退職管理をフレームワークから作り直す(7)
退職管理というマネジメントの機能をフレームから作り直すために、退職手続きを適切に処理することから始まり、退職面談などを通じて退職理由を特定しつつ、同時に仕事に穴を開けないように補充・異動・引き継ぎなどを行うといった組織内部の取り組みを進めながら、一方で採用マーケットにおけるブランディングを行い、アルムナイなどを通じて元社員との関係を維持するというように、退職を契機に組織と市場(外部)との連携に取り組むことの重要性を説明してきました。その上で、退職管理の機能として、人的資本の有効活用とあるべき組織体制の実現という課題に取り組むことが求められます。
この課題は、退職者へのインタビューやアンケート調査などから、仕事上の不平不満、職場の人間関係、処遇や評価への不満、キャリアの行き詰まり、教育体制の課題などを抽出することで、今後の人材活用や職場環境の改善に活かしたり、経営として意図しない離職を防止したりすることに限るものではありません。むしろ、いかに儲かっているビジネスであっても既存の事業では何らかの限界が見えていたり、現有事業ではどうしても人材を活用しきれないところがあったりするかどうかを確認しなければなりません。
つまり、人的資本の有効活用とあるべき組織体制の実現という課題については、課題認識の時点で何をどこまでやるのか、取り組むべきテーマの範囲を特定できないかもしれません。突き詰めていえば、事業基盤そのものを作り替えることに着手すべきかもしれません。そうなれば、組織も業務も役割も全て変える必要性が出てくるでしょうから、全社員を入れ替えることに直面するかもしれません。
そこまで急進的でなく、現実的なテーマとしてひとつひとつの仕事の業務マニュアル作りから始めるということもあるでしょう。この場合、手が届くところから始めるのはいいのですが、マニュアル作成の手間ばかりかかって何も成果が出てこないとか、マニュアルは出来ても作成に貢献した人の報酬は特に変わらず、マニュアルは整備されても社員の異動があまりないためにマニュアルのありがたみを感じることもなく、作り甲斐を感じられないということもあります。
結局、マニュアル作りはベテラン社員の退職をきっかけに慌てて取り組むのが大半でしょう。人的資本の有効活用とあるべき組織体制の実現といっても、先代の経営者が引退(死去)し次の経営者が少しずつ変えていくことができればいいほうかもしれません。
特に中小企業にとっては経営資源が人材しかないということは一面の真実と言えるかもしれません。というのは、一般に、中小企業には大企業のような潤沢な資金も、ブランド力も、最新の設備もありません。そこで、競合他社と差別化できる要素というと、経営者の個人的な能力や資質の違い、または現場で働く人材の質とその働き方ということです。
人的資本の有効活用というと難しく聞こえるかもしれませんが、この言葉を難しく捉える必要はありません。中小企業における人的資本経営の意味合いは、経営者自身も含めて今いる社員が明日もこの会社で自社のために知恵を絞って働くように、組織や働き方をどのように組み立てていくのか、という問いに向き合うことです。そして、経営者や社員のアイデアや労力も活用しながら、仕事や働き方の仕組みをひとつずつ整えることこそが、会社を存続させるための最も確実な投資になります。
大企業のように高額なeラーニングシステムを導入したり、採用に多大なコストをかけたりすることは一切不要です。中小企業の人的資本経営は経営者と社員の距離の近さを最大限に活かして、日常的なコミュニケーションを通じて相互にアイデアを発して試すものであり、形式や手続きよりも実践と検証を通じて試行錯誤を積み重ねるものです。
その際に3点ほど留意したほうがよいポイントがあります。
ひとつは、役割と期待の言語化です。例えば、もっと主体的に動いてほしいというような曖昧な期待を経営者やマネージャーが口にすると、社員は何をどのように動けばよいのか迷うでしょう。できれば個々の社員に対して経営者の言葉で直接伝えることが重要です。「あなたの××な強みが活きると思うから、この業務を任せます。あなたにはこの業務で〇〇という成果を期待しています。」これだけでも、社員は自分の存在が認識されていると感じて、エンゲージメント(貢献意欲)が高まるでしょう。
次に、マルチタスク化(多能工化)によるリスクヘッジです。人材不足の中小企業で、この仕事はAさんしかできないという状態(属人化)を作るのは仕事に穴を開けることにつながりやすい組織上の欠点です。そこで、業務をマニュアル化したり、日常的に小さな異動(配置換え)を繰り返しておくことで、お互いの仕事をカバーできるように2人以上が同じ業務をこなせる状態を作るようにします。これは単なる効率化ではなく、Aさんが病気や怪我で急に不在になっても、もし辞めたとしても、会社が回るという組織マネジメントのリスクヘッジに他なりません。
そして、小さな成功の共有とプロセスの承認もポイントです。人材を社外から採ることが容易でないのであれば、今いる社員を人材にしていくしかありません。結果だけでなく、「〇〇について顧客開拓のアイデアを試した」とか「××業務の△△の仕事を紙での管理からスマホ処理に効率化した」というプロセスの変化を、経営者が朝礼やミーティングなどで具体的に褒めることです。大企業では無理でも中小企業であれば、社長が自分の頑張りをちゃんと見てくれているという安心感を醸成できます。これが、単なる社員から自発的に動く人材へと変えていくことにつながります。
