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転職者を実際に戦力化するには(5)

転職者を実際に戦力化するには(5)

 

資本とは資本金がそうであるように、事業の元手にほかなりません。事業の元手として資金が必要なように、事業を引き受けようとする人間もまた必要です。このように「事業を引き受ける人」という意味で人的資本(=人本)という言葉を使います。具体的に言えば、何らかのビジネスを始める創業者であったり、世の中にまだ表れていないであろう技術や製品やサービスを事業として展開しようとする起業家であったり、事業を再編・再生する経営者であったり、複数の事業法人を所有し時には自ら経営に当たるオーナーであったりします。

創業者や起業家は今の日本でもそれなりに存在し活躍しています。この面では一定の人的資本があります。

単なる法人の代表者にとどまらない真に人的資本と呼びうる経営者は、CEOの肩書や代表権を持つ役員であるかどうかではなく、事業のスケールアップ(急成長軌道に乗せること)やターンアラウンド(再編・再生を行い収益力の回復・向上を実現すること)を実行する人に限られます。こうした人的資本も、ある程度は市場が形成されるほどには存在するようになってきました。俗にプロ経営者といわれる人々と考えればよいでしょう。

最も不足しているのはオーナーかもしれません。そう思わざるを得ないのは、相変わらず後継者不足で廃業や倒産に至る法人が多いという事実(注2)があるからです。

いずれにしても、人的資本が足りていない状況で、それを埋めるために資本としての価値のある人をCEOやオーナーとして受け入れることが、問題を抱えている法人にとって不可避です。既にいる役員や従業員から見れば、経営トップやオーナーが他社から転職してくるようなものですが、このような人的資本の流動性はまだまだ不十分と思われます。M&Aを通じて他社の傘下に入ったり吸収合併されたりすることで、新たなオーナーやCEOを得ることもあるでしょう。

 

さて、CEO(経営者)やオーナー(取締役会会長や議決権付き株式の過半数を保有する株主)は一般的な意味では転職者とは呼ばないでしょう。しかし、ヘッドハンティングにせよ内部昇進にせよ、CEOに就任したり、オーナーとなったりする際には、明確に立場の転換があります。それは、転職以上にインパクトのあるキャリア転換です。

社内昇進だからと言って、自社のことが理解できているというのは間違いで、CEOやオーナーとして全責任を負う立場で物事を見るのと、役員やグループ会社の幹部として見ていた光景とは違うはずです。それが同じであるとすれば、その見方のほうが問題であると言えます。

同じ売上高であっても、目標を達成してやれやれと思う経営幹部の目線と、翌年もまた同じ売上が確保できるのか、それができる見込みがあっても3年後も5年後も続くには次にどのような戦略が求められるのかを絶えず考えるCEOの目線は違います。

まして、誰に経営させれば利益率が改善したり次の成長が実現したりするのか、そのためにはどのような経営体制が望ましいのか、何にどの程度投資すべきなのか、もしかすると他の企業に売却したり他社を買収・合併したりすることで次の事業展開を実現できるのかを検討するオーナーでは、求められる視野の広さや深さが違うでしょう。

一方、新しいCEOやオーナーを迎える組織の方は、それが誰であっても、未知の人がその地位に就く場合と同様に迎えます。まずはお手並み拝見というところではないでしょうか。この点は一般の転職者、特に即戦力として前評判が高い場合の転職者と同じと考えてよいでしょう。

この場合、転職者である新任のCEOとか大株主の立場にあるオーナー自身も、自分が外部から関わるようになった自覚が当然あります。故に、既にいる社員、特に役員や管理職の人たちに自らの立場を説明し、今後、どのように事業を運営しどのような組織にしていくつもりなのか、その過程における関わり方をどのように考えているのか、語ることもできるでしょう。

M&Aの時のPMI(注1)と同様に、いわゆる100日プランをもって新しい仕事に臨むケースもあるかもしれません。就任して、1週間、1か月、3か月(100日)と対処すべき事項に対処し、半年、1年と仕事を進めて最初の決算を迎える頃には、引き受けた組織や事業の課題を解決するようになっていることでしょう。新任のCEOやオーナーが自らを戦力化できなければ、早期に退職する(させられる)しか選択肢はありません。

問題となるのは、むしろ社内から昇進する場合です。昨日まで役員の一員だった人が今日からはCEOとして組織全体を率いるようになったり、オーナーの子女とは言えこれまでは一従業員とか役員の一人に過ぎなかった人がオーナーの死去により株式を相続し経営トップなどの地位も襲うとなると、そう簡単に人的資本と呼ぶに値する人にはなり得ません。周囲の人々にしても、同じ個人が急に立場が変わって言動が変わることを受け入れるはずもありません。

役員や従業員を社内から昇進させることによるCEO就任や一族による地位の継承は、それが既定路線であればあるほど、変化を小さく見せようとすればするほど、「事業を引き受ける」覚悟に乏しくなってしまうことが危惧されます。これでは戦力にはなりませんが、そのままCEOやオーナーの地位に居座ることが可能なため、継続的な業績不振とか公私混同などのスキャンダルで倒産するなどの最悪の事態を招くことも間々見受けられます。

皮肉なことに、社外から転職に相当する立場であることが明示的であるほうが、本人も周囲も「事業を引き受ける」覚悟をもって、新たな情況を受け入れやすいのではないでしょうか。

 

人的資本のうち、CEOに相当する者は、原則的に法人の数だけ必要です。大手企業ではそうした人的資本の候補者を計画的に育成しようとしているところもあります。一方、実務経験やMBAなどの学習を通じて自ら人的資本になる意思を持っている人もいます。そういう意味で、創業者や起業家を含めてCEOとなりうる人的資本の市場は、少しずつでも形成されつつあると言えそうです。

