さまざまなベンチャー企業の「人材・組織・働き方」をご紹介していくインタビューの第8弾。
今回は、IT業界を中心にプロジェクトマネジメントの支援事業を行っている、株式会社 ASKA Planning 代表取締役 永谷裕子さんにお話を伺います。
― プロジェクトマネジメントといいますと、ITのシステム開発というイメージが強いのですが。
永谷さん 本来、プロジェクトマネジメントというのは、ITに限りません。建設や製造業、流通やサービス業、官公庁やNPOなど、業種業界などを問わず、幅広く活用されています。
私自身は、30年近く外資系企業において、さまざまな業種のIT部門でシステム関連の仕事を中心にしてきましたから、専門分野は一応、ITのグローバル・プロジェクトマネジメントになります。
プロジェクトマネジメントには、ツールや技法を駆使しての管理的側面とチームを纏める人的な側面がありますが、私は特に人的資源の課題解決を支援することに力を入れています。
― 人的な問題というと、要員が足りないとか?
永谷さん 数の問題よりも質の問題にフォーカスしています。たとえば、仕事の進め方や多種多様な立場の人々、プロジェクトのステークホルダーと言いますが、その人達との人間関係の構築、ストレスマネジメントやメンタルヘルスの問題、さらには、英語の能力も含めた、グローバルプロジェクトを遂行するために必要な能力やキャリア開発などです。
こうした人的資源の課題を解決するには、単にPMBOK®ガイドを導入すれば、それで解決というわけにはいきません。
― プロジェクトマネジメントの手法とか方法論を改善すれば、解決するのでしょうか。
永谷さん 実際にプロジェクトマネジメントを支援させていただいている経験から言えることは、プロジェクトマネジメントの手法や方法論の型通りの導入だけでは、人的資源の課題は解決しないことです。
必要なことは、手法や方法論が生まれてきたプロジェクト管理の社会・文化的な背景や心理学的な人間理解であるとか、チームをうまく機能させるためのステークホルダーの暗黙知や、文化的な前提条件といったところを的確に理解することです。理解していないと、プロジェクト・チームの生産性を高めることは出来ないと思っています。
― 背景がいろいろありそうですね。
永谷さん 長年のプロジェクトマネジメントの実務経験から、私がプロジェクトマネジメントという考え方や手法を普及させていく必要があると思ったのは、二つの点からです。
ひとつは、仕事を見える化して、効率的に仕事をすることができるようになり、働く個人を楽にさせ、その上にチームとしての生産性を上げることができればということです。
もうひとつは、ITプロジェクトの発注者として多国籍企業のプロジェクトマネージャーを長く経験してきましたが、日本のITベンダーのエンジニアの働き方には問題が大きいと感じてきたことです。
― 「仕事を楽にする」と「働き方の変革」ですか。
永谷さん 賢いプロジェクトマネジメントは、二つの貢献を果たすと考えています。
ひとつは、効果的なプロジェクトマネジメントの導入は、プロジェクトの成功を高め、そのことが現場や組織、そして企業を成長させます。企業の継続的な発展に大きく寄与します。
もうひとつは、プロジェクトに関わって仕事をしている個人の成長であり、個人の育成をサポートする点です。こちらは、キャリア開発や能力開発につながります。
― なるほど。
永谷さん プロジェクトマネジメントというものが生まれて体系化され普及している背景には、アメリカ人の実践的な効果を重視する姿勢や、アメリカ企業の効率を目指す発想が大きく影響していると思います。
それは、一言でいえば、仕事を楽にやりたい、スマートにやりたい、スリムにやりたい、そういう発想です。
これは、日本人の仕事観とか日本の商慣習とは大きく異なります。
― 確かに、そうですね。今は多少変わってきているかもしれませんが、従来の価値観とは違いますね。
永谷さん よく「お客様は神様」といいますが、神様の要望とあれば、残業どころか、休日出勤や仕事の持ち帰りも当然となってしまいますし、顧客の事情による仕様変更でも対応するのが当たり前、という発想に陥りがちです。
― もう少し詳しく、お願いします。
