2023年夏の3冊(1)~「眼の神殿」
今年は特にそうですが、夏は猛暑が当たり前となり、まともに仕事をすることが儘ならない日々が続きます。休みとなってもどこかに出かける気にもなれず、終日、エアコンの効いた部屋にいるだけで過ごしがちです。こういう時には、買ったままになっていた本を読むのによい機会と思い、この夏休みには「眼の神殿」「敗れざる者たちの演劇志」「星新一の思想」の3冊を読んでみました。
そのなかで今回は「眼の神殿~「美術」受容史ノート」(北沢憲昭著、2020年刊、ちくま学芸文庫)を採り上げます。
「眼の神殿~「美術」受容史ノート」は、サブタイトルにある通り、明治維新後の日本で西洋美術が受け入れられていく中で、単に西洋の絵画の技法やありかたを受容するだけでなく、「美術」という用語や概念を生み出し、見ること・見せることの仕組み(制度)を作り出していくプロセスを、高橋由一(注1)という最初期の洋画家と関連する人々を通じて描くものです。
彼の「螺旋展画閣」という構築物の構想を入り口に、芸術教育(大学南校美術部から工部省美術学校、東京芸術大学の前身となるもの、私立の画塾など)、内国勧業博覧会(各種の博覧会や展示会などのはしり)や博物館・美術館における展示という見せる仕掛け、芸術家の組織化(芸術協会など)、政府における美術担当部局(美術取調局)の設置要請などに考察を進めていきます。
その過程で、フォンタジーネやフェノロサといった、いわゆるお雇い外国人の影響や他の西洋画家や明治政府の有力者などとのやりとりを通じて、芸術・美術・美学・西洋画などの言葉と概念を発展させつつ整理していく状況が描かれていきます。
本書によれば、髙橋由一は江戸で生まれ育った武士で、幼少期より日本画を学びました。明治維新となった後、フォンタジーネから西洋の写実的な絵画技法を習得する一方、県令三島通庸の命でその技術を実践的に用いて山形市内の工事風景を記録する絵画などを描きました。
幼少期から日本画しか学んでおらず西洋画をほとんど知らなかったであろう人が、外国人からわずかな間だけ西洋画の基本(遠近法・透視図法の技術など)を学んだ程度で、ここまで技術を習得し実際に描くことができて、写真代わりに使われたり建築物の構想図を描けたりできたことは信じがたいほどです。
ちなみに、「螺旋展画閣」の構想図を含めて本書で紹介されているものは白黒のため、YouTube「山田五郎チャンネル」(注1)で紹介されているものを見ると、一層、その写実性に驚かされます。
明治期の洋画というと、黒田清輝などの海外留学経験者の活躍がスタートラインと思いがちです。しかし、当時の主流であった薩長土肥とは異なる出自であった高橋由一が、単に西洋画を描くだけでなく、美術に関する制度(用語の確立、教育体制、展覧会などの見せる仕組み、講演会などのメディアの活用、管轄する公的機関の設立・運営など)について、その全般を構築するのに多大な活動を行っていたことも、しっかりと理解すべきポイントでしょう。
本書は、もともと1989年に美術出版社から刊行され、第12回サントリー学芸賞を受賞しました。それから20年後にブリュッケ社より定本として復刻されたものを、2020年に文庫化したものです。そうした経緯があるため、「あとがき」が3編、解説が2編と、本文とともに充実しています。
個人的には絵を描くことは大変苦手です。観ることは、映像に始まり舞台やライブなどとともに、展覧会やイベントなどを通じて多少なりとも美術に興味をもってきました。また、30年ほど前にはアートマネージャーの養成セミナー(注2)に参加したこともあります。
もし、最初に出版された時に本書を手に取っていたら、日本の美術に対する興味を少なくとも今よりはしっかりともつことができたはず、と思われて残念に感じられる半面、今改めて読んだことで、これからの絵の見方や接し方にプラスの影響が期待できるだけでも本書を読んだ価値があったと言えそうです。
【注1】
高橋由一については、山田五郎チャンネルで採り上げている中で、代表作の「鮭」をカラーで見ることができます。
金刀比羅宮に高橋由一館があり、そこに27点の作品があるそうです。