2026年冬の3冊(3)~「日本映画のために」
3冊目に採り上げるのは、「日本映画のために」(蓮見重彦著、2025年岩波書店刊)です。昨年は映画「国宝」が邦画実写作品として歴代興行収入ランキング1位(注2)となるなど、例年以上に日本映画の活況が見られました。そうした状況と本書が特に関係があるとは思えません。というのも、映画批評家として長年に亘って活動してきた著者が、日本映画を網羅的でもなく、かといって選別的でもなく、1950年代という著者が映画を本格的に観始めるようになる時期を基軸として、日本映画について論じてきたものを集めて構成したものが本書だからです。
さて、本書は大きく5部(Ⅰ~Ⅴ)から構成されています。
Ⅰは、本書に書き下ろされた「内田吐夢論――またはその画面を彩る慎ましい顕在性をめぐって」に始まり、溝口健二(『近松物語』と『残菊物語』)、山中貞夫(全作品、特に『河内山宗俊』)、小津安二郎『東京物語』、成瀬巳喜夫について、著者ならではの作品描写を含めて論じます。
Ⅱは、鈴木清順(特に『悪太郎』)、神代辰巳、吉田喜重(『人間の約束』『嵐が丘』『鏡の女たち』)、澤井信一郎(アイドルを主演に迎えた諸作品)、中島貞夫(『893愚連隊』『狂った野獣』『多十郎純愛記』)、及び京都と映画の関係性について述べます。
Ⅲは、撮影所システムをめぐる4本の論考で、撮影所システムを結果的に創設することになる城戸四郎に始まり、終戦日前後の黒澤明、戦前の撮影所システム、松竹ヌーベルバーグ(特に大島渚について)などを語ります。
Ⅳは、北野武・黒沢清・濱口竜介という3人の現役の日本人監督についての論考です。
Ⅴは、訃報に接して書かれたもので、鈴木清順・吉田喜重・原節子・小川伸介・山根貞夫・青山真治について著者独自の追悼がされています。そして最後に、三宅唱との対談及び小田香・小森はるかとの鼎談を収めることで、次世代の日本映画にまで続いています。
本書の特徴のひとつに、著者ならではの映画を描写する文章があります。その典型的な例として「内田吐夢論――またはその画面を彩る慎ましい顕在性をめぐって」の冒頭を以下に紹介します。
薄暗い壁に据えられた何やら竹製らしい丸い装置が、いくつも乾いた音をたてて廻っている。その動きをはらんだ光景を間近からフレームに収める横長のシネマスコープ画面に、『妖刀物語 花の吉原百人斬り』という題名が、白い文字で縦に禍々しく浮きあがる。それにつれてキャメラが緩やかに左手にパンすると、赤い襷をしかと背中で結んだ何人もの浴衣姿の娘たちが、うつ向き加減に、たがいに視線も交えず、声を掛け合うこともなく、一人ひとりが手拭いで髪を隠しながら、それぞれの持ち場でひたむきに布を織っているさまがなだらかに画面に収められてゆく。機織り機の回転音はなおも続き、同じ色彩の文字がキャストとスタッフの名前を律儀に列挙していくそのクレジット・タイトル画面の背後には、打楽器と管楽器とが緩やかに奏でる伴奏とともに、複数の声で機織り歌が流れて行く。(本書3ページより)
ここで描写されている『妖刀物語 花の吉原百人斬り』という作品を実際に観たことがない者にとっても、スクリーンを現に観ていて音や音楽も聴こえてくるように感じ取れます。映像の作品を批評する際、作品そのものを描写する能力がここまである例を読んだことがありません。批評するものをしっかりと観ているのは批評の出発点であるはずですが、その出発点をしっかりと文章化することで批評を読む者に映画を見せることも映画批評という仕事の一部であることを痛感させられます。
Ⅱは、鈴木清順・神代辰巳・吉田喜重・澤井信一郎・中島貞夫の5人の監督についてそれぞれ論じたものです。中でも澤井信一郎について述べる「祈りと懇願――澤井信一郎論」は、女性アイドルの主演映画を撮り続けた職人的な監督(注3)の作品から浮かび上がる、ある共通点を指摘します。
それは、主人公及び主人公の相手役の祈りの姿です。ここで取り上げられているのは、監督デビュー作の『野菊の墓』に始まり、『Wの悲劇』『早春物語』『めぞん一刻』『恋人たちの時刻』『ラブ・ストーリーを君に』の6作品です。それぞれの主演は、松田聖子・薬師丸ひろ子・原田知世・石原真理子・河合美智子・後藤久美子です。原作も舞台となっている時代も、演じている女優達も異なりますが、祈りの姿という思いもよらない共通点を見出すことで、澤井信一郎という職人的な映画監督のもつ作家性を提示しています。
