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転職を阻む壁(9) 

転職を阻む壁(9 

 

 これまで述べてきたところをまとめてみましょう。

第一の「個人の属性の壁」ですが、これは、性別や年齢(生年)といった本人に選択の余地のない事項について、転職しようとする本人も転職者を求める組織も、間違った思い込みや無用な条件設定をしてしまうことで生じる壁です。年齢や性別についての壁は、法律上認められないものを除くと、転職をしようとする個人の側にせよ、転職者を求める組織の側にせよ、ある種の思い込みやこれまでの慣例的なものによるものが多いでしょう。

次に「企業の属性の壁」ですが、企業規模や知名度による処遇上の格差があるのは事実と言ってよいでしょう。また、仕事のやり方や組織運営などでも大きな差異があるため、一種の壁となります。同時に、個人の実力を会社の看板と混同することで生まれる壁でもあります。この壁に対して、転職者は転職による処遇水準の低下を覚悟するのであれば、生活費、特に固定的な生計費にメスを入れることから対応するべきです。処遇水準が上がることが見込まれる際には、特に転職後の仕事のやり方や組織運営に留意して、早期に結果を出すことを強く意識しましょう。そうでないと、結果を出せずに退職を求められることになりかねません。

「スキルの壁」については、組織が求めるスキルの有無が公的資格の有無にすり替わってしまう点に注意を要します。転職に当たってスキルが問われるのは、スキルの有無が問題となるというよりも、身につけているスキルを使って何を成果として挙げることができたのか、という点です。いまはまだ身についていないスキルが必要となるにしても、どのように習得するつもりなのか、組織としてスキル習得に向けてどのように支援すればよいのか、そういう学び続ける姿勢(マインドセット)のほうが転職では問われます。また、組織の側も、学びを奨励するカルチャーやシステムがあるかどうかを転職者から問われることを覚悟すべきでしょう。

「経験の壁」は、単に経験者かどうかを問うのは意味がなく(履歴書や職務経歴書をみれば明らか)、これまでの実務経験を転職後にどのように活用するのか、が問われています。同業他社で同じ職種での実務経験があるからといって、そのまま転職後も即戦力として活躍できると保証されているわけではありませんし、全く異なる業界で別の仕事をしていたからと言って、転職を機にゼロからやり直さねばならないわけでもありません。転職者がこれまで身につけてきた知識や経験やスキルを活用して何らかの貢献をしてくれるはずと考えるからこそ、転職先の組織は新たな人材を受け入れるのです。転職者本人にとっても、転職後に組織に貢献できることで自らの価値を証明してみせることが、次のキャリアを展開するチャンスとなります。

「市場価値の壁」を意識すると、ともすれば公的資格を取得しようとしたり、英語の勉強を始めたり、プログラミングを習得しようとしがちですが、労力の割には市場価値が上がるようには思えません。転職における市場価値とは、取得した資格の数でもなければ学歴や職務経歴でもありません。一人ひとりのビジネスパーソンにとって転職における市場価値とは、転職先で自分の活躍する場をいかに作り出し、その結果として自分の価値を認めさせるかが問われるのです。

転職後に活躍できるようになるには、市場の設定方法、すなわちマーケット・セグメンテーションこそが重要です。一般的な意味での労働市場ではなく、転職先の候補となる個々の組織において転職者がどのような価値を創りだすことができるかが問われます。転職後に仕事をすることになる職場で、どのような仕事を担当し、これまで培ってきた知見とか身につけてきたスキルやノウハウなどをその仕事に活かすことで、転職後の職場に新たな価値を生み出すことが求められるはずです。

つまり、転職をするということは、自分に合った新たな労働市場を自ら開拓することに他なりません。同業他社で同じ職種で同じポジションに転じて、給料が上がったとしても前職と同じ価値しか生み出せないのであれば、その転職は成功と呼べるのでしょうか。給与を引き上げることが転職の目標であれば大成功と言えますが、キャリアの発展性とか中長期的なキャリアのビジョン、それが給与を引き上げ続けることであっても、そのビジョンを実現できる可能性は極めて低いでしょう。「市場価値の壁」は、言い換えれば「市場創造のむずかしさ」なのです。

「就業条件・雇用条件の壁」とは、勤務地・勤務形態・休日休暇・休業・学習機会・介護や育児に関わるプログラム・資産形成プログラムなど、転職を希望する人が何らかの理由で拘る、賃金以外の要素についての障害です。これらの要素は多岐に亘り、ある人には譲れない最も重要な要素であっても、別の人にはどうでもよい条件であったりします。人を雇用する組織にとっては、雇用する人の健康状態や家族の状況などは千差万別であり、よほどの大企業や企業グループでもなければ、個々の事情に応じてきめ細かいプログラムを提供することは、勤務時間や休日休暇を柔軟に多様化するだけでも相当に労力やコストがかかりそうです。

「就業条件・雇用条件の壁」に直面したら、解決するには大別して『条件を変える』『金銭的な補償を受け入れる』『入社してから望むプログラムを創設する』という3種類のアプローチがあります。そのことを頭に入れて、転職者も受け入れる組織も柔軟に対応することが望まれます。

転職は、就職とともにビジネスキャリアにおける一大イベントです。配偶者や父母・祖父母も全員参加となってしまう心理もわからないではありませんし、本人以外の家族関係者にとって、自分が知らない会社に配偶者や子や孫が転職しようとすれば反射的(本能的?)に止めようとするものなのかもしれません。とりわけ、最初に就職したいわゆる一流企業や知名度の高い大企業から、ベンチャー企業や知る人ぞ知る中堅・中小企業へ転職しようとすると、家族間に大きな亀裂を生じさせかねません。転職しようとする本人は処遇水準が低下したり仕事の進め方が異なることを十分に覚悟して転職しようとしても、家族(特に配偶者や父母や祖父母)は転職先について何も知らないということはよくあります。ここに「家族の壁」が出現します。