こうしたポイントを踏まえてマネジメントに当たったとしても、事業構造そのものを変えなくては組織が立ちいかなるケースもあります。例えば、ひとつの会社からのみ発注を受けている下請け企業であったり、重篤な感染症や戦争が発生するなど限られた時間の中で急速に変化する顧客や市場に対応しなければならない状況に置かれている組織です。
こうした状況では、事業(ビジネスモデル)の転換は不可避であることは間違いないのですが、それをどのように進めていくのかという点では、トップダウンで全て進める方法もあれば、社員とともにスクラムを組んで取り組むというアプローチもあります。いずれにしても一定規模の人員削減を伴うリストラクチャリングを進めることは避けられませんから、退職管理の機能として、人的資本の有効活用とあるべき組織体制の実現を企図することにもなります。
トップダウンで取り進めるならば、退職と採用を同時に大胆に進めることになりますし、そもそも経営者を入れ替えるところからスタートすることも珍しくはありません。社員とともにスクラムを組んで進めるのであれば、経営者の考え方やアプローチについていく覚悟のある人々に絞り込んだうえで、具体的な事業転換に取り組むことになります。
後者の場合、事業をゼロから見直すためにこそ、経営者を含めた今いる人材の知恵が必要不可欠です。だからこそ人的資本の活用が最優先課題になるのです。とりわけ中小企業が下請け構造からの脱却を目指す際には、改めて問うべきポイントが3点あります。
まず、経営者1人のアイデアで脱・下請けができるかどうかです。事業構造をゼロから見直すと考えたとき、経営者1人の頭の中だけで画期的な新製品や新サービスを思いつき、形にできるケースは極めて稀です。スタートアップを1人でやろうとするのと同じことです。
毎日、発注元の無理難題に対応しているのは現場の従業員ですから、発注元の〇〇課長から××の件で先日言われたことがあったり、「他社が断ったこの細かい加工をうちでちょっと工夫したら出来ちゃいました」といった、顧客の本当の困りごとや自社で見逃している技術に気づいているかもしれません。こうした現場に落ちているビジネスの種を、経営者が吸い上げて新たな事業の種にしていくことも、人的資本の活用に他なりません。
次に、仮に発注元が1社しかないとしても、発注元が手放したくない(手放したら発注元の事業が立ちいかなくなる)下請けになるというアプローチが可能かどうかを問うことになります。それには、経営者だけでなく社員や関係者も含めて様々に知恵を絞ることが必要です。
下請け=言われた通りに作るだけの会社と思い込みがちですが、実は下請けの中にも言われた通りに作るだけ(=買い叩かれる)下請けと頼み込まれる(=利益率の高い)下請けの2種類が存在します。後者は、言われた通りに納品するだけでなく、機能・品質・コスト・納期などの面で発注元が困っているであろうことを見越して提案したり、相談されたりするでしょう。そうなるためには、最新の設備や技術ではなく、どうすればもっと発注元が助かるかを考える現場の知恵と工夫が必要です。これも人的資本の活用と言えます。
そして、経営者が新たに事業を変えても、誰が動かすのかを問うべきです。答えは改めて言うまでもなく、社員です。
仮に、経営者が素晴らしい新事業を思いつき、下請けから脱却して自社オリジナル製品の販売を始めるとします。しかし、それを形にし、営業し、顧客をサポートするのは、今いる社員たちであり、新たに採用される社員です。社員を多少入れ替えたとしても、言われたことだけやっていればいいという環境となっている組織では、いきなり今日から新規事業だから各自クリエイティブに考えながら行動してほしいと言っても、動ける人はいないでしょう。
このように、退職管理から人的資本の有効活用とあるべき組織体制の実現へと課題認識を深めていくと、事業基盤そのものを作り替え、組織も業務も役割も大きく変えることに着手しなければならないことに気づくかもしれません。その際、ハード(事業)だけを新しくしても、ソフト(組織・業務・人材)が古いままでは、うまくいくはずがありません。つまり、事業の再構築と人的資本の有効活用は、同じ課題の二つの面なのです。
事業の再構築はトップダウンで進めるとしても、実際にその事業がうまく回っていくには人的資本の有効活用が不可欠です。人的資本の有効活用というのは、今いる社員にこれまでのやりかたでもいいので小さな工夫(知恵)を求めて、その工夫によって試行している仕事の効率が上がり、具体的な結果が出始めると経営者と組織に時間的・資金的な余裕が生まれ、更に現場の工夫(知恵)を交えながらより効率的なやりかたを進めていく、といったサイクルが回ることにつながっていきます。こうしたサイクルを回すのに適した組織編制や職務定義を作り出していくことが、あるべき組織体制の実現ということです。
もともと労働生産性が低い業種・業態こそ、退職管理を人的資本の有効活用とあるべき組織体制の実現につなげていくと、大きな効果が得られます。旅館業から大手宿泊サービスに発展した星野リゾートなど、実例はサービスや外食などで数多く見られます。
これらの中には、元々行っていた事業を一度全て止めて、家族や親族中心の経営陣を一新したり、従業員も多くは退職したり解雇したりした上で、実質的にスタートアップを始めることになるケースもあります。むしろ、ゼロからのスタートというよりも、既存事業の整理・廃止などが必要な分だけマイナスからのスタートになるかもしれません。一方で、法人としての連続性がある分、顧客や技術などの基盤を活用できるのであれば、その分はプラスのスタートとも言えます。要は、自社の経営資源や環境をこれまでとは違う目で見て、強み・弱み及び機会・脅威を把握し直すことに経営者は最初に取り組むべきでしょう。
作成・編集:人事戦略チーム(2026年6月5日更新)