本書の中でひときわ興味深く読んだのはⅢです。4本の論考を通じて、日本の映画史、特に撮影所システムの歴史を興味深いエピソードを中心に描いています。
日本の映画会社は戦前に大手を中心に確立していき、それが戦後も5社(松竹、東宝、大映、日活、東映)を中心に1950年代の黄金期を迎えます。しかし、1960年代に入るや否や、一気に斜陽化の道を突き進むのは映画の観客動員数などを見れば歴史的にはすぐにわかります。そうなるに至った要因として、映画製作における撮影所システムの成立と崩壊があったことを理解できます。
特に、城戸四郎という撮影所システムに不可欠なプロデューサーについてのエピソードや、黒澤明が『虎の尾を踏む男たち』を終戦日当日にも製作し続けるほど撮影所システムは映画を作ることを当然とする仕組みであったこと、監督に登用される前の若手スタッフのなかから他の技術スタッフや社内外の脚本家などとの切磋琢磨し合う関係が戦前も戦後もあったこと、そうした関係を戦略的に活用した大島渚から松竹ヌーベルバーグが生まれたこと、松竹ヌーベルバーグなどはマーケティング上は成功しても撮影所システム自体は変化がなかったため斜陽化自体は止まらなかったことなどが理解できます。
本書での指摘で意外だったことがいくつかあります。
ひとつは、小津安二郎がタイトルに“東京”がはいるものが5作品もあるということです。そして、家族の物語を描くのが小津の作品ではあるものの、タイトルに東京とつくものが描くのは、失業・窃盗・売春・不倫・非行・堕胎・自殺など悲観的で暗さを感じさせるものばかりだという指摘(本書96ページ)です。その上で『東京物語』がいかに例外的な作品であったのかを指摘します。
また、映画製作時点での現在の京都を舞台にした作品が、ほとんど犯罪を扱っていないというのも、意外なことです。撮影所としての京都は、時代劇で斬り合いを描き、現代劇では警察や刑事を主人公として殺人事件を始めとして様々な犯罪を描いているでしょう。また、テレビドラマとしては、京都は殺人の舞台として1年に何度も登場してきたことでしょう。京都地検も科捜研も女性が主人公で京都を舞台に犯罪が描かれるわけですし、山村美紗の原作ミステリーをドラマ化したものも京都を抜きにしては成立しないでしょう。しかし、映画としては現代の京都を舞台として犯罪や刑事事件を扱った作品がない中で、例外的に作られた『893愚連隊』について取り上げています。
意外とは言えませんが、日本のドキュメンタリー映画への造詣深さについても、改めて認識させられます。Ⅴにあるように小川伸介との交流や小田香・小森はるかとの鼎談を読むと、子供の頃からのドキュメンタリー映画との関わりを含めて「見るレッスン 映画史特別講義」(蓮實重彦著、2020年光文社新書)の第四講で述べられていた、日本映画におけるドキュメンタリーの重要性を想起させられます。この点からも本書は「日本映画のために」取りまとめられたものと言えるでしょう。
【注2】
配給会社の東宝のHP「国宝」歌舞伎座大晦日特別上映会 | TOPICS詳細 | 東宝株式会社によれば、映画「国宝」は次のように紹介されています。
本作は12月30日までの公開208日間で観客動員約1309万8000人、興行収入184.7億円を突破。歴代興収ランキング(※興行通信社調べ)で、邦画実写歴代1位となり、今なお多くの人が劇場に足を運んでいることや、第98回米国アカデミー賞においても国際長編映画賞のショートリスト15作品とメイクアップ&ヘアスタイリング賞の10作品に選出されていることが報告されました。
【注3】
職人的というのは東映の撮影所で長らく助監督を務めていた経歴からイメージに過ぎませんが、原作や題材も異なり演者も毎回変わる中で一定以上の品質をもった作品を作り出し続けるという実績から映画監督としての能力は高いと判断できます。
作成・編集:QMS 代表 井田修(2026年1月12日更新)