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キャンセルカルチャー時代のマネジメント(2)

キャンセルカルチャー時代のマネジメント(2

 

なぜ今キャンセルカルチャーが社会的に広く言動として目立ってきているのか、改めて考えてみましょう。その答えは一つや二つの要因に帰することができるとは思えませんが、少なくとも以下のような要因は無視できません。

 

20世紀中はさほど問題視されなかったり、時には黙認されたりするような言動が、21世紀には明確に不正や不祥事として社会的にも法的にも広く認知されるようになってきた(セクハラやパワハラなどと同様に価値基準の転換)

 

・これまでは加害者が社会的・経済的に優越的な立場にあることが多く、劣位にいる被害者が訴え出ても真正面から取り上げられることが少なかった(加害者が劣位な場合は通常の刑事事件となるか、被害者側が体面を考慮して揉み消しながら加害者に私的制裁を加えるか、いずれかを行っていたはず)

 

・現在も加害者のほうが社会的に優越的な立場にあることが多いとしても、社会的・経済的な格差が本質的に小さくなっており、被害者が仮に社会的劣位にあるとしても、被害を訴え出ることで損害賠償や謝罪などの公平な扱いを求めるものになっている

 

・いわゆるセカンドレイプ(被害を訴え出ることによって被害者が再度、精神的損害や名誉棄損などを受けること)に対する社会的な認知が進んだり、不正や不祥事の内部通報制度が整備・運用されたりするなど、多少なりとも被害者が声を上げることができる体制が整い、実例が増えてきた

 

・特に日本では「長いものには巻かれよ」といった行動規範が廃れつつあり、「おかしいものはおかしい」と抗議し抵抗することが一般化しつつある

 

このうち、社会的・経済的な立場の違い(いわゆる格差)については若干の補足が必要かもしれません。

一般に、社会的・経済的な立場の違い(いわゆる格差)は大きいほど是正圧力が強くなるかというと、必ずしもそうではありません。卑近な例で言えば、賃金の格差は数%~20%くらいの割りと小さい差が問題となることが多いというのが実感です。業績評価の違いで説明できるのか、担当している職務内容の若干の相違による金額(昇給)差なのか、年齢や勤務地の違いなのか、いずれにしても「なぜ違うのか」を懇切丁寧に説明しないと、後で大きな問題となりがちです。これが数倍とか10倍を超える違いとなると、一般の社員と管理職とか役員といった違いとなります。採用や昇進基準などの面でいわば別世界の話になるので、賃金格差の問題とはなりにくいのです。

言い換えると、社会的に優位にある側と劣位にある側との距離感が縮小するとき、一気に革命的な出来事が起こりやすいでしょう。思うに、フランス革命にしても、ルイ16世や王妃マリーアントワネットと一般の市民との距離が近いが故に、王族や貴族たちの言動が市民たちの怒りを買ったはずです。もし市民たちが王族や貴族と切り離されていて、いかに豪奢な生活をしていてもそのことを知る術がなければ、自分たちの生活が苦しくても市民たちは反乱に立ち上がる契機がありません。

古代社会(例えばエジプト)ではファラオが全ての富を所有するとすれば、「1対その他全員」の社会であったのかもしれません。日本の古代天皇制では公地公民制であったことを鑑みれば、古代社会は同一社会内部で革命的なことが起きるとは考えにくいでしょう。外敵の侵攻や急激な気候変動などがあって始めて社会的な変革が生じる契機となるのではないでしょうか。

時代が下り皇帝による独占から分権的な封建制が広まり、次第に封建制を通じて更に部分的な私有が拡大し、資本主義社会に至ることで誰もが資産を所有できる時代となりました。逆に言えば、私的所有を認められている社会だからこそ、資産格差が目立つし、それを是正すべきものとなるのかもしれません。そして、現代の資産格差は、不動産などの固定資産の所有による格差というよりも、株式を含む金融資産の格差によるところが大きいのではないでしょうか。

本当に生活が苦しく餓死者が出るほどであれば、武力や経済力の面で反乱を起こす力があろうはずがありません。つまり、革命や反乱が起きるには、起こす側にもそれなりの力が必要なのです。その力は、政治力や経済力そして軍事力などですが、教育や芸術などを含んだ文化力と呼ぶべきものも不可欠です。

