2025年夏の3冊(2)~「ファイナル・カット~「天国の門」製作の夢と挫折」

2025年夏の3冊(2)~「ファイナル・カット~「天国の門」製作の夢と挫折」

 

次に採り上げるのは、「ファイナル・カット~「天国の門」製作の夢と挫折」(スティーヴン・バック著、浅尾敦則訳、1993年筑摩書房リュミエール叢書13)です。

前回紹介した映画「砂の器」が、一度は製作中止なったものが14年後に企画として復活し見事に製作・公開された成功例であるとすれば、映画「天国の門」(注3)は、作品として完成したものの、そのプロセスがあまりにひどく、また興行成績が壊滅的に悪かったために、製作会社自体が崩壊してしまった話です。その経緯や背景について作品を製作したユナイテッド・アーティスツ(UA)の製作担当副社長として直接関わっていた著者が、当時の日記に基づいて著したものが本書です。

ユナイテッド・アーティスツ(UA)はもともと、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、チャーリー・チャップリン、DW・グリフィスという、映画史に名を残す4名が、主演俳優や監督の作りたい映画作りを目指して1919年に設立した映画会社でした。そのため、1970年代当時、既にトランザメリカ(TA)社の傘下にはいっていたものの、製作現場に口を出さない風土が色濃く残っていたようです。

「天国の門」が製作されようとしていた70年代後半のUAには、製作本数を増やす圧力がかかっていたようです。そこで、次々に製作に関わるべき作品とその関係者と話し合いを進めていきます。例えば、既にウッディ・アレンと4本製作する契約をしていたので、その3本目と4本目の脚本にゴーサインを出したりするとともに、同時並行で「天国の門」の製作にも当たります。

ウッディ・アレンは、複数本契約(注4)の最初の作品である「アニー・ホール」でアカデミー賞の主要部門を複数受賞するなど、成功を収めることができました。UAが監督・脚本・主演のウッディ・アレン及びその製作チームを評価し、次の作品製作に移るのは当然と言えるかもしれません。

ところが、「天国の門」の監督・脚本のマイケル・チミノについては、本当の年齢すら製作幹部は知らなかった程度の関係でありながら、どうしてスター視してしまったのか、訝しく思わざるを得ません。確かに、脚本家として「サイレント・ランニング」と「ダーティーハリー2」を生み出し、脚本・監督として「サンダーボルト」と「ディア・ハンター」を作りというように、それなりの実績を挙げてきてはいるものの、「天国の門」の製作に着手した時には、まだ「ディア・ハンター」がアカデミー賞を受賞する前だったのに、一流の映画監督であるかのように振る舞うことを認めていたようです。

「ディア・ハンター」が扱っているのは、ベトナム戦争という社会的な課題であり現代アメリカ史で避けては通れない汚点とも言いうるものです。ただ、その扱い方は事実の評価や多面的な視点とは無縁で、白人のアメリカ人の感情に訴えるドラマです。そして、見事な映像美や感傷的な音楽の効果もあって、映画史上に残る傑作のひとつとなりました。

「天国の門」で扱うのは、ジョンソン郡戦争と呼ばれるアメリカ合衆国の歴史上の事件です。ここでも、事実の評価や多面的な視点で史実を描く意図は見られず、映像や音楽・音響効果が優先されます。史実を無視するかのような姿勢は、「ディア・ハンター」への多少の批判で指摘されていたものの、製作陣は無視を決めこみます。

もちろん、製作途中に「ディア・ハンター」でアカデミー賞(作品賞・監督賞・助演男優賞・音響賞・編集賞)を受賞したことで、事後的にハレーションが起こったことは想像に難くありません。まして、「ディア・ハンター」で助演男優賞を受賞したクリストファー・ウォーケンが「天国の門」にも出演するのですから、期待が高まるはずです。

複数の製作プロジェクトを差配しながら、同時にUA及びTAの社内政治(出世競争)にも関与しつつ、製作会社の幹部(エグゼクティブ)の仕事は日常的な忙しさで全てが流れていきます。エグゼクティブといえども、ひとつひとつの作品に直接関わるエネルギーも時間も極めて限られたものになるのは仕方がないことかもしれません。当時は、スマホどころか携帯電話もなく、インターネットもリモートワークもありません。エグゼクティブには秘書がついて雑用をこなし、航空機で東海岸と西海岸を往復しながら関係者に直接会って仕事を進めるしか、他に方法はありません。

こうした事情もあり、製作会社の幹部の目が直接届かないところで、監督が作りたいように作ることに何らかのブレーキをかける人がいない状態に陥ってしまったのかもしれません。製作を準備する段階でも、キャスティングにマイケル・チミノ監督の意向が強く働いていたようです。主演女優のイザベル・ユペールはフランス人で英語があまり得意ではないにも関わらず、ヒロインに起用された事実から理解されるように、直接会っている状況でもブレーキが利かなかったのです。