永谷さん たとえば、大手のITベンダーなどで新卒採用した人たちを対象にプロジェクトマネジメントを教えています。その人たちは、ITエンジニアである前に、その企業の社員として様々な社員教育を受けたりしています。その過程で、日本の仕事観や労働慣行、商慣習などを刷り込まれてしまいます。
結局、PMBOK®ガイドに代表されるプロジェクトマネジメントの方法論の背景にある考え方や仕事に対する価値観よりも、日本の伝統的な企業人といいますか、サラリーマンといいますか、そういう人たちの考え方や価値観になじむように要請されているように感じます。仕事に就職するより、特定の企業に就職する、そこが日本のプロジェクトマネジメントを理解する上で必要な要素と思います。
残念ながら、これでは、プロのエンジニアやプロジェクトマネージャーとしてのものの考え方やプロジェクトマネジメントの価値観は身につきません。PMBOK®ガイドに従ってプロジェクトマネジメントを教育しても、受け入れるメンタリティや行動様式がない状況では、難しいのが現実です。
― そうした状況は、長年続いているわけですね。
永谷さん そうです。もちろん、日本の企業社会の価値観や商慣習が、適切なプロジェクトマネジメントの実現を阻む大きな壁であることは、ベンダーの経営者でも気づいている人は気づいています。
ただ、それをどのように克服していったらよいのか、手の打ちようがないのではないでしょうか。自社だけではどうにもならない、ということもまた事実ではありますね。
― 結局、手法としてのPMBOK®ガイドを導入するだけになってしまうわけですか。
永谷さん そうなると、よけいに現場に負荷がかかり、メンタルヘルス上の問題も発生しやすくなるかもしれません。それが、現状と言えるのではないでしょうか。
(2016年1月11日掲載)
IT業界を中心にプロジェクトマネジメントの支援事業を行っている、永谷裕子さんにお話を伺う第2回は、ASKA Planningの事業内容について、ご紹介いただきます。
― ところで、事業を立ち上げられたのは、いつ頃からですか。
永谷さん 会社の設立登記をしてからは、もう5年ほど経ちますが、実質的には2012年頃より、プロジェクトマネジメントの啓蒙活動および支援事業を中心に事業を展開しています。
― 具体的なサービスは?
永谷さん ASKA Planning としては、大別して4種類の事業に取り組んでいます。
第一は、プロジェクトマネジメント研修です。主に、プロジェクトマネージャー、グローバル・プロジェクトマネージャー、女性プロジェクトマネージャーなどの育成セミナーを行っています。
第二は、プロジェクトマネジメント支援のコンサルティングです。プロジェクトマネジメント・オフィスの設立・運営をサポートしたり、グローバル・プロジェクトマネジメントに関するコンサルティングを行ったりしています。
― ITプロジェクトマネジメントの支援やそのための人材育成が事業の中心ですね。
永谷さん そうですね。そこに付加して、メンタルヘルス、特にカウンセリングのサービスを行うのが第三の事業です。私自身、産業カウンセラーでもあります。
そして、“Biz Talk Café”と称していますが、定期的に英語カフェを開催しています。ここでは、ビジネス英語やビジネス・マナーを習得することを通じて、ファシリテ―ションやロールプレイを学んだり、人脈作りにつながったりする活動も行っています。
― カウンセリングに英語カフェですか。けっこう、手広くサービスを展開されていますね。
永谷さん セミナーだけ、カウンセリングだけ、というのでは、なかなかビジネスがうまく回っていかないところもあります。幸いなことに、これまで培ってきた人脈なども活かして、社外関係者の協力も得ながら、いくつかの形でプロジェクトマネジメントを支援する仕事をしています。
― 昨年は、監修された「プロジェクト現場のメンタルサバイバル術~16の物語から読み解くプロジェクトマネジメント術と人間術」(2015年・鹿島出版会)も刊行されましたね。
永谷さん そうですね。ここ10年ほどは、著作物や研究発表など、これまでの経験をアウトプットとして形にしています。
共著としては、「グローバル・プロジェクトマネジメント」(2013年・鹿島出版会)、「PMBOK活用ガイド 日本の企業文化に適応させるためのヒント」(2012年・オーム社)、「PMハンドブック」(2008年・オーム社)があります。「戦略的PMO」(2008年・オーム社)は当時のPMI日本支部PMOプロジェクトチームのメンバーとの共著です。
