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“正しい”努力(5)

“正しい”努力(5)

 

 “正しい”努力というと、もしかすると多くの人々は、手続き的に間違っていない努力とか、倫理的に正しいことをやり通そうとする努力といったものをイメージするかもしれません。確かに、“正しい”努力にはそういう面があることを否定できません。

何かの努力をするプロセスや手続きが組織におけるルールやマニュアル(の趣旨)に則っていることは、“正しい”努力をする前提条件かもしれません。もちろん、仕事は法的に間違っていない行為や手段をもって行うものでしょうし、法的な正しさを担保できている行為や手段でなければ、そもそも仕事として成り立ちません。少なくとも犯罪組織でない、合法的にビジネスを行う組織において、こうしたことは事業の開始・継続に不可欠です。個人の努力においても同様でしょう。

単に合法的であるかどうかが問われるだけでなく、コーポレート・ガバナンス上の問題はないかとか、経済合理的であるかどうかといったことも問われるべきでしょう。経済合理的であるというのは、例えば、コスト・人手・時間・エネルギーなど経営資源を無駄遣いしていないか、現在の方法よりもより安価で簡単で早く少人数で行うことができないか、無理・無駄・無用なことは廃止しているか、というようなことをいつも検討し、実際にやり方を変えてみることで経営資源の合理的効率的な活用を実現することを目指すものです。

合理性や経済性を問い、何が無駄であるかを見極めようとしても、本人も難しいでしょうし、上司や周囲の関係者が判断するのも難しいでしょう。時には、本人に挑戦させて結果が出ないことを確かめるとか、当初から予測できるにも拘らず、ダメもとでやらせてみるといった、ある種の余裕が組織としてもてるかどうかが問われているのかもしれません。

更に、倫理的であるかどうかも、“正しい”努力をしている過程において、今後いっそう問われることになるでしょう。法律や社内規定には違反していなくとも心に疚しいところはないか、正々堂々と胸を張って〇〇に取り組んでいると断言できるものであるか、などなども問われて当然です。また、いわゆるSDGsなど地球環境問題や社会的に未解決な課題に触れることなく、その努力が“正しい”ものであるかどうかを検証することはできないはずです。

こうした問題は、言い換えれば、時代の変化に対する対応力があるという要素も“正しい”努力を構成するファクターであることに他なりません。10年前、20年前には問題視されなかったことが今は大きな問題視されていることは、各種のハラスメントや地球温暖化や社会的課題への対応など、挙げれば限がないほどです。これらの大半は、刑事罰が科されるわけでもないからといって軽視していると、その対応が却って批判や反発を招き、いわゆる炎上の状態に陥るケースが見られます。

 

さて、組織として全体を考えた場合、手続き的・倫理的に“正しい”努力をし続けることが最も求められるのは誰でしょうか。

まず、一般の従業員に求めるものでしょう。従業員は、労働時間中に仕事として求められることを必要最低限やることは当然です。組織の方針、事前に定められた方式(業務処理のシステムやマニュアルなど)、上司の指示などに従って、所要の結果を出すことが要請されます。現実には、そこに自分なりの創意工夫や労力の傾注などを通じて努力をすることが期待されるでしょう。

一般の従業員に求めるということは、マネジメントの立場にある人々(第一線の管理職、上級管理職、経営者など)にも同様に求めるべきものでしょう。むしろ、一般の従業員よりも、マネジメントの立場にある人々にこそ、より強く求めるもののはずです。そうでなければ、組織の中に“正しい”努力を続ける人々が多く存在するようになるとは思えません。

マネジメントの立場にある人々にしても一般の従業員にしても、顧客・取引先・投資家・株主・金融機関・規制当局・コミュニティ・メディアなどから、結果は元より結果に至るプロセスについてもその妥当性について、組織は絶えずチェックを受けます。

経営者は、組織の方針を定めて周知し、(実際には提案された方式を承認する程度の関わり方であるとしても)事前に方式を定め、管理職を任命し、評価や報奨の基準やルールを定めて実施することで、従業員を動かし組織として結果を出していくものです。

そうした経営者の中で、創業経営者は独自の立場にあります。手続き的・倫理的な正しさを曲げて事業や利益を追求しようと意図的に行動しなくても、無知や経験不足や事業立ち上げのプレッシャーなどから、手続き的・倫理的なただしさを一切考慮せずに事業を切り盛りするケースを実によく目にします。顧客をゼロから開拓するには、法の網の目を掻い潜って行うことも珍しくはないでしょう。

組織の中で働く人には内部のチェックが機能するはずですし、一般の経営者にとっても取締役会や監査役などを通じてのチェックもあれば、監査法人や株式市場、や取引先や金融機関、規制当局やメディア、そして顧客やコミュニティといった社外関係者からの評価に晒され続けているのです。

しかし、創業者ともなれば、特に創業から間もない時期であったり、まだ規模が小さく社会への影響力も極めて限定的であれば、事実上、誰もチェックはしないと言ってもよいでしょう。外部専門家や監督官庁は多少なりともチェックすることが可能であるとしても事後的であり、事前にチェックして問題をつぶすことは難しいのです。故に、ベンチャー企業の中には、詐欺まがいのビジネスモデルを運用していたり、最悪の場合、創業経営者が詐欺で有罪となることすらあるのです。

こうしたケースにおいて、最初から詐欺を行うつもりで人を騙し金を巻き上げようと計画していれば、本当の(プロの)詐欺師ですが、必ずしもすべてがそうであるわけではありません。創業から事業を立ち上げ、資金を回していこうとするうちに無理が生じ、詐欺と断罪される行為に走ってしまうのを、誰も止めることができなかっただけなのかもしれません。それだけ、“正しい”努力をするということは、他者のチェックや監視の目がないと実行し難いことなのです。

 

(6)に続く

 

  作成・編集:経営支援チーム(202384日)