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“ファクト”を考える3冊(1)~「ソース焼きそばの謎」

“ファクト”を考える3冊(1)~「ソース焼きそばの謎」

 

たまたまですが、ファクト(事実)のもつ面白さや重要性を感じさせてくれた3冊の本を続けて読みました。「ソース焼きそばの謎」「〔新装版〕世界の調律」「土偶を読む~130年間解かれなかった縄文神話の謎」です。

ちょっとわからないことや知りたいことがあれば、ネット検索で用が足りますが、そこに決定的な限界があります。それは、当然ことながら、ネットにある情報しかネット検索では出てこないということです。検索にAIがいかに活用されても、ネットにある情報しか対象となりませんし、ない情報をいくら編集しようとしてもできません。

このコラムで採り上げる3冊は、ネットにあるかもしれないが、ちゃんと調べようとすることが難しいテーマを採り上げています。そのなかで今回は「ソース焼きそばの謎」(塩崎省吾著、2023年刊、ハヤカワ新書)をご紹介します。

 

昔から、ラーメン、おでん、お好み焼きなどを食べ歩く本や雑誌は読んだことがありました。日本全国を巡って、その土地々々の店や独自の料理を紹介する面白さを堪能できることはできるのですが、なぜそうした調理法や味付けになっていったのか、また現地の人々やマニア的な方々に受けるだけで経営として成り立っているのかなど、いつも疑問に思うことがありました。

本書は、著者の塩崎氏が運営しているサイト『焼きそば名店探訪録』の内容を新書として取りまとめたものです。縁日の屋台やご当地焼きそばはもとより、お好み焼き店などでのメニューにあったり、カップ麺や冷凍食品などでも広く食されているソース焼きそばについて、現在各地で様々にソース焼きそばという食べ物のルーツを探る本です。

従って、単に現在各地で見られるソース焼きそばの形態を紹介する(こうしたアプローチは一般のグルメ紹介でやり尽くしている感じです)以上に、いつごろからどの地域からソース焼きそばが生まれて普及していくのかを、できる限り明らかにしていこうとするものです。

塩崎氏は「もともとバイクにまたがって日本中を旅行するのが趣味」(本書5ページ)ということで、現地に赴き、現地で現物を確認します。訪れた店で提供されている焼きそばを写真に収めたり、店の関係者から証言を集めたりすることで、その店が訪れた日時に提供した焼きそばというファクトやそれにまつわる情報が集積されるとともに、ソース焼きそばが提供されるようになった経緯や料理法などの情報も収集されます。

また、国立国会図書館で過去の雑誌を探したり、ソース焼きそばが生まれたと言われてきた戦後に限らず、戦前の習俗が描かれている作品(小説や随筆など)にも当たったりして、ソース焼きそばに関する記述がどこまで遡って確認できるか追及していきます。

このようにファクトを重視しているせいか、参考文献リストの充実度が300ページほどの新書とは思えない分量で、301件も掲載されています。小説や随筆など書籍や雑誌としてまとまっているものもあれば、新聞やパンフレットを引用しているものもあります。なかにはインターネットのサイトを参照したものもありますが、歴史学で言うところの一次史料(当事者が書いたもの)や二次史料(当事者からの直接の伝聞を記述したもの)に相当するものが大半ではないかと思われます。

こうしたファクトの積み重ねから、著者はソース焼きそばについていくつもの疑問をもちます。本書の「まえがき」では、地域差(関東では細い蒸し麺、関西では太い茹で麺を使う店が多い)、焼きそばと焼うどんの関係、中華料理の炒麺との関係、ソースを後がけする経緯や理由などに言及しつつ、そもそもソース焼きそばはいつ頃どこでどのように生まれたのか、そしてどのように日本全国に広がっていったのか、というソース焼きそばのルーツを問うのが本書のテーマとなっています。更に、コストのかかる中華麺を使用するために割安なキャベツを嵩増しに使用し始めたと思われる材料費の問題や材料の調達可能性(中華麺の入手可能性)といった商売の視点から出てくる疑問にも自ら問いを立てて答えていきます。

 

ファクトを自ら集めること、集めたファクトから何がわかるのか、通説(ソース焼きそばのルーツは戦後の関西と言われてきたそうです)が成立するのか新たな解釈や仮説が求められるのか、そして次につながる新たな疑問を自ら問うこと、著者のこうした姿勢が本書を通じて感じ取ることができます。

ファクトを積み重ねるということは、言葉では簡単ですが、実際に行う作業としては時間も労力もコストも恐ろしくかかります。本書もソース焼きそばという文化を伝えようと著者が心に決めてから10年以上、それ以前から収集していたものを含めると20年を超える時間がかかっています。期限や効率を要求される仕事としては実行し続けることが難しく、趣味や道楽と呼ばれかねないからこそできることかもしれません。

本書のような考現学的な分野のものほど、変化の激しい時代ではファクトの集積が困難ではないか思われます。時には、ファクトを収集・整理する方法を自ら考案したり、通説に異を唱えたりする勇気をもったりすることが大事です。

ファクトを収集するプロセスでは新たな発見もあるでしょう。著者は、自ら入手することになった『素人でも必ず失敗しない露店商売開業案内』(増田太次郎著、昭和11年康業社出版部より刊行)の手書き原稿をオタフクソース株式会社の資料館「おこのミュージアム」に寄贈したそうですが、貴重な資料をしかるべき組織に寄託して自分だけのものにはしないという姿勢も見逃せません。著者はマニアではなくファクトを積み重ねる探求者なのでしょう。ファクトを重視しようとすれば、ファクトを探求する人が一人でも増えていくことが最も求められることなのです。

 

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(202422日更新)