ウィリアム・フリードキン氏の訃報に接して

ウィリアム・フリードキン氏の訃報に接して

 

先週8日、アメリカの映画監督であったウィリアム・フリードキン氏が、肺炎と心不全のため死去していたことが報じられました(注1)。87歳でした。

鑑賞したことがある作品は、「フレンチ・コネクション」「エクソシスト」「クルージング」の3本だけですが、いずれも見応えのあるもので何度も繰り返して見直しています。

 

「フレンチ・コネクション」(原題“The French Connection”、1971年、USA、注2)は、手段を選ばずに麻薬の売人とその背後にいる麻薬組織を壊滅させようとする刑事のバディものです。とはいえ、主人公の2人の刑事に扮するジーン・ハックマン(通称ポパイ刑事)とロイ・シャイダー(通称クラウディ刑事)の掛け合いよりも、アクションシーンや組織に迫ろうと刑事二人が悪戦苦闘するシーンに見応えがあります。

特に、組織の殺し屋とポパイ刑事がニューヨークの地下鉄(高架部分)と車でチェイスを展開するシーン、フランス側の麻薬組織のボスであるシャルニエ(フェルナンド・レイ)とポパイ刑事が地下鉄のホームで列車に乗るか乗らないかで駆け引きを巡らせせるシーン、密輸されているヘロインが隠されているはずの車を隈なく探してもブツを見つけ出せずにいるシーン、そしてラストを含む撃ち合いのシーンと、見所が満載の作品です。

そして、エンディングも60年代後半から70年代にあったドキュメンタリーの要素をもった作品らしく、2人の刑事のその後を字幕で紹介して終わります。決して、勧善懲悪でもなくハッピーエンディングでもない、現実はこういうもの、というエンディングです。こうした点からも、アメリカン・ニューシネマのひとつと数えられる作品なのでしょう。

この作品でフリードキン氏はアカデミー賞の作品賞と監督賞を獲りました。また、主演男優賞・脚色賞・編集賞も同時に受賞しています。映画としてはパート21975年に(主演は同じだが監督は別で)作られました。

 

「エクソシスト」(原題“The Exorcist”、1973年、USA、注3)は、ここで改めて紹介するまでもないでしょう。オカルト・ホラー映画の代表的作品というだけでなく、映画史に残る作品でもあります。この作品は続編が作られただけでなく、3年後には、これもシリーズ化された“オーメン”が製作されるなど、ひとつの映画のジャンルを作り出したとも言える作品です。

アルフレッド・ヒチコック監督の“サイコ”がサイコ・スリラーの代表作であり、スリラーの描き方の教科書として映画史に残り続けるように、「エクソシスト」もまた、オカルト・ホラーというジャンルにビジュアルやサウンドのスタンダードを作り出しました。悪霊に憑りつかれた少女とその母親の物語はもとより、打倒すべき悪の存在(古代から蘇ったパズズという悪霊)とそれに対峙する人間たち(エクソシストとして立ち向かう2人の神父)の闘争の物語は、「フレンチ・コネクション」における麻薬組織とそれを追う刑事たちの物語を彷彿とさせます。

エクソシズム(悪魔祓い)とかエクソシスト(悪魔祓いを執り行う人)は、20世紀でもいくつか実例が報じられたことがあります。例えば、旧西ドイツで起こったアンネリーゼ・ミシェルの事件は、悪魔がついたとされる若い女性が死亡しエクソシズムを執り行った司祭2人や家族などが裁判で刑事責任を問われるに至りました。こうした現実の事件も、決して映画や小説などのフィクションの世界とは無関係とは言い切れないでしょうし、それだけの影響力をもつ作品を氏は作り出したのかもしれません。

ちなみに、今年は「エクソシスト」のリブート版第1作が公開される予定だそうです(注4)。

 

「クルージング」(原題“Cruising”、1980年、USA、注5)、は、ニューヨークのゲイ・コミュニティに潜入捜査に入る刑事の物語です。主人公の刑事に扮したアル・パチーノの姿を通して、知らない世界に入っていく人間(の変化)を描いていくものです。ちなみに、ゲイ・コミュニティのイメージというと、この作品とFrankie Go to Hollywoodの“Relax”のPV(注6)が、すぐに目に浮かびます。

ところで、氏の監督作品リスト(注7)を見ていたところ、「真夜中のパーティー」(原題“The Boys in The Band”、1970年、USA)という作品に気がつきました。「クルージング」がいわば外から描いたゲイ・コミュニティであるのに対して、「真夜中のパーティー」はゲイ・コミュニティ(作品が作られた当時そこまで明確に社会的に確立していたかどうかは不明ですが)で生きている人々の心情を描いた作品です。もとはオフブロードウェイの舞台作品で、日本でもパルコ劇場などで繰り返し、上演されてきました(注8)。

実際に鑑賞したのは1984年か1986年の舞台だったと思います。それまでのイメージが、「クルージング」やPVによって形成されていたせいか、ゲイ=ハードだったものが、この舞台で一変した覚えがあります。舞台で描かれたのは、フラジャイルな(壊れやすい、繊細な)人々の姿で、たまたま男性であったが故にゲイと呼ばれるようになった人々の物語でした。

50年前、60年前に「真夜中のパーティー」という作品を製作することと、21世紀の今の時代に上演するのでは、作る行為の社会的な意味や影響力といったものは大きく異なるでしょう。氏の訃報を聞いて、この作品に限らず、改めて作り出されたものの大きさを実感した次第です。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

「エクソシスト」監督ウィリアム・フリードキンが87歳で死去 - 映画ナタリー (natalie.mu)

映画「エクソシスト」のウィリアム・フリードキン監督が死去、87歳 - CNN.co.jp

『エクソシスト』ウィリアム・フリードキン監督、87歳で死去|シネマトゥデイ (cinematoday.jp)

 

 

【注2

 

【注3

 

【注6

 

【注7

ウィキペディアを参照してください。

ウィリアム・フリードキン - Wikipedia

 

【注8

「真夜中のパーティー」のパルコ劇場での上演記録については、次のブログ記事を参考にさせていただきました。

梁緒のひとりごと (ameblo.jp)

201073日の記事(https://ameblo.jp/riorion123/entry-10578670769.html

 

 

  作成・編集:QMS代表 井田修(2023814日)