文化力のひとつの例として、オペラ「フィガロの結婚」で登場する初夜権(結婚したばかりの女性との初夜を過ごす権利を領主が徴税の代償に求めること)を巡るストーリーが想起されます。初夜権は、その前日譚である「セビリアの理髪師」(ロッシーニ作曲)で領主のアルマヴィーヴァ伯爵が放棄してみせるのですが、実際はフィガロの婚約者であるスザンナとの一夜を狙っているため、その復活を画策するのに対して、夫となるフィガロや伯爵夫人ロジーナが対抗策を講じるところに、このコメディの核があります。

オペラでは、更に小姓ケルビーノと伯爵夫人との恋の駆け引きなども描かれますが、それらも含めてフィガロがロジーナなども味方につけて、初夜権の放棄を確認させた上でアルマヴィーヴァ伯爵の浮気も封じることになります。ここでは、フィガロの頭や口、そして人間関係をまとめる力が伯爵をやり込める力となります。これが文化の力です。

モーツァルトの時代でも、フランス革命だけでなくこうした変革もありましたが、今は変革自体のスピードが速い点と変革を伝える情報が速く広い点が決定的に異なります。政治体制を刷新する大きな革命(王政から共和制、独裁制の帝国から民主制の連邦制など)はなくても、小さな変革は日常的に起こる時代が現代です。特に性やジェンダーに関する意識や行動のギャップは実に大きいものがあります。1世代の間に合法どころか積極的に奨励されていたことがタブーとして禁じられ、時には処罰の対象になるのですから。

これらの社会的な変化をもたらし、更に加速させている要因として次のようなものも指摘できるでしょう。

 

・(特にSNSの発達によって)誰でも何らかの不正や不法行為について広く社会に向けて問うことができる

 

・録音や録画が容易かつ低コストでできるので証拠が残り、もみ消すことが困難(ドライブレコーダーや監視カメラの普及で意図せずに証拠が形成されることもある)

 

・情報格差や教育格差が世界中で縮小する傾向にある(その動向に抵抗しているのはアフガニスタンのタリバン政権くらいか)ため、性別・性的志向・人種・国籍・信仰・職業・出自・身分・学歴・保有資産・所得水準などに関係なく、公平な扱い実現するように求める動きが広がっている

 

・他の人々がどのように暮らしているのか世界中の現実をリアルタイムで知ることができる上に、時には議論や対話を通じてそれぞれのライフスタイルや価値観を見直すことも可能(自国民を情報鎖国状態において都合の悪いことを見聞きさせないことは困難)

 

例えば、20世紀中はアメリカの企業社会で出世するにはWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)というのが不文律と言えました。現実に、アメリカの企業社会では、CEOをはじめとするCXOの経営幹部にまで出世する人は、そのほとんどが白人で、イギリスなどの出身者またはその末裔で、キリスト教プロテスタントの男性でした。もちろん、なかにはユダヤ人やラテン系(カソリック)という人も多少はいましたが、女性は少数派でした。

現在でもそうした傾向は残っているものの、女性のCEOや欧州系ではない人種の経営幹部も珍しくはなくなりました。社会的・経済的な格差は、完全になくなったとは言えないものの、ある程度は是正されつつあるとは言えるでしょう。但し、白人の男性のように、明らかに社会的に恵まれていた地位にいた人々は相対的に恵まれにくくなってきたきらいがあり、特に政治的な動きとして別種の批判や抵抗があるのも事実です。

アメリカだけでなく、それぞれの国や地域で有していた歴史的な不文律は、グローバルにコミュニケーションが実現する現代においては、もはや通用しません。この点、本音と建前の一致を求めるのが一種のグローバリズムといってよいわけです。

従って、特に日本のように「自分たちは特殊だ」と思っている国や地域ほど、キャンセルカルチャーの洗礼をより強く頻繁に受けざるを得ないことになります。今年のジャニーズ事務所に関する問題がBBCのドキュメンタリーがきっかけだったことは実に示唆に富みます。まして、メンバーシップ型と自らの企業組織を規定している日本では、そのメンバーシップが閉鎖的で画一的であるほど、キャンセルカルチャーから逃れることはできないと覚悟をすべきです。

 

  作成・編集:経営支援チーム(2023925日)