最終的には、製作費と製作期間が当初の予定よりも大きく長くなりました。製作費は1100万ドルの予算が4000万ドルかかり、宣伝費用も含めると4400万ドルとなりました。本書のタイトルであるファイナル・カット(公開作品のための上映用の決定版を編集する権利)を有するUAは、マイケル・チミノ監督が当初意図していた5時間超のものでは一般公開できないと考え、プレミア上映時には4時間ほどのプレミア公開版を編集しました。しかし不評のため、更に短くして一般公開版は2時間半となりました。日本で当初公開されたものも、2時間半でした。ヨーロッパ版やディレクターズカット版は概ね3時間半程度のものですが、いずれも興行的には失敗と言わざるを得ません。

もちろん、いくら費用を掛けても、掛けた以上の興行収入があればよいのですが、「天国の門」は上映時間の長さだけでも十分に問題作です上に、扱っているテーマもドラマとしての内容も不評でした。その結果、興行収入を議論する前に、公開直後に上映を打ち切られることになり、製作費の10分の1も回収できませんでした。

 

本書の元となった映画製作は50年以上も前のことですし、本書が日本で出版されてからも30年以上が経ちます。それだけ時が過ぎているにもかかわらず、こうした経緯を読み返してみると、改めてプロジェクトマネジメントにおける課題が見えてきます。

映画製作に即して言えば、プロジェクトを進めるリーダーとプロジェクト・オーナー(資金の出し手でありプロジェクトの成果の帰属先であり成果物の所有権者)は明確に区分するとともに、オーナーの代理人である製作会社の製作担当役員はオーナーの意向や資金コントロールを確実に実行することが肝要という点に尽きるでしょう。「天国の門」ではプロジェクト・オーナーであるUA(及びその親会社のTA)が映画製作というプロジェクトにあまりコミットしていないように見受けられます。それが、監督の暴走と呼ぶしかない製作スタイルを助長したのではないでしょうか。

但し、プロジェクト・リーダーである監督が自らの資金でプロジェクト・オーナーにもなるのであれば、他者の干渉をまったく受けずに全責任を負って好きなように製作することは可能です。そうすることで、自ら作りたい作品を作りたいようにして生み出すケースも少なくありません。

一般の組織でも、プロジェクトのオーナーとリーダーは異なります。リーダーは、様々な要素を詰め込んだり、より完成度を高めるように手直しをやり続けたりするものです。オーナーは、そうしたリーダーが暴走してしまわないように、時には直接リーダーに釘を刺したりオーナーの代理人にプレッシャーをかけたりすることが必要不可欠なのです。オーナーとリーダーを兼ねるようなCEO直轄プロジェクトといったものは、なかなかうまくいかないのも首肯できます。異なる役割を兼ねても、結果は出ないのです。

 

ちなみに、筆者は日本で公開された当時、東京テアトル(現在はコナミグループの本店ビルがあるところにあった劇場)で「天国の門」を観ました。ここはスクリーンと客席の間に段差がなくスクリーンと客席が一体化している上映空間で、音響設備も独自のものがあった記憶があります。なお、当HP上の昨年101日のクリス・クリストファーソンの訃報(「天国の門」の主演俳優)の注4で、以下のように述べました。

 

筆者は「天国の門」を日本公開当時(1981年)に東京テアトルで観ました。劇場の構造もあって、自分が19世紀末のアメリカで騒乱に巻き込まれている感に捉われました。音楽や音響効果も、映画で描かれている世界であればこう聴こえるのではというものであって、セリフを含めて必ずしもクリアに聴こえるわけではないことを体験した記憶があります。今なら、イマーシブな体験に近いものだったと言えます。

 なお、日本公開版も約2時間半の短縮版だったためか、もっとこの世界に浸っていたいと思いながらやや物足りなかった気もしました。当時は、ファスビンダー監督の「ベルリン・アレクサンダー広場」やベルイマン監督の「ある結婚の風景」、テオ・アンゲロプロス監督の「旅芸人の記録」や「アレキサンダー大王」といった長尺ものに慣れていたせいかもしれません。

 

 当時であればテレビ用のミニシリーズで製作されていたら、現在ならばストリーミング向けの歴史劇か西部劇のシリーズで製作されていたら、もしかすると収益面でもここまで大きな失敗にはならなかったかもしれません。プロジェクトが大きいほど、その企画開発のタイミングというのも成功の鍵であるかもしれません。

 

 

【注3

予告編の最後にUAのロゴやTAUAを所有していることがわかります。また、UAを買収したのがMGMであるため、予告編も本編もMGMの所有です。

 

【注4

主演クラスの俳優や監督と製作会社が一定期間中に複数の作品を製作することを契約するもの。製作会社にとっては青田買いに成功すればヒット作を安く作れる可能性があり、俳優や監督にとっては仕事が安定するメリットがあります。代表的な例として、パラマウント映画がジョン・トラボルタと出演作3本で契約して、“サタデーナイトフィーバー”や“グリース”をヒットさせ、3本目は“年上の女(ひと)”という恋愛ドラマで失敗したケースがあります。踊りも歌もないジョン・トラボルタなんて観る価値がないと言われたことを思い出します。

 

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2025714日更新)