· 

“正しい”努力(7)

“正しい”努力(7)

 

“正しい”努力について考察を進めてきましたが、最後に“正しい”努力の要件をまとめておきます。

要件の第一は、求める結果が適切なものであること(求める結果の適切さ)です。犯罪や倫理的に間違っていることを結果として求めるのは論外として、目標をもって仕事をすることが正しいように見えても、そもそも数値化することが無理なものを数値化したり、現実離れした高い目標を掲げたりすることも、“正しい”努力につながりません。反対に無理な目標を立てて仕事に駆り立てられた人間が、顧客に不利益を及ぼすような不正行為に走ったり、時には刑事罰に相当する不法行為に手を出したりすることは、数多くの企業不祥事を見れば歴然です。

第二に、結果に至るプロセスや方法が適切なもので、それを本人が的確に見通すことができていること(プロセス・手段の見通し)です。結果を出すためのやりかたを本人が習得していれば本人に任せ、そうでないならばやりかたを習得させながら結果に至るようにします。もちろん、結果に至るプロセスにおいて必要な手段(経費、機材・機器、情報アクセスなど)を確保できることも不可欠です。

第三に、求める結果やそこに至るプロセスについて本人も納得していて「やらされ感」がないこと(本人の納得性)です。これは第二の要件と関連しますが、上司や先輩など周囲の関係者が良かれと思って経験談を語ったり、細部まで指導したりしても、そもそも本人が「求める結果の適切さ」に疑問や反対意見をもっていたり「プロセス・手段の見通し」に確信がなかったりするのであれば、むしろ逆効果になることに十分に留意すべきです。

仕事のやりかたを押し付けたり、高圧的に指導したりするのは、本人の努力をないがしろにしてしまいます。かといって、何も言わずに放任したまま、最後になって結果が出ていないことを叱責したり責任を追及したりするものでもありません。本人がどうすれば結果を出すことができそうか、その理解の程度に応じて周囲が指示・指導・助言などを行うことが要請されます。

第四に、具体的な手段や方法が合法的・合理的・経済的・倫理的で世の中の変化に対応しているもの(プロセス・手段の合理性)です。SNSでのコミュニケーションが当たり前の世代とそうでない世代では、いわゆる報連相ひとつとっても大きなギャップがあります。まして、SGDsなどの社会的な課題や地球環境問題などへの意識を強くもっている人々と、そうでない人々とのギャップは、具体的な手段や方法を巡って対立が起きる可能性が高いです。そもそも、そうでない人々は何が問題であるのかを理解することが難しい故に、とりわけ営利企業においては倫理性や社会性よりも経済性を優先する可能性が高いでしょう。しかし、それでは仕事をする現場は“正しい”努力をしていると実感できません。

最後に、第五の要件は、努力を意識しない「努力」というか、無我夢中でやる状態とか、とにかく楽しいから次から次へと課題を見つけてはクリアするという習慣的な行動にまで至っていること(努力の無意識化)です。そうならなければ、どこかのタイミングで、つらいとか手を抜くとか人に無理強いするとか騙すとか放り出すといった方向に走りかねません。努力をしても楽しくない、努力は義務や強制だから楽しいはずがない、という先入観に縛られたまま仕事をしている限り、“正しい”努力が習慣化されることありません。

 

以上述べてきたように、「求める結果の適切さ」「プロセス・手段の見通し」「本人の納得性」「プロセス・手段の合理性」「努力の無意識化」の5要件を満たしていれば、それは“正しい”努力と言えます。

とは言え、原理的に言えば、全ての社員が各々“正しい”努力を実現できることはありえないでしょう。所属する組織にどのようなビジョン・ミッション・バリューがあったとしても、社員個々の価値観ややりたいことや社会的に解決すべきだと感じている課題とすべてが一致するとは到底思えません。できるだけ一致する人を従業員として雇用するように努めるとしても、100%実現できるはずがないでしょう。

そのうえ、現実には(いかにその意義を強調されていても)本音ではやりたくない仕事や(多くの人にとって)できれば避けたい仕事をしなければならないこともありますし、自分には向いているとは思えない職種でもたまたま結果が出てしまったからそのまま就き続けることや他に担当する人がいないから担当せざるを得ない場合もあるでしょう。いわば、組織の都合が個人の事情に優先するのが、普通の組織です。

こうした現実において“正しい”努力を実現しようすれば、組織や個人のどこかに無理が生じます。短期的には異動や退職により欠員が生じたり、中長期的には組織維持が困難になったり個々の社員では心身の不調が目立つことになりそうです。そうなる前に、本来は社員一人ひとりにとってキャリア転換を行うことが組織的に要請されます。まして、“正しい”努力を実行できている人の方が圧倒的に少数であることが推測される以上、相当な割合でキャリア転換が起きるはずです。

少数の友人や知人が集まって起業する場合でも、起業のプロセスを楽しむだけの人もいれば、起業しようとしているビジネスがもたらすはずの社会的なインパクトや実現しようとしているバリューに意味を見出してやりがいを感じる人もいるでしょう。人によっては、株式連動型報酬制度などによる大きな金銭的報酬を期待して、起業に参画することもありますし、信頼している先輩が起業するから参画するというように人間関係が重視されることもあります。

このように価値観が人によって大きく異なる以上、仮に“正しい”努力を実現しているとしても、社員一人ひとりにとってキャリア転換の機会が求められます。まして、現実には“正しい”努力を実行できている人の方が圧倒的に少数であることが推測されますから、所属している組織のなかでは“正しい”努力を実現することが困難だと思えば、社内外に機会を求めてキャリア転換を行うのが必定です。

個人が“正しい”努力をし続けるのは、自分のやりたいことをやりたい方法で実行するわけですから、自分の価値観とのずれが生じる余地はありません。しかし、組織に属してそこで“正しい”努力を実行することは、絶えず、組織の価値観、すなわちビジョン・ミッション・バリューなどとの齟齬が生じる虞があることに留意しなければなりません。“正しい”努力を実現するには、時として方向転換が必要となることを忘れてはなりません。

 

 

  作成・編集:経営支援チーム(2023821日)