共同での翻訳書としては、「プロジェクト・マネージャーの人間術」(2007年・アイテック)と「プロジェクトマネジメント・オフィスツールキット」(2005年・テクノ)があります。
― 東京地方裁判所の調停委員もされているそうですが。
永谷さん その経験から言えることのひとつは、PMBOK®ガイドが効果を発揮するのは、やはり、発注者にせよ開発者にせよ、グローバルなプロジェクト開発環境であることです。特にオフショア開発などでは、プロジェクトを成功させるには、PMBOK®ガイドに準拠したプロジェクトマネジメントを行うのは必須であり、そのフレームをお互いに理解していることが前提条件でもあります。
このあたりは、裁判や調停の場で、ITプロジェクトが問題を起こしているのを目にするたびに、日本のITベンダーがいかにプロジェクトマネジメント、特にグローバルは環境でのマネジメントに弱いか、実感してしまいます。
― なぜ、日本企業はそのあたりが弱いのでしょうか。オフショア開発にしても、海外企業との共同プロジェクトにしても、それなりに経験も積んできているのではないでしょうか。
永谷さん 多くのITベンダーは、日本の企業を顧客としていますから、PMBOK®ガイド的なプロセス志向に基づいたマネジメント手法を、プロジェクトを進める前提条件としていない、むしろ人間関係を重視したやり方が多いですね。
日本企業同士の間では、長年のお付き合いなどもあるため、個々のプロジェクトできっちりと仕事を詰める必要がなかったり、所属する企業は違っても人的なつながりは長期的に維持されるので、おかしなことはできないという信頼関係が形成されたりしているのかもしれません。
ただ、プロジェクトの現場では、信頼関係だけでは上手くいかないこともあります。限られた時間・予算・要員などの資源のなかで、結果を出すことが求められます。そこでは、ある意味、客観的で、冷静なマネジメントの姿勢が求められます。
日本の企業体質ともいえる、社員の従順さやおとなしさがプロジェクトの失敗を生じさせてしまう要因のひとつかもしれません。そして、ひいてはそのような姿勢が、個人のメンタルヘルスの問題に転換されていくこともあります。
(2016年1月18日掲載)
プロジェクトマネジメントの支援事業を行っている永谷裕子さんへのインタビューの第3回は、起業されるまでの経緯を中心にお話を伺います。
― ところで、永谷さんは大学あたりから、ITとかコンピューター・サイエンスなどを専攻されていたのですか。
永谷さん いいえ、全く違います。英文科から心理学、その後、MBAを取ってから、本格的にシステム関係のことを学びました。
― 完全に文系ですね。
永谷さん そうなります。札幌の出身で、中学、高校、大学と女子校、いわゆるお嬢さん学校に通っていました。
大学は英文科でしたから、そのまま卒業していれば、日本で結婚ということになっていたかもしれません。同級生の多くは、そういう道を歩みましたから。
― 永谷さんはそうではなかったわけですね。
永谷さん 大学3年のときにアメリカに留学しました。それから、結果的に13年間アメリカですごしました。その間、心理学で学位、MBAで修士を取り、オハイオ州コロンバスの企業に就職してITのキャリアを積みました。
― 英語から心理学、心理学から経営学ですか。
永谷さん MBA取得後、心理学も活かして仕事ができそうなところもありました。実際、すぐに仕事の話もきました。ただ、それだけでビジネスの世界で勝負するには、英語が母国語ではないだけに、相手を言葉で説得してビジネスを進めていくのは容易でないと悟りました。
そこで、技術的な裏付けがあって、言葉よりも技術で仕事を進めることができる分野ということで、コンピューターやシステムなどをプログラミングの基礎から、最初に就職した保険会社で学びました。
― 日本には、いつ戻られたのですか。
永谷さん コロンバスで4年ほど仕事をして、日本に帰国しました。といっても、仕事上は、アメリカ人が日本に赴任してきたみたいなものです。なにしろ、帰国した時の私は、日本で仕事をしたことが全くなかったのですから。
― 日本の会社というものをご存じなかった?
