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“正しい”努力(1)

“正しい”努力(1)

 

 昨年はメタバース、今年はChatGPTと、学習すべきテーマは次々に出現します。また、DXGX、人的資本経営と、経営上フォーカスすべき課題が移り変わり、戦争や暴動も終わることなく次が起きます。そして、地球温暖化のせいか気候変動にも日々実感させられています。

 こうした変化・変動に対応するだけでも、毎日、何らかの方策を考えて実行することに迫られます。そこでは不断の努力が求められます。その一方、愚直にひとつのことをやり続けて、自らの夢を実現する姿を見せる人々もいます。特に、スポーツやゲームやアートといった分野では、努力を努力と思わず、日々、精進し続ける人たちがいます。

 いずれも、具体的な課題に対して毎日立ち向かってゆくことが、正に努力ということなのでしょう。飽くことなく、課題を認識してはそれをひとつひとつ潰していく姿を第三者が目の当たりにして、成果が出たところで「努力の賜物」と表現するのでしょう。

企業や組織においても同じことが言えます。但し、同じように課題解決に向けて努力をするといっても、会社の方針や上司の指示に従ってただ頑張ればよいというものではありません。ただ頑張るのではなく、正しい努力を行うことが要請されるのです。

 ここで、“正しい”努力と言いましたが、努力することは正しいこととはわかっていても、その努力は正しいものですか?と問われると、自分は努力していると思っている人でも、どの程度の人が的確に答えることができるでしょうか。

なかには、質問の意味を掴み損ねて、努力は正しいに決まっていると憮然として言い切る人がいても不思議はありません。努力に正しいも間違いもない、と思い込んでいる人が少なからずいるからです。

もちろん、今努力して取り組んでいる課題について、次のような質問に根拠をもって明確に回答することができるのであれば、その努力は“正しい”努力と呼びうるものかもしれません。

 

・実際に結果につながったか、具体的な成果につながる確たる見通しがあるか

・プロセスや手続きがルールやマニュアル(の趣旨)に則っているか

・法的な正しいと言えるものか、法的な正しさを担保できているか

・コーポレート・ガバナンス上の問題はないか

・合目的的であるか(具体的に何をどうするために行っているのか、なんとなく同じことを繰り返すだけではない何かがあるか、感情に流されて行っているのではないか)

・合理的であるか(単に会社の方針や上司の指示だから取り組んでいるだけではないのか、個人や部門の面子や予算枠を確保するためだけに取り組んでいることはないか)

・経済的であるか(コスト・人手・時間・エネルギーなど経営資源を無駄遣いしていないか、現在の方法よりも経済合理性が高い方法はないか検討しているか、無理・無駄・無用なことは廃止しているか)

・倫理的であるか(法律や社内規定には違反していなくとも心に疚しいところはないか、正々堂々と胸を張って〇〇に取り組んでいると言えるか)

・努力が自己目的化していないか(努力をすること・努力をしている姿勢を見せることが目的化していないか)

 

 “正しい”努力を考えにくければ、もし、正しくない努力をするとどうなるかを考えてみましょう。

努力をしても課題が解決しないとなれば、究極には、過労死してしまうか、精神や肉体に重大な支障が生じるはずです。ときには無駄死にとなったり、刑事罰の対象として処罰されるかもしれません。

そこまでというほどではなくとも、方法に問題があってコンプライアンス違反として処分されたり、他者に努力を無理強いして〇〇ハラスメントとして訴えられたりするかもしれません。

それとも結果が出ないだけで、無能扱いされたり、やる気がないなら辞めろと罵声を浴びせられたりという状況に陥ってしまうかもしれません。あからさまでなくても、定例的な人事異動にかこつけて左遷されることも、それなりによく見られます。

ときには、正しくない努力をする人が実権を握り、派閥争いや不正経理などが罷り通る組織になってしまうこともあるでしょう。そうなると、後は組織の崩壊を待つしか道はないのかもしれません。

 

さて、努力というと、無意識のうちに個人の問題と思われがちです。誰かに言われたり見られていたりするから努力をするのではなく、日々、黙々と自らに課した練習ノルマをこなす、というのが努力している人のイメージではないでしょうか。そうであるなら、努力は個人の問題で片づけることができそうです。

一方、企業経営や組織運営を通じて何らかの結果を出すことが求められるとすれば、個々の努力を俟っているのでは経営者やマネージャーとして失格と言わざるを得ません。努力を努力と感じさせずに、仕事を通じて学習が進む状況を作ることこそ、マネジメントの必須機能と言えます。

このコラムでは、“正しい”努力のありかたを探ってみるとともに、組織として“正しい”努力とはどういうものか考えてみたいと思います。

 

(2)に続く

 

  作成・編集:経営支援チーム(2023714日)