東陽一氏と長谷川和彦氏の訃報に接して
先週、今週と、1970年代後半から80年代にかけて日本の映画を代表するような作品を作り出した二人の監督が相次いで亡くなったことが報じられました(注1)。東陽一氏と長谷川和彦氏です。
東氏はドキュメンタリー出身(岩波映画の助監督など)ですが、70年代にはいると劇映画で頭角を現しました。基本的に自分の制作会社(幻燈社など)で映画を製作し、自主配給か独立系で配給したり、大手の配給会社から監督を引き受けたりする形を取っていました。
特に70年代の終盤から80年代にかけては、女性映画の第一人者と言われていた記憶があります。実際、筆者が個人的に観たことがあるのは以下の作品(注2)ですが、元野球少年だった若い男が入所する少年院での生活を描いた「サード」以外は、女性が主人公で、その生き方を描く作品ばかりです。とは言え、現在から見れば、生き方を見直すようになり始めた段階でしょうか。
「サード」(1978年、永島敏行主演)
「もう頬づえはつかない」(1979年、桃井かおり主演)
「四季・奈津子」(1980年、烏丸せつこ主演)
「ラブレター」(1981年、関根(高橋)恵子・中村嘉葎雄主演)
「マノン」(1981年、烏丸せつこ主演)
「ザ・レイプ」(1982年、田中裕子主演)
「ジェラシー・ゲーム」(1982年、大信田礼子・高橋ひとみ主演)
「セカンド・ラブ」(1983年、大原麗子主演)
「化身」(1986年、藤竜也・黒木瞳主演)
1970年代も後半になると欧米でも女性の生き方を描いた作品がアカデミー賞を受賞するなど、主流となっていきます。「ジュリア」「愛と喝采の日々」「アニー・ホール」「グロリア」などがすぐに思い出されます。日本でも女性客を惹き付けたいという東映やにっかつの興行上の理由もあって、同様の宣伝文句を並べていたのでしょうか。
東氏はその流れに乗って優れた作品を多く作りだすことができた監督でした。特に「セカンド・ラブ」や「化身」の頃になると、女優扱いがうまい職人監督というイメージがあります。
一方、長谷川氏は東大を中退して今村昌平監督に師事した後、日活で契約助監督などを経て、映画監督となります。筆者が個人的に観たことがあるのは氏が監督した全ての作品で、東氏とは対照的に監督作品はこれだけという寡作ぶりです。
「青春の殺人者」(1976年)
「太陽を盗んだ男」(1979年、脚本も担当)
「青春の殺人者」は水谷豊と原田美枝子が主演の青春映画です。ふとしたことで両親を殺してしまう若い男とその恋人の1日の物語です。
「太陽を盗んだ男」(注3)は沢田研二と菅原文太が主演の犯罪アクション映画です。自家製の原爆でテロを企図して政治的なメッセージは皆無に等しいことを要求する教師である犯人と、その犯人に指名されて事件に立ち向かう警部の物語です。特に犯人とほぼゾンビ状態の警部がビルの屋上から落下するシーンとその後のラストは強く記憶に残っています。これは今見ても面白く、数多くのロケシーンも見所が多くあります。
これらを作り出した後も、氏は映画製作を何度も試みていたそうですが、実現することはないまま、訃報を聞くことになりました。もしかすると、新宿のゴールデン街などでのさまざまな武勇伝のほうが世間的には語られることの多いエピソードかもしれません。いつもサングラスをかけている姿やアメフトに打ち込んでいたせいか大柄な体格から、いかにも豪放磊落な人物を想像しがちですが、胎内被爆をした被爆者2世だったことを想起すると、主人公の姿に自身の姿を投影せざるを得なかったのではないかと考えさせられます。
長谷川氏はディレクターズ・カンパニーという映画監督で構成される製作会社を経営するなど、映画を作るシステムの面でも同世代から後進の人たちに大きな影響を及ぼしていったことは、作品の力とともに忘れてはならないでしょう。
二人とも映画が産業として本格的に斜陽化していった時期に、その時代を代表する作品を生み出しました。映画作品として残っているものの数やその後の歩みは実に対照的ですが、20世紀後半の日本映画を語る上で言及しないわけにはいかない二人でした。
【注1】
映画監督・東陽一さん死去 91歳 『サード』『絵の中のぼくの村』手掛ける | オリコンニュース(ORICON NEWS)
映画監督・長谷川和彦さん死去、80歳…「太陽を盗んだ男」 : 読売新聞
【注2】
本文中に挙げた東陽一監督の諸作品については、YouTubeなどを通じて有料で観ることができるものもありますが、これといった素材が見当たらないものもあります。
【注3】
作成・編集:QMS代表 井田修(2026年2月2日)