永谷さん まったくわかりませんでした。極端にいえば、部長と課長のどちらが上かもよくわかりませんし、敬語とか、言葉遣いも難しかったですね。とにかく、日本の企業カルチャーがわからなかったですね。
― 帰国されて最初のお仕事というのは、どういうものだったのでしょうか。
永谷さん アメリカ企業のインターナショナル・ペーパーの工場が姫路にありまして、その生産管理システムを構築するプロジェクトを2年ほど担当しました。それから、東京の外資系保険会社に転じました。
― その後は、日本で仕事をされていたのですか。
永谷さん そうです。基本的には、ヘッドハンターが紹介してくれた案件のなかで、自分なりにキャリアアップできそうなものを計画的に選んできたつもりです。
だいたい、4~5年くらいで転職してきました。そうしたキャリアのなかで、グローバルなITプロジェクトに数多く従事してきました
― 外資系でキャリアを積んで来られたわけですね。
永谷さん 外資系で働く、グローバルに仕事をする、というキャリアは仕事の幅の広さ、常に新しいことへの挑戦など楽しいことは沢山ありますが、少なくとも、安定志向の人には向かないことは間違いありません。
処遇にしても、日本の大手企業のように、安定して昇給して、最後には多額の退職金や年金がもらえるというものではありません。短期の成果が求められる1年契約で働いたこともありました。
キャリアにしても、自分で考えて自分で動く人でないと、やりたい仕事につくチャンスはありません。能力開発もできないでしょう。
― ITの分野でも同様の特徴がありますか?
永谷さん そうです。ITプロジェクトといっても、途中で担当者や上司の責任者が次々と転職していくのが常態です。発注者側も開発を受託した側も、こうした労働慣行が普通です。
このような短期決戦の職場環境では、PMBOK®ガイドのように、きちんとしたプロジェクトマネジメントのツールや技法が必要となるわけです。
― そうした経験を踏まえて起業されたのですか。
永谷さん 外資系企業に勤めていて、すぐに起業したわけではありません。その後、Project Management Institute 日本支部の事務局長やプログラム・ディレクターの仕事を通じて、PMBOK®ガイドの普及に務めてまいりました。
― それから、ASKA Planning を創業されたのですね。
永谷さん そうです。これまでのキャリアで身につけてきたものを、全て活かせそうなものなので、チャレンジしてみようと思いました。
(2016年1月25日掲載)
ITを中心にプロジェクトマネジメントの支援事業を行っている永谷裕子さんにお話を伺う最終回は、女性活用と今後の事業展開について語っていただきます。
― 日本企業の女性活用というと、男女雇用機会均等法以来、ここ30年以上、普遍のテーマという感じですが、IT業界の女性活用についてはいかがでしょうか。
永谷さん まだまだ不十分としか、申し上げようがありません。プロジェクトマネジメントに限ってみても、私の知る限り、女性でこれは、という人はほとんど外資系の企業でプロジェクトマネージャーをしています。
― どうして進まないのでしょうか。一般的なことは措いておいて、IT業界に特有の事情とか原因があると思われますか。
永谷さん IT業界を企業カルチャーの面から大きく分けると、従来型のベンダーとベンチャーに類型化できるように思います。
従来型のベンダーは、仕事のやり方にしてもビジネスモデルにしても、もうもたないだろう、と長らく言われ続けてきました。それでも、まだまだ生き残っていくでしょう。というのも、安定志向の日本人社員が日本企業を相手にビジネスをしている限り、海外企業や外資系企業が参入しにくいことも事実ですから。
― 従来型のベンダーでは女性を活用しにくいのでしょうか。
永谷さん いま申し上げたような従来型のベンダーでも、新卒の新入社員を男女半々くらいで採用していると思います。採用試験の結果だけ見れば、ペーパーテストもリーダーシップなどの適性の面も、女性のほうが結果はいいらしいですね。
それが入社後5年もすると、大半の女性社員が辞めてしまって、いなくなるそうです。しかたなくかどうかはわかりませんが、残っている男性社員にリーダー教育を施して、プロジェクトマネージャーにしていくわけです。
― ベンチャーに分類できるIT企業では女性を活用できるのでしょうか。
永谷さん IT業界でもベンチャーに分類される企業は、フラットな組織で変化に迅速に対応する、アジャイルな企業カルチャーを実現しているところが多いように思います。
そうした企業では、ウェブやゲームやアプリなど、ITのなかでも、よりクリエイティブな仕事が求められるものを開発しています。こうした分野では、コミュニケーションが特に必要とされるせいか、女性のリーダーやディレクターが活躍している姿をよく見ます。
― ベンチャーではできても、従来型のベンダーではできませんか。
