人間の仕事からコンピューターの仕事を差し引くと(前)
12月もこの時期になると、毎年ふと思い出すものがあります。それは、「悪魔のいるクリスマス」(注1)という芝居です。
1980年代の第三次小劇場ブーム(注2)のなかでも、メルヘンのような、寓話のような、テイストが持ち味となっている作品です。長く毎年恒例のように上演されていて、筆者も幾度となく観客の一人として客席にいました。
この芝居の中盤で、メインキャストの「作家」と「少年」と「少女」が雪の降る公園を舞台に、人間からコンピューター的なものを引くと、真に人間的なものが残るという、一連のやりとりがあります。
この作品が書かれた1980年代前半は、コンピューターが実用的なレベルで小型化・低価格化され、“マイコン”(注3)やワープロが市販されるようになり、オフィスや個人で使う場面が次第に多くなってきた頃です。
その後、コンピューターの小型化・高機能化が進んで、30年以上を経た現在では、コンピューターなしでは日常生活が成り立たないことは、改めて申し上げるまでもありません。むしろ、仕事や生活のあらゆるところで利用しているので、敢えてコンピューターの存在を意識することはほとんどない、と言うほうがより適切かもしれません。
「悪魔のいるクリスマス」は、1980年代という時代背景を受けて、「少年」がコンピューター(と太宰治)を語り、「作家」や「少女」が日々の生活を語ります。そこから、日々の生活を営む人間からコンピューター的なものを引くと、真に人間的なものが残るという、いまも記憶に強く残っているシーンにつながります。
ところで、今年を振り返ってみると、まさに、真に人間がやる仕事とは何か、ということを改めて考える時期が来ているように感じます。
たとえば、今年は、Pepperが市販され始めたり、ハウステンボスに“変なホテル”がオープンしたりするなど、ロボットが販売活動やサービスの現場で稼働し始めました。
これまでも、製造現場や管理業務などでは、ロボットや自動化されたシステムが人間のいない状況でも稼働して、企業活動を行うことは一般に見られる光景でした。そこから、教育・医療・福祉・サービスなど一般の顧客や利用者に直接的なインターフェースをもつところでも、広く活用されるようになってきました。多分、来年には、ロボットがいるだけでは何も珍しくはなく、話題にもならなくなっているでしょう。
その一方で、イギリスでは「消える職業」(注4)に関する調査結果が発表されて、注目を集めることとなりました。日本に焦点を絞って行われた野村総合研究所の調査(注5)でも、同様の結果が公表されています。
さて、このままロボットやITシステムが企業活動の全面でより広範囲に活動するようになるとすれば、人間がやる仕事とは何になるのでしょうか。
その答えは、○○という職業が消えるとか、新たに○○という職種が人気を集める、といったものではないでしょう。多分、全ての職業・職種で、仕事のやりかたが変わる、仕事の意味(価値)が変わるのではないでしょうか。
【注1】
在間ジロ(北村想)作・流山児祥演出で1984年12月に下北沢の駅前劇場で初演され、その後、長く上演が繰り返された作品です。初演の概要およびチラシのイメージは、以下のサイトを参照してください。
http://www.ryuzanji.com/r-kiroku1984.html
【注2】
1960年代以降の日本の小劇場についての概略は、たとえば、国際交流基金 Performing Arts Network Japan のサイトにある、以下の論考をご参照ください。
http://www.performingarts.jp/J/overview_art/1005_06/1.html
【注3】
マイクロ(小型)・コンピューターを略してマイコンとなったとされるとともに、個人で使える私の(マイ)コンピューターという意味から略してマイコンと呼ばれるようになったとも言われていました。
性能面では、現在のパソコンやスマホからみれば、何桁も下のものでしたが、それまでの大型コンピューターから見れば、実に小さくなりました。
【注4】
イングランド銀行の調査については、たとえば、以下の記事に紹介されています。
「20年後には『労働人口の半分』がロボットに仕事を奪われる:英調査」
WIRED.jp 2015年11月18日配信
【注5】
野村総合研究所のニュースリリース「日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に」について、詳しくは同所のサイトにある以下のニュースリリースをご覧ください。
https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspx
作成・編集:QMS代表 井田修(2015年12月16日更新)