早期退職優遇制度の狙いと現実(6)
前回述べたように、常設型の早期退職優遇制度は大企業の論理と事情で動いており、中小企業では制度を常設化する人材マネジメント上のメリットや必要性もなく財務上の可能性もありません。
中小企業の経営において重要なのは、早期退職を促すことではなく、限られた人員の中でいかに給与に見合った成果を出してもらい続けるかという、中高年やシニア層の戦力化のマネジメントになります。決して恵まれているとは言えない処遇水準を前提に、どこまで我慢して働いてもらえるのか、処遇以外の要素で人材を引き付けておけるのか、こうしたポイントを踏まえて会社を経営するのが中小企業経営者の力量であると断言できます。
実は大企業にとっても、単に人材を入れ替えるのは、人材の調達や教育に要するコストを考えると、必ずしも適切なマネジメントの方法とは言えません。できることならリスキリングや組織内でのキャリアチェンジを通じて、自社のカルチャーにフィットしている人材が長く活躍できる場を提供していくのに越したことはありません。ここに現代の経営学や人事管理論の課題があり、先進的な企業の人事責任者たちでも直面しているテーマがあります。
本来であれば、企業の価値観(カルチャー)を理解し、会社へのエンゲージメント(愛着)もある既存の人材をリスキリングして活かす方が、コスト面でも組織の健全性の面でも圧倒的に望ましいはずです。それにもかかわらず、なぜ多くの大企業が早期退職で人材を排出しながら、外から新しい人材を採るという手段を選んでしまうのかというと、以下の3つの高い壁に阻まれているのではないでしょうか。
① 時間のコストと市場からのプレッシャー
リスキリングにせよキャリアチェンジにせよ、結果が出るまでにはある程度の時間はかかります。一方で、事業環境の変化は極めて速いものですし、今後も加速することはあっても、変化のスピードが遅くなることは想像できません。現代のデジタル変革(DX)やビジネスモデルの転換スピードは凄まじく、既存社員を3〜5年かけてリスキリングしている間に、競合他社どころか設立後数年しかたっていない新興の企業に、市場をすべて奪われてしまうという恐怖に経営者が憑りつかれているのかもしれません。
また、短期的な成果を求める株主からのプレッシャーも、経営陣にとって圧力となります。一定期間で結果を出さないと、経営者の交代やM&Aに迫られる以上、時間をかけてリスキリングやキャリアチェンジに取り組む余裕はないでしょう。
② アンラーニング(学習棄却)の難しさ
人事管理論においてよく指摘されているように、中高年やシニア層の社員や管理職のリスキリングやキャリアチェンジで実現困難とされるのが、新しい知識を覚えたりスキルを身につけたりすることではなく、過去の成功体験や古い仕事のやり方を捨て去ること(アンラーニング)です。
長年に亘って培かわれてきた仕事の進め方や成功パターンが染み付いている場合、意識も行動も根本的に変えるには、教育コストをかけるだけでなく、本人が変えていこうと本心から確信することが必要になります。そうした確信を対象となる社員が全員しっかりと心から持つことは無理だ、と経営者や人事責任者が諦めてしまうのが現実です。
実際、アンラーニングは解雇・早期退職や転職のようにそうすることを迫られる情況に置かれても、本人はアンラーニングから新たな学習へと進む意思もスキルも持たないケースがほとんどです。
③ スキル・ギャップの圧倒的な深さ
例えば、旧来の事務職や昔ながらの営業職だった人々を、AIエンジニアやデータサイエンティストであるとか、海外企業やスタートアップとかファンドなどとのタフな交渉ができる人材にリスキリングしようとした場合、基礎知識はまだしも、要求されるスキルセットやマインドセットとのギャップが大きすぎて、所定の教育プログラムで習得できるレベルでは実務的に使える人材に転換することが極めて困難と思われます。それならば、最初からそのスキルを持つ人を外部から調達するほうが確実、という人材確保の計算が優先されるのがビジネスの常識です。
また、アンラーニングの難しさを考慮すると、何らかのビジネス経験がある人を別の仕事に転換するよりも、ビジネスの未経験者にゼロから新しい仕事に挑戦してもらうほうが、スタートがマイナスではなくゼロからというだけでも有利な立場にあるとも考えられます。ここに新卒者を高い初任給で採用する意味があります。
結論として言えるのは、新たなスキルセットやマインドセットを身につけるには、既存の人材を転用するよりも、外部から即戦力となりうる人材を採用するか、若い未経験者を採用して教育するか、いずれか(または両方)を実行するほうが時間的にもコスト的にも有利に違いないということです。
こうした高い壁を前にして多くの企業、特に大企業では、早期退職を募るのと同時並行的に社外からこれから必要とされるスキルやマインドを持つ人材を高給で採用しようとするでしょう。その結果は必ずしも成功とは限りません。失敗に直面することも少なからずあります。
まず代表的なのは、自社のカルチャーへの不適合です。入社直後から組織に馴染めずにすぐに退職する例が多く見られます。外から採った優秀な人材かもしれませんが、自社のもつ価値観や昔からの社風に馴染めず、短期間で辞めてしまうのです。
次に見られるのは、組織の知恵の喪失です。社内外の人間関係、過去の失敗の歴史、顧客との信頼関係など、自社に長くいた人材だからこそ持っていた暗黙知と呼ぶべきものが失われてしまい、結局のところ既存の事業が回らなくなるのです。失われたものを補って余りある成果を新たに採用した人々が生み出しているのであればよいのですが、往々にして失っただけということになりがちです。
そして、残された社員のモチベーションは低下しコミットメントも失われたままでしょう。次は自分たちが入れ替え対象となるかもしれないと悟った若手や中堅の社員たちが、早めに会社を見限って転職してしまうかもしれません。そうした行動に移らない社員は、会社にしがみつくだけということも容易に想像できます。
こうした失敗を経て、自社の人材を信じ、本気でリスキリングして配置転換するという方向に経営方針を転換する企業も出てきています。最初から全員をエンジニアにするような無理なリスキリングではなく、現場の業務知識を持つベテランにITツールを使いこなすスキルを掛け合わせ、業務改善のプロフェッショナルに転換していくというように、自社の事業特性や価値観(カルチャー)をベースにして地に足のついたリスキリングを実践するようになってきました。
人材を育てたり転換していったりするのは時間もコストもかかりますが、企業のもっている組織的なコンピテンシーを強くすることは間違いありません。そのことに改めて気づいた企業は、大企業であっても中小企業であっても、企業の価値観(カルチャー)を理解し、会社へのエンゲージメント(愛着)もある既存の人材をリスキリングしたりキャリアチェンジしたりして活用していく方向に舵を切っています。
こうした企業において、もし早期退職優遇制度を運用しているのであれば、人材の入れ替えというよりも、会社と一定のつながりを保ちながら社外で勝負(起業・転職)をするのを後押しすることが目的となっているはずです。早期退職優遇制度を使って社外に転じた元社員が、自社と事業上のつながりをもって活躍しているのであれば、その早期退職優遇制度はうまくいっていると判断してもよいでしょう。
人材を排出する企業になることは経営判断として仕方がないことかもしれませんが、人材は排出するよりも輩出する企業となることが望ましいものです。そのためには、早期退職優遇制度を常設化するよりも、自律的にキャリアを考えて行動に移す人材が出てくるように、仕事上挑戦する場を組織が用意することもあれば、社員自らそうした場を作り出したいものです。
作成・編集:経営支援チーム&人事戦略チーム(2026年7月7日更新)