永谷さん 「ダイバーシティは、語る前に実行せよ」といつも口癖のように言ってるんですよ。モノカルチャーな日本企業でダイバーシティを論じることは無意味でしょう。外国人を採用するとか言う前に、女性も活用できないようでは、何がダイバーシティかということです。
従来型のベンダーだって、できないはずはありません。むしろ、やらなければ海外との競争でサバイバルが難しいでしょう。
― 確かに、ソフトバンクの強さは買収や合併などで取り込んだ人材の多様さにあるという話は聞いたことがあります。
永谷さん メンタルに問題を抱えてしまうのも、本人の問題というよりも、その企業のもつカルチャーの問題のほうが大きいでしょう。だから、いつまでも、問題が解決しないのです。
個人について言えば、挫折経験がない人のほうがメンタルに問題を生じやすいように思います。挫折経験を通じて、自分なりにストレスをマネジメントする経験が得られて、“個”の確立につながるからなのかもしれません。
― 大学でも教えていらっしゃるそうですね。
永谷さん ええ。北海道大学、慶応義塾大学大学院、芝浦工業大学大学院で、ここ数年、プロジェクトマネジメントに関して教えています。
それで気づいたのですが、大学は文部科学省の意向もあってか、急激にグローバル対応になってきています。多分、企業よりもグル―バルになってきているのではないでしょうか。先生方も講義を英語で行わなければならず、大騒ぎになることもあるようです。
― 永谷さんは、海外で研究発表などもされていますが。
永谷さん 北大や慶応大学では、英語でプロジェクトマネジメントの授業を行っています。30年前と英語力が変わらないとしか思えないITベンダーとは違い、大学はすでにグローバルの方向に進みつつあります。
英語でPMBOK®ガイドを学ぶということは、その背景にあるビジネス慣習や、社会・文化的な背景を学ぶことになります。上司も部下も自分も次々と転職を繰り返す、という労働慣行ひとつとっても、日本とは大きく違います。そうした違いの中で、仕事のやり方、企業カルチャー、キャリアについての考え方、“個”と組織の関係など、さまざまな背景を理解した上で、PKBOK®ガイドの考え方や手法を習得することが必要と考えます。
大学の時点で、グローバルな企業カルチャーを学び、それを知った上で就職していくと、日本の良いところ、改善が必要なところをより理解していけると思います。異文化のリタラシーを持った人材が増えることを英語によるPMBOK®ガイドの教育で培われていくことを期待しています。
― さきほどの従来型ベンダーの問題を大学生のうちに解消してしまうのが狙いですね。
永谷さん その通りです。従来型のベンダーで問題となるのは、社員一人ひとりの“個”が確立されていないまま、なんとなく状況に流されていくことです。現在の次々に変化するビジネス環境に対応するには、さまざまな“個”からなる多様性豊かなプロジェクト・チームが機能し、変化に柔軟に対応していくプロジェクトマネジメントを実現させることが急務です。日本を知り、世界を知る、互いの良いところから学びあい、切磋琢磨する姿勢がイノベーションを生むと考えます。
― それが企業名にも反映されているのですね。
永谷さん はい。日本に戻ってきてから、全国を旅するうちにいくつかの地名の漢字に心惹かれました。そのうちのひとつが、奈良の明日香です。
企業の明日の香りをプランニングするという意味を込めて、“あすか”という名前を採り、表記はASKA としてグローバルに発音できるものにしました。
― プロジェクトマネジメントという面から、企業の明日をよい香りとなるように、よりいっそうサポートしていただければ、と思います。
本日は、どうもありがとうございました。
インタビューを終えて
永谷さんにお目にかかるのは、このインタビューで4回目でした。いつも元気をいただける方なので、どのようなキャリアを歩んで来られたのか、興味深いものがありました。
英文科は英語の基礎です。心理学は、プロジェクトマネジメントを人の面から支援するのに不可欠な知識体系です。MBAは企業とかビジネスという世界に入るパスポートのようなものです。そして、ITやシステム、PMBOK®などは、実務経験を積むに従って、しっかりと身に付けられたことでしょう。
こうして振り返ってみると、実に計画的で戦略的にキャリアを実現されてこられたように感じます。まず行動してみて、その結果を次に活かすというアプローチは、個人のキャリア形成にも、組織的な起業にも、もっと意識的に実行されていいものかもしれません。
ちなみに、社名のもととなった明日香は、奈良県高市郡明日香村のことです。多くの古墳や天皇陵、遺跡・史跡、寺社などがあります。丘陵地や棚田など自然環境にも恵まれており、古代史および観光で注目を集めています。詳しくは以下のサイトをご覧ください。
明日香村については、http://www.asukamura.jp/
明日香村の観光については、http://asukamura.com/
(2016年2月1日掲載)
写真・構成・文章作成:行政書士井田道子事務所+QMS