせに答えたり、税務や社会保険等の面で社員に不利な扱いや問題が生じないようにサポートしたり、といったものになっているでしょう。すでに、こうしたサービスにもAIが用いられているので、すべてが人による仕事というわけではありません。
もちろん、単なる給与支払いだけという仕事の定義のしかたから、給与支払いも含めた幅広い人事業務(たとえば福利厚生プログラムの運用管理とか採用・異動・退職等の手続きなど)というように、仕事の範囲も拡大しているのが一般的です。
別の例を挙げましょう。
電信技術が発明されて、電話交換手という仕事が生まれました。今では信じがたい話ですが、電話が世の中に広がり始めた当時からしばらくの間は、電話は、掛ければ相手に自動的につながるものではありませんでした。掛けた人が相手の電話番号(といっても10桁以上もあるわけではなく数桁でしたが)または住所や名前を交換手に告げて、交換手が掛けた人の回線を相手の回線につなぐことで、電話がつながって話ができるようになったのです。
後に、電話交換という仕事は全面的に機械化され、さらにシステム化されるようになりました。いまでは、電話回線網そのものが変わり、インターネット経由で電話と同等のサービスが受けられるようになりました。
電話交換手という仕事は、テクノロジーの進歩で生まれた仕事であり、技術が発展するに従って、消え去った仕事でもあります。
ここで、給与支払いも電話交換手も、どちらも情報を扱う仕事であることに気づかれるでしょう。
コンピューター、その進化した形態としてのITシステムは、当たり前ですが、情報を処理する能力において、人間の能力をすでに大きく凌駕しています。今後もこの傾向は続くでしょうし、進化のスピードと規模はさらに大きくなるでしょう。
ということは、主に情報を扱うことが仕事の本質である仕事は、コンピューター(ITシステム)にとって代わられるのが必然と思われます。特に、数値や文字などのハードデータを一定のルールやフォーマットに従って入力・転記・変換・出力することに、仕事の本質が存在する仕事は、人間が行うことはなくなるでしょう。
さらに情報を加工して、新しい意味を見つけ出すというところまで、コンピューター(AI)は作業として行うことができるようになっています。機械学習や深層学習(ディープラーニング)といったアプローチが、ますます、そうしたトレンドを加速しています。
実際、IBMのワトソンが提案するレシピに基づいて、プロの料理人が新しいメニューを作ることができるそうですが、既存のレシピやメニューに関する情報を操作して、新しい情報(レシピ)を生み出すことにおいては、先入観がない分、コンピューター(AI)のほうが創造的かもしれません。
それでは、シェフという職業がなくなるかというと、そうは思えません。シェフの仕事の価値は、単にレシピを作り出すことではないからです。
それは、第一に、料理を作ることです。レシピはそのための設計図か説明資料のようなものです。AIだけでは料理は出来上がりません。料理人の価値は、食材や道具の選択・調達に始まり、手際良く、また見栄えも良く、おいしい料理をその場で作り出すことに他なりません。
ましてや、レストランのオーナーシェフともなれば、一般的な意味でのマネジメントやアントレプレナーシップなどを発揮することも、大事な仕事と言えるでしょう。
お得意様への対応、新しい顧客の獲得、新店舗の出店、既存店舗の改廃、食材の管理、原価の管理、財務や経理、調理スタッフやサービススタッフなどの人事管理などなど、ITを活用して多くの作業や意思決定のサポートを得ることはあっても、最終的には、オーナーシェフ自らが決めていかねばならないことばかりです。それらが、シェフの仕事となるのです。
もちろん、これまでにはなかった、新しい種類の仕事も次々に生まれてくるでしょう。そうした新しい仕事の例として、仮想通貨バンカー、クラウドファンディング・スペシャリスト、人工知能クリエイターなどといったものが予想されています(注6)。
ここで注意したいのは、新たに出現してくる仕事は、これまでにもいろいろなものが出現して、なかには、その後に消えていったものもあるということです。そうした流れをコンピューターが促進してきたことはあるとしても、仕事そのものを生み出してきたわけではないでしょう。
経済社会において、より根本的に人間が生み出すことといえば、起業することとマネジメントをすること、何かを作り出して顧客(市場)を作り出すこと、これらに尽きるのではないでしょうか。大事なことは、作業ではなく仕事なので、そこに付加価値が生まれることです。
言い換えれば、付加価値が何も生まれないのであれば、いかに高度な技術が必要であったとしても、作業ではあっても仕事とは呼べないでしょう。人が介在して、何らかの価値が生じるところに、仕事が存在し続けるのでしょう。
こう考えてみると、人間の仕事からコンピューターの仕事を差し引くということは、仕事から作業を差し引くことかもしれません。残るのは、人間が生み出す付加価値そのものではないでしょうか。
【注6】
JBpress2015年12月3日「2030年に有望な職業とは?」において、仮想通貨バンカー、クラウドファンディング・スペシャリスト、人工知能クリエイターなどが紹介されています。詳しくは、以下を参照してください。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45432
作成・編集:QMS代表 井田修(2015年12月29日更新)