また、CEOはいくつかの法人を兼任することも一定程度は可能ですし、ホールディングカンパニー制を採っているのであれば傘下の事業会社のCEOは人的資本というよりも人材か人的資産(人財)に相当するので、法人の数よりも相当程度に少ない人数でよいのかもしれません。

オーナーに相当する人的資本は、一人でいくつかの組織の面倒を見ることができます。ほぼ同一のメンバーから成る取締役会が複数の法人を指揮・監督することもできるはずです。日常的な意思決定や経営管理を行うのはCEO及び執行役や執行役員であって、オーナーや取締役会ではありませんから、同時に複数の法人を所有し監督することは可能です。

まだまだ数が少ないと思われる本当のオーナーシップを発揮する企業オーナーを増やすには、個人(一般の法人勤務者や自営業者など)が資本(資産)の小さい会社を買ってオーナーになることも必要です。そうしたアプローチが実現しないと、後継者不足で廃業・倒産する法人を存続させた上で、事業を再度軌道に乗せていくことは困難でしょう。こうした企業には人材や人手はいるかもしれませんが、最も重要な資本や事業を引き受ける人(オーナー)の不在が問題なのです。

この問題は、年金基金などの機関投資家のような組織がオーナーになっただけでは解決しないものです。機関投資家のような組織的なオーナーは、組織だった法人のガバナンスをしっかりと行うことはできるでしょう。ただ、圧倒的多数を占める中小企業、特に実質的に個人がオーナー兼CEO兼財務責任者であるような企業では、機関投資家の規模や名称よりも新たにオーナーとなる個人のキャラクターや法人所有の経験の方が大いに活きてくるものと期待できます。

個人としてオーナーになるには、投入する資本=資金が必要です。その原資として、退職金や金融資産の資金などを活用することもできます。既にマンションなどの不動産投資や株式や債券などの市場性のある金融資産に投資をしてきた経験があれば、その知識や経験を個別企業に振り向けることで可能です。もちろん、デジタルアセット(ビットコインやNFTなどの分散型台帳技術に基づく金融資産)での投資経験しかなくてもかまわないでしょう。肝要なのは、自分の意思で資産配分を決めて運用を行ったかどうか、そしてその結果、資産を増やすという実績をあげているかどうかです。

ちなみに、新たなテクノロジーの開発、解決すべき社会的課題への挑戦、実現すべきミッション、体現すべきバリューなど、一般に起業や事業運営に必要と思われるものがあります。これらはオーナーになるには必要不可欠というわけではありません。それらよりも、「これならいける」とか「(自分にないものは)〇〇はAさんに任せて××はBさんに頼もう」というように、既にいる社員や関係者の間で人のやりくりをつけたり、資金についても全て自分で拠出しなくても他者と協調して出資したりするなど、一種の資源配分を行うことが重要となります。

オーナーは、事業をゼロから作り出すことも事業のマネージャーやプレイヤーであることも必要はなく、オーナーとして差配が求められるのです。この点は正にプロスポーツと同様で、オーナーはGMや監督などのスタッフを揃え、選手を調達し、後は彼らが本気になって勝利するのを待つのが仕事です。

 

報酬や報奨という点では、人的資本には増大した事業価値に見合う分配が必要です。株式連動型の報酬、株式そのものの付与、配当などが想定されます。

オーナーについては、一度購入した法人(株式を通じての所有権)を他者に売却することで得られる売却益という形での報奨もあり得ます。

CEOについては、CEOとして就任する際の一時金(他社からの引き抜きであれば移籍金)、基本年俸、株式連動型報酬、退職手当、その他のフリンジベネフィット(社宅、社有車の利用、移動や休暇に伴う特別待遇、会食・接待などの交際費など)などを一括してまとめて報酬パッケージとして契約することになります。

近年、社内昇進でCEOに就任した人が起こした不祥事に、セクハラやパワハラとともに不適切な経費支出も目立ちます。こうしたケースが報じられる度に、社内昇進でCEOに就任するということは、それまでの延長線にあることではなく、転職に等しい自覚をもって委任契約を熟読し言動を改めて戒めるプロセスが必須と思わざるを得ません。

ちなみに、他社から引き抜いた人がCEOとなる場合、その戦力化に責任を持つのは取締役会であったりオーナー(株主)であったりします。CEOとしての契約(報酬パッケージが中心)、その実行プロセス、実行した結果についてのモニタリングと結果責任の追及が、取締役会やオーナーの仕事です。CEOに合格点を与えることができるならば、次の報酬とミッションからなる契約を提示し、不合格というならば解任して別のCEOを探すことになります。

社内で昇進した場合もこうしたプロセスと同じであるはずなのですが、取締役会のメンバーや取締役会会長も同じ会社の出身者(先輩社員)であると、決めたルール通りに実行することが甘くなり、結局は不祥事として社外取締役やメディアなどに告発される例が珍しくはありません。ここにも、社内昇進こそ実際の転職以上に一線を引くことが求められる事実があります。

 

(6)に続く

 

【注2

東京商工リサーチ及び帝国データバンクが今年実施した調査の結果については、各々以下のサイトを参照してください。

「後継者不在率」が初の60%超え 円滑な廃業実務の見直しも必要 | TSRデータインサイト | 東京商工リサーチ (tsr-net.co.jp)

「後継者難倒産」動向調査| 株式会社 帝国データバンク[TDB]

p231205.pdf (tdb.co.jp)

 

作成・編集:人事戦略チーム(20231223日更新)