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“ファクト”を考える3冊(3)~「土偶を読む~130年間解かれなかった縄文神話の謎」

“ファクト”を考える3冊(3)~「土偶を読む~130年間解かれなかった縄文神話の謎」

 

3冊目に採り上げるのは、「土偶を読む~130年間解かれなかった縄文神話の謎」(竹倉史人著、2021年晶文社刊)です。本書は、人類学者である著者が、人類学の知見をベースに縄文時代に作られた土偶の意味を読み解くものです。

縄文時代の土偶と言えば、青森県の亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶を始めとして、長野県の棚畑遺跡から発見された縄文のビーナスと呼ばれる土偶、青森県の風張遺跡で発見された合掌土偶、北海道の著保内野遺跡で掘り出された中空土偶、最後の土偶と言われる結髪土偶や刺突文土偶などがあります。

これらの縄文時代全般にわたる土偶について、それが何を形象するものかということに関しては、ある程度は通説的なものがあるものもあるのかもしれませんが、具体的な証拠や証明をもって専門家も一般人も納得するような決定的な見解はありません。いわば、ファクト(=土偶)はあっても、そのファクトを読み解く理論や体系とか解釈のツールのようなものが見当たらない状況が100年超も続いています。

もともと縄文時代の土偶とは特に関わりのなかった著者の竹倉氏は、助手や研究仲間とともに、自らの専門分野である人類学の知見や手法を活かしてこれらのファクト=土偶に向き合います。更に、単にファクトに向き合うだけでなく、そのファクトが形成された文脈に注目します。

それぞれの土偶が発掘された場所の気候や風土(縄文時代と一口に言っても16000年以上の昔から2000年以上前まで14000年を超える長さがあるので、縄文海進で代表される温暖な時期もあれば反対に寒冷期もあります)、特に同時に発掘された事物や動植物について考察を加えたり、出土した土偶の形や数から土偶を取り巻く経済(生産)力について検討したりして、いくつかの通説に疑問を掲げます。例えば、生命の再生・多産・安産祈願説、狩猟成功祈願説、病気・怪我治療説といった説では、人口の増減に相関して土偶の数が変動しそうなものですが、そうした相関関係は確認されません。

著者は土偶が生業を表象しているという説を提示します。そして、土偶のデザインの多様性や変化は、地域による生業の違いやその移り変わりを反映しているのではないかと論証します。一般に言われるように縄文時代は狩猟採集経済(著者によればトチノミを中心とする堅果類の灰汁を抜いて炭水化物を摂取するエネルギー源として摂食しやすく技術が確立したのが縄文中期)であるとすれば、それが穀物栽培(特に稲)中心の農耕経済に移り変わり定着していく弥生時代になると土偶が作られなくなるのも、生業が大きく変移したからと一貫した解釈が可能となります。生命の再生・多産・安産祈願説や病気・怪我治療説では、縄文から弥生に時代が変わったところで、土偶を作る必要性は人口が増える分だけ高まる可能性があるにもかかわらず、弥生時代には土偶が発掘されないこととの整合性がとれません。

生業を表しているという説を具体的に見ていく詳細は、本書を読んでいただくとして結論のみを記せば、縄文土器が表象しているものとして著者が同定したものは、オニグルミ(ハート形土偶)、栗(合掌土偶・中空土偶)、ハマグリ(椎塚土偶)、イタボガキ(牡蠣の一種、みみずく土偶)、オオツノハタ(笠貝類の一種、星形土偶)、トチノミとマムシ(縄文のビーナス)、稲(結髪土偶)、ヒエ(刺突文土偶)、サトイモ(遮光器土偶)です。

 

ひとつひとつの土器を文様の細部まで観察して、その文様の意味を解くことが、縄文土偶というひとつのファクトを考察するスタート地点です。ただ、どのような分野の知見が役に立つのか、実際に調査研究を行ってみないとわかりません。著者は、自ら発掘現場に直接赴いたり、全国各地の縄文遺跡に関する資料館や博物館、関連する諸分野の専門図書館や資料館などに足を運んだりします。実際に表象しているであろうと推定される貝類を食べてみたりもします。こうした実地調査からも、特に過去に蓄積されてきた情報は、まだまだネットだけでは不十分であることがわかります。

もちろん、インターネットで入手できる情報も有用なものが少なくありません。本書では全国各地のゆるキャラやご当地キャラのなかから、縄文土器が表象している事物を、現代の人々がキャラクター化したものと比べて、そのものの特徴を捉える見方や造形手法が実に近似していることを実証してみせます。現代でも、いわゆるゆるキャラをデザインする際に、もとの事物の何の要素を残してキャラクター化するわけですが、そのポイントが縄文土偶と共通していることに驚かされます。これらのキャラクターの素材を収集するのに、ネットが役立っていることがわかります。

現代のキャラクターと縄文土偶との比較に際して、顔パレイドリア(注1)といった心理学の知見も援用されています。縄文土偶の研究という考古学上のテーマについて、その文様や形象の意味を考えるには、幅広い知見が必要とされる一例です。ひとつのファクトを理解し解釈するには、当該専門分野の深い知見だけでなく、知見の広さも不可欠です。このように先進的で幅広い知見に当たるには、やはりネットは欠かせません。

こうして収集したファクトを解釈し意味を見出すプロセスは、本書の語り口とも相俟って、学術書というよりも謎解きのストーリーに近く、目の前にある謎が解けずに逡巡する著者の姿はいわば探偵のように見えるかもしれません。本来、ファクトを見つけ出し、その意味を解き明かすということは、謎を提示し自ら解くようなものです。それは、極めて知的に楽しい行為のはずであることを本書は見せてくれます。

歴史、特に古代史では邪馬台国論争や「謎の5世紀」と称される時代など、ファクトはあっても限定的で、幅広い知見を活かして調査研究が進める必要があるのでは、と思われる課題が多くあります。それらの課題についても、本書のようなアプローチにチャレンジしていかないと、論争のための論争に過ぎないのではないでしょうか。

 

以上、最近読んだ3冊を通じて、ファクトを調査し収集して、その意味を読み解き、新たな知見を得るプロセスを感得する機会をもちました。そして、改めて3冊を通じて感じるのは次のようなことです。

 

  やはり実地に調べることから始まる

  過去の情報を発掘するにはネットよりも文献調査が効果的だが、文献がどこにあるのか、どのように入手すればよいのか、自分なりの方法論をもつ

  ファクトを調べたり整理したりするのに時には新たな手法を自ら開発することも厭わない

  他者を納得させるだけの情報の質と量を得るには相当の時間(少なくとも年単位の時間)がかかる

  従って仕事だからやるというのではなく好きだから(好奇心から)取り組む人には勝てないだろうと思われる

 

このようにファクトを通じて知的好奇心を満たすことは、もしかすると、極めて贅沢なことかもしれません。ゴールがあるかどうか、仮にあるとしてもそこにたどり着く保証はなく、費やす労力や時間や費用が全て無駄になるかもしれないことに人生(の一部)を捧げるのは、コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスばかりに価値を置く人々から見れば、愚かしいことでしょう。だからこそ、ファクトを通じて好奇心を待たすことができれば、それは至高の贅沢と言えるでしょう。

 

【注1

パレイドリア - Wikipedia

物体の模様が「人間の顔」に見えるのはなぜ? そのメカニズムが研究で明らかに | WIRED.jp

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2024212日更新)