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2025年夏の3冊(1)~「砂の器 映画の魔性 ~監督 野村芳太郎と松本清張映画」

2025年夏の3冊(1)~「砂の器 映画の魔性 ~監督 野村芳太郎と松本清張映画」

 

 今年の夏は6月から真夏日が続き、梅雨入りした途端に夏本番と思わずにいられない暑さとなり、熱中症の心配や予防に忙しくなりました。暑さを避けて、今春買った「砂の器 映画の魔性 ~監督 野村芳太郎と松本清張映画」を一読し、続けて映画製作に関する本を2冊(「ファイナル・カット~『天国の門』製作の夢と挫折」と「マスターズ・オブ・ライト[完全版]~アメリカン・シネマの撮影監督たち」)読んでみました。

 そこで今回は「砂の器 映画の魔性 ~監督 野村芳太郎と松本清張映画」(樋口尚文著、2025年刊、筑摩書房)を紹介します。この本は、映画評論家として戦後の日本映画を歴史的に描く著作が多い樋口氏が、30年来温めてきた映画「砂の器」(注1)の製作資料や関係者の証言などをもとに、「砂の器」が日本はもとより海外(特に中国)でも感動をもたらしてきたのか、検証と考察を進めています。

 

 本書の特徴として、著者自身が直接行っている関係者へのインタビューや会話に基づいてさまざまなエピソードを紹介しつつ、映画「砂の器」のもつ魅力にどのような効果があったのか分析していく点があります。また、関係者が残したり著者が自ら収集してきた豊富な資料(絵コンテ、メモ、写真、当時の記事など)に基づいて、野村芳太郎監督の演出プランや松竹という配給会社の宣伝や作品上映の模様を明らかにしています。

 例えば、映画のクライマックスとなる、和賀英良が指揮する「宿命」と警視庁内の捜査会議と本浦父子(子が後の和賀英良)の旅路が交錯して進むシーンです。原作と映画(シナリオ)で最も大きく変わっている本浦父子が日本中を遍路姿で歩いて旅していくシーンについて、その狙いや効果を分析するとともに、橋本忍と脚本を書いた山田洋次と交わした会話が紹介されています。

 

それにしても「自己の業病をなおすために、信仰をかねて遍路姿で放浪」という程度にしか原作では語られていない千代吉と秀夫の旅路がシナリオ第一稿ではすでに想像力をたくましくして橋本忍によって大幅に膨らまされている。(中略)

この旅路のシークエンスはそこまでの刑事の「追っかけ」ではなく「調べ」が淡々と続く展開と比べると、音楽も加わって俄然悲劇的に誇張された展開となって観客を刺激する。(中略)

 私は山田洋次監督と『砂の器』の話をしている時に、「だいたい君おかしいよね。ルンペンというのは冬場はあたたかい方面へ南下するものだよ。それが『砂の器』ではあの乞食の親子はどんどん北の雪の中に旅するんだから、本当は変なんだけど、そこは橋本さんがあえて画としての悲しさを狙ったわけだね」と言われて爆笑したのだが、あの旅路は落ち着いて観るとそういう飛躍だらけなのだ。(本書8284ページより)

 

 「砂の器」予告編では構想14年となっていますが、その間映画化の計画が進んでいたわけではありません。映画化を企画した橋本忍が山田洋次と共同で脚本を書いた1961年(注2)から、橋本自身がいくつもの映画化に関わったり、監督の野村芳太郎が松本清張原作をいくつも映画化していったりする中で、映画「八甲田山 死の彷徨」(森谷司郎監督)の製作と並行して、橋本プロダクションと松竹で1974年に映画化が具体化したものです。

もともと企画・脚本の段階で、松本清張の原作とは大きく異なるいくつもの重要な変更が加えられます。例えば、和賀英良のキャラクター変更(エゴイスティックなだけからニヒルさが加わり子供時代の境遇とのつながりや父親の感情ともつながる)、実の父親である本浦千代吉が生きていること、紙吹雪の女=ヒロインを高木理恵子(演じるのは島田陽子)一人にまとめること(原作ではバー・ボヌールの女給である三浦恵美子と劇団の事務員である成瀬リエ子)、ヌーボーグループという新進気鋭のアーティストたち及びそのリーダー格の関川重雄はまったく出てこないこと(描くTVドラマ版もある)などです。

