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転職を阻む壁(5)

転職を阻む壁(5

 

 転職を巡る壁の中で最も誤解を生じやすいのが「経験の壁」でしょう。

これは、転職しようとする個人の側から言えば、「経験者優遇」とか「経験者採用」といった表現がある時に、経験がない人は最初から応募することができないと考えるべきか否かという問題です。業界、職種、マネジメントなど、経験を問う採用条件はよく見られますが、自分の経歴や実務経験にピッタリと当て嵌まるもの以外は、応募しても書類選考で落とされるだけで徒労に終わるだけと考えがちです。

一方、転職者を求める組織の側は、経験者であれば即戦力として使える人材と判断しがちです。そこに落とし穴があります。経験者は既に常識を知り限界に直面したことがあるので、組織が期待する現状打破や破壊的な成長には寄与できないことが往々にして見られます。特にベンチャーやビジネスモデルを転換しようとしている企業などは、新たに募集する人材には下手な経験はないほうが、むしろ望ましいかもしれません。

 

経験者を採用しようとする組織が陥りがちな、こうした誤解はなぜ生じるのでしょうか。

まず指摘しておきたいのは、採用の目的や必要性が現場と人事担当(採用)の間で十分にすり合わせができていない可能性です。担当者1名の空席を埋めるための採用なのか、外部から人材を採用して現状のチームのレベルアップを図ったり将来的な人員増を実現するためか、採用の狙いを現場と採用でしっかりと共有しておくことです。

前任者が急に退職してしまい、その担当者1名を急募するのであれば、できるだけ経験者かそれに近い人を採用したいと思うでしょう。但し、現場のマネジメントの状況や前任者の真の退職理由(人事で把握できているとは限りません)によっては、どのような人を採用しても、またすぐに辞めてしまうかもしれません。人事としては避けたい事態ですから、単に採用活動をするだけでなく、採用した人の受け入れ・定着・戦力化(いわゆるオンボーディング)の活動まで、しっかりとフォローしていく必要があります。

もし、後者であれば1名を採用すればよいわけではなく、数名から成るチームを生み出す必要があります。チームを作り出すには、チームごと転職させる(移籍する)ことを仕掛けるべきかもしれません。その際、いきなりチームごとまとめて一気に転職させることはできなくても、一歩一歩確実に進めることはできます。まず1人を採用し、次にその採用した人の以前勤めていた組織からこれはという人をリファラル採用し、それ以降は2人目からリファラル採用を継続しつつ、公募も併用するなど、継続的な採用活動が不可欠となります。それらに並行して、新規に採用した人たちへのオンボーディング活動も行います。

この場合、受け入れる組織の側も自己変革が求められます。具体的には、従来のマネジメントのやりかたを見直して組織のもつカルチャーや業務システムを変えたり、新たなチームメンバーが持ち込む知見やスキルやアイデアを活用して、既にいるメンバーが仕事のやり方を切り替えていく覚悟が求められます。時には、従来からいる社員の方がリスキリングを行って、仕事の進め方を一新することに迫られるかもしれません。

 

次は転職者の側の問題です。転職しようとする経験者自身に何らかの問題があって転職後に思うように活躍できないとすれば、その理由はどこにあり、どうすれば活躍できるようになるのでしょうか。

まず、自分の経験がすぐに役立ち前職以上の結果が得られるはず、という思い込みは捨てましょう。前述の組織の持つ経験者に関する誤解から明らかなように、オンボーディングが不十分であれば、現場で仕事をするには新人のつもりで一から業務システムやカルチャーなどを理解しなければなりません。未経験の新人であれば言われるままに学ぶしかありませんが、経験者は従来のやりかたを一度棄却するアンラーニング(学習棄却)を行いつつ、新たな労働環境に適応するために学習を行うことになりますが、それには時間と労力がかかります。

そうした時間と労力をかけずに、自分の経験や知見を活かせない組織が悪い、と言って組織内で浮いてしまっては、いつになっても結果を挙げることはできません。結果を出せない経験者に居場所はありません。

一般的に言って、経験者を採用する側は、経験者なのだから(放っておいても)すぐに仕事ができるはずと思い込んでいる傾向が強いのも事実です。新卒採用者にはさまざまな工夫を凝らしたオンボーディング・プログラムを実施している会社でも、意外と中途採用者にはオンボーディングをあまり意識していないのではないでしょうか。実際には、中途採用者、特に経験者採用にも、未経験者と同様かそれ以上のオンボーディング・プログラムが必要なのです。

その理由は、前職での仕事のやり方に拘りがちであるが故に、アンラーニングが不可避であるにもかかわらず、そのことに本人も周囲も気がつかないために、いつになっても組織内で機能しないからです。また、同僚や社内関係者を知らないことでさまざまな(起こさなくてもよいはずの)障害を引き起こしたり、社内の用語や慣習を知らず、業務システムも違うので、最初は社内システムにアクセスできないというハンディキャップもあります。これらを統一的にトレーニングすることもオンボーディングの一環として忘れてはなりません。

 

転職者自身は、まずはこれまで経験してきた仕事を別の組織でもしようとするでしょう。それが叶わないと気づいたときに、これまで実地に経験してきていない仕事でも応募してみようとするでしょう。しかし、このアプローチでは、最初は応募しようとする職種の候補から未経験のものは除外し、地域や勤務時間などの他の条件で絞った上で、職種や仕事内容は何でもよいか、「未経験者歓迎」とあるものに絞って応募するでしょう。これでは、キャリアについてこれといった戦略性が看取できませんし、転職がうまく行くかどうかは運任せとなります。