この壁については、家族などの関係の持つ懸念や心配に対して説明・説得を通じて転職に理解を得ると言うのが正論です。また、そのプロセスを通じて転職者本人の価値観やキャリア観を見直したり、配偶者や子女の目に本人の働く姿がどのように映っていたのか検証したりするとともに、配偶者や子女のキャリア観を形成する機会として活用できればよいでしょう。

ちなみに、転職について家族の誰も何も興味や関心どころか、心配も懸念も示さないというのが、最もまずい情況です。なぜなら、転職しようとする本人と家族との間に経済的にも精神的にもつながりが失われているからです。「家族の壁」はないことが最大の問題と言えるのです。

 

以上のように、転職を阻む壁について述べてきましたが、最後にこれら7つの壁に共通するものとして、心(マインドセット)の壁について最後に考えてみます。例えば、企業規模によって同じ年齢や職種によっても給与に差があるのは、事実として壁があると言えますが、給与の差が本人の実力の差であることと思い込んでいる人がいるのであれば、それは心(マインドセット)の壁です。

心(マインドセット)の壁として実によく見られるのは、組織の過大評価と個人の過小評価です。

組織の過大評価というのは、「企業の属性の壁」で明らかなように、転職しようとしている本人が今および過去に属していた組織と本人とを区別する意識が弱く、会社名でその人を評価してしまいがちなことです。知名度があり大手である企業に属していたAさんと、知名度が低い中小企業にしか勤めたことがないBさんの、いずれが個人としての実力があるかは、転職しようとしている組織との相性(ケミストリー)も含めて、一概にどちらの実力が高く成果を挙げる可能性が高いと決めつけることはできません。にもかかわらず、Aさんのほうを高く評価する組織が多いでしょうし、AさんやBさん自身も本心ではそう思っているのではないでしょうか。

一方、個人の過少評価というのは、実際に転職しようとしている本人が何を成し遂げてきたのか、転職しようとしている企業において本人のもっているポテンシャルがどの程度現実化するのか、ということを評価しようとする際に、組織が大きいか地位(職位)が高いかするほどに本人の実力を超えてみせる要素が強く、本人自身も自己評価が高くなりがちです。反対に小さな組織か地位が低いままで仕事をしてきた人ほど、自己評価は低めでしょう。

これらは転職者を求める組織の側にもありがちなバイアスで、転職希望者の個人としての実力とそれまで属していた組織の規模やネームバリューを混同しがちです。仮に人材輩出企業として世間で名高い会社があったとしても、その人材輩出企業から転職を希望してきた人が全て活躍できるわけではありません。そんなことは頭ではわかっていても、いざ即戦力の有能な人材や経営幹部が欲しいとなると、多くの経営者や人事責任者は履歴書から受けた先入観や企業名のハロー効果に負けて、人材輩出企業の出身者=有能な人材といった間違った固定観念に従ってしまいがちです。これが単に、有名企業の出身者=有能な人材となっては、もはや打つべき手がありません。

 

 もうひとつ注意したいのは、転職(仕事・職種・職務内容が変わる)と転社(会社が変わるだけ)の違いです。一般に転職というと、実は転社のことを意味することが多いのです。転職とは、本来は所属する組織が変わり仕事の内容も変わることです。やるべき仕事が変わらずに、所属する勤務先が変わるだけであれば、それは転社です。

 もちろん、同じ仕事をするとしても所属する組織が変われば仕事のやり方も変わり、できる人材の要件も変わることはよくあります。同じ会社であっても、関東から関西に転勤するだけで、同じ仕事(職種)をしても結果が違うケースは枚挙に暇がありません。

 この点から言えば、同じ会社にいても所属する部署や職種が変わるならば、本人も組織も実質的に転職と考えて臨むべきかもしれません。プレーヤーからマネージャーに昇進するとエース級の営業がダメな管理職になってしまうといった話も、いわば転職の失敗として捉えるべき問題なのかもしれません。まして、転職するのに伴ってプレーヤーからマネージャーになるとしたら、転職しようとする本人も受け入れようとする組織も、リスキリングどころではない相当なリスクを覚悟して、転職時のオンボーディングとマネジメント学習を同時にセットで実現する必要があります。

 リスキリングの後に転職という流れは、同じ職種でのプレーヤーであり続ける限りは、成功の可能性がそれなりにありそうです。しかし、職種が違っての転職であったり、マネジメントや起業といった未経験の要素が入ってくると、仮にオンボーディングのプログラムを整備しマネジメントや起業のトレーニングを十分に施したとしても、成功の可能性は極めて限定的であると考えるのが自然でしょう。

 ここに転職を巡る心(マインドセット)の壁があれば、転職に際して新たな教育・学習の機会をもつ前に、「自分はできる」とか「今度採用するのは〇〇会社出身だからできるはず」といった誤解にとりつかれてしまうでしょう。転職を志すのであれば、転職には学習が必須の機会と念じて、新たな知見・スキル・経験などを積むことが求められます。転職にまつわる心(マインドセット)の壁を乗り越えるには、過去にまつわるプライドを捨てて、転職前後に仕事を通じて得られる学習の機会を活用するのが正解です。その結果、転職というキャリアチェンジを効果的に行うメタスキルが身についていくでしょう。

 

 

作成・編集:人事戦略チーム(2023514日)