更に、音楽の違い(電子音楽かクラシックか)や殺人トリックの違い(音響殺人は描かれない)もあれば、和賀英良を逮捕するシーンも原作の羽田空港から演奏会場に変わっています。

 

さて、本書の核心を占めるのが、野村芳太郎監督の演出に関するものです。野村監督自身の演出メモやコンテなども数多く紹介されたり、著者自身の分析がシーンごとに続きます。これらの記述を思い返しながら作品を見返すのも興味深いものがあります。

本書の指摘では、脚本も演出も、ハンセン病とその病者を巡る社会や法制度を告発する社会派映画を狙っているわけではないという意味において、基本的にメロドラマ志向であり、いかに観客を感動させるかで勝負した作品であったようです。その文脈において、捜査会議で語る丹波哲郎の独特のセリフの間も、ドラマを盛り上げるという点で実に効果的だったと理解できます。

宣伝・告知用のポスター(本書105ページ)も、父子の遍路姿を後ろから撮っただけで、出演者の名前もなく、内容に関する宣伝コピーもありません。オールスター出演の大作映画であれば出演する俳優たちの名前が全面にありそうですし、社会派的な作品であれば何らかのメッセージが宣伝コピーとして表現されるはずです。

この作品で重要な地位を占める音楽については、音楽監督の芥川也寸志は疑問をもっていた節もありながらも菅野光亮に作曲を委嘱して、自らは劇伴の助言や和賀役の加藤剛に対する指揮の演技指導などに当たった経緯なども興味深いものです。

ちなみに、「宿命」の作曲が出来上がったのが1974年の初夏と思われ、東京交響楽団による録音が8月下旬、コンサートシーンを埼玉会館で3日間撮影したのが9月中旬、追加のロケ撮影や編集作業があって、映画「砂の器」としてロードショー公開されたのが1019日となっています。この辺りの撮影進行や公開準備(宣伝など)について関係者のインタビューなどが本書にありますし、コンサートシーンに関する野村芳太郎監督の詳細な撮影メモをあります。ただ、どうして音楽と映像の編集作業ができたのか、今となっては職人技の一言でしか理由が説明できないのかもしれません。

1974年秋の公開当時、先行ロードショー時のみ休憩ありの2部構成(第1部『紙吹雪の女』、第2部『宿命』)だったことは、本書で初めて知りました。翌年は「カルメン故郷に帰る」(松竹最初の全編カラー作品)との2本立てロードショー、その後も数年置きに同様の2本立てロードショーを繰り返し、名作として評価を確立していきます。

筆者が「砂の器」を初めて観たとき(1983年)は「天城越え」との2本立て上映のロードショーだったと記憶しており、当然、休憩なしで一気に上映するものでした。興行上の都合もあったかもしれませんが、多分、休憩がないほうが観ているほうも感情的に盛り上がるのではないでしょうか。

 

映画「砂の器」は日本だけでなく海外でも多大な影響があるようです。また、現代の映像制作者たちにも様々な影響を及ぼしています。ただ、影響ということでは、本浦秀夫(後の和賀英良)を演じた春田和秀氏への影響も無視できません。何しろ、子役を辞めた後は一切芸能活動をしていないにも関わらず、作品を観たことがある人には今でも“秀夫”として認識できる人がいる、つまり、「砂の器」の出発点である三木謙吉(演じるのは緒形拳)が映画館で和賀英良も写っている記念写真を見て“秀夫”だと確信したことが十分にありうるということを実証しているからです。

四季から二季に変わったと言われる日本ですが、映画「砂の器」を語る上で欠かせない、遍路姿の父子が放浪するシーンには四季がある日本があります。

 

 

【注1

YouTube上には、1974年に公開された松竹映画「砂の器」に関する様々な映像が溢れており、今でも大きな影響力を有している作品であることがわかります。

 

【注2

著者による野村芳樹氏(野村芳太郎監督の息子でいくつもの作品でプロデューサーを務めた)へのインタビューによると、1961年の4月に子役を入れて桜のシーンを撮影したそうです(本書101ページ)。

 

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2025630日更新)