未経験でも実は経験者を求めている人材募集に応募してもよいのです。ただし、そこには何らかの戦略が必要です。戦略というのは、これまでの職務経験、身につけてきたスキルや知見、学習してきた分野やテーマ、キャリアやビジネスにおいて興味・関心を持っていること、長期的なキャリアビジョンなどを活用して、募集している仕事に未経験ながらチャレンジすることで、こういう成果を生み出す可能性があることを一連のストーリーとして語ることです。

例えば、大手の事業会社で人事や経理などの管理部門で実務を担当してきた人が、管理職から経営者へとキャリアアップしていきたいと希望をもって、MBAを取得したところで、中堅企業や中小企業の管理職に転職を希望したとします。募集する会社は管理職経験者を求めているとしても、本人の実務の経験とスキルに加えて、MBA取得に際して学んだことや大手企業では経験できない職務範囲に挑戦する気概をアピールするとともに、自分よりも年上の人たちとうまく仕事をしてきた経験があれば、その経験から得られた年上の部下や関係者とのコミュニケーションのノウハウであったり、リモートワークやパソコンなどをうまく教えたりもできることなどを売り込むことは可能でしょう。

 

募集する組織では、「未経験者可」とか「未経験者歓迎」と表示しなければ、誰も応募してこないような不人気な職種や仕事内容であるなら、そもそも不人気である点を潰していくのが筋というものです。

給料が安いに始まり、仕事が物理的肉体的にきついとか、キャリアの展望を開くことができないなど、その職種が不人気な理由はさまざまです。給料が安いのであれば、高い給料をオファーできるだけ労働生産性の高い仕事のやりかたを開発すべきですし、労働環境が厳しいのであれば環境の整備や作業体制の見直しなどが必要です。まして、キャリアの展望が見通せないがために人を雇えないのであれば、ビジネスモデルそのものから再構築すべきでしょう。

または、もう人は雇わず、現有人材でビジネスを回していき、最終的には計画的にフェードアウトするというサンセット方式を採ることで、人的にも資金的にも無駄な投資は控えるというのも一つの有り様です。

一方、最先端の技術分野の研究者とかこれから普及するであろう言語を使ってプログラミングを行うエンジニアなど、そもそも経験者が極めて限られていて経験者を採用したくてもできない場合もあります。

この場合は、育成し戦力化するプログラムを用意できるのであれば、未経験者をより低い給与で確保しつつ、一定期間で相応のレベルにまで育成して活用するというアプローチがあり得ます。同じ組織の中で人材を転用するのであれば、正にリスキリングのプログラムで企業内転職を促すことになります。ときには、欲しい人材がまとまっている会社を買収して、人材を質的にも量的にも一気に獲得するというのも定跡化された方法です。この場合、買収したとは言っても無理に組織統合を行うよりも、人材の質やワークスタイル、組織のカルチャー、業務システムなどの面で、別々の組織として運用していくほうが互いにとって良い結果を生み出すことが多い点も重視すべきです。

 

ちなみに、正規・非正規に拘るのも壁の一つです。

組織の方は、正規雇用者の数を抑制することで人件費をコントロールできると思っていても、非正規雇用者、特に一定期間での事実上の雇止めを画策するケースなどは、再度の採用コスト(採用業務に直接関わるコストだけでなく、採用後の教育やオンボーディングに要する労力や時間や費用も含む)を考慮すると、本当にコスト効率が良いのか疑問が大いに残ります。

今後、非正規と正規の処遇格差を縮小する圧力は高まることはあっても低くなることは想定し難いため、組織としては正規・非正規の区分をつけるために余計なコストと労力をかけるのは回避すべきでしょう。

働く人も正規雇用にこだわりすぎるのは長期的なキャリアを考えると好ましいとは思えません。非正規雇用で入社して、正規に転換するといったキャリアチェンジの道筋が見える組織に転職するがベストですが、非正規雇用者でも正規雇用者でもない(=就職活動中という無職の)期間が長く続く情況はできるだけ早く脱したいものです。

転職を望むにしても、採用担当が履歴(職務経歴)書を見る際に、出産・育児や介護もしくは留学や大学院などでの研究など職歴の中断に意味があればキャリアブレイクと見なして、キャリの空白とは認識せずに履歴書を評価することになりますが、そうでなければキャリアの中断(空白)は決して評価されないことを強く意識しておくべきです。

 

 以上述べてきたように、転職における「経験の有無」について結論として言えるのは、単に経験者かどうかを問うのは意味がなく、これまでの実務経験を転職後にどのように活用するのか、が問われています。

同業他社で同じ職種での実務経験があるからといって、そのまま転職後も即戦力として活躍できると保証されているわけではありませんし、全く異なる業界で別の仕事をしていたからと言って、転職を機にゼロからやり直さねばならないわけでもありません。そのような効率の悪い転職は、そもそも思い留まるべきですし、これまで身につけてきた知識や経験やスキルを活用して転職後の組織に何らかの貢献をしてくれるはずと考えるからこそ、転職先の組織は新たな人材を受け入れるのです。転職後に組織に貢献できることで自らの価値を証明してみせることが、次のキャリアを展開するチャンスを招くことになるのです。

 

(6)に続く

 

作成・編集:人事戦略チーム(202343日)