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人的資本経営時代に給与を適切に調整するには(5)

人的資本経営時代に給与を適切に調整するには(5)

 

前回は、データサイエンティストを例にとって、スキルと報酬のダイナミズムの一端を紹介しましたが、世の中の仕事の大半はデータサイエンティストほど変化が激しいわけではありません。しかし、確かに仕事に変化はあります。

一般に、事業を進めていくと資本は毀損します。機械設備などの有形の固定資産であれば設備の減耗があります。そこで、減価償却といった形で貯めた資金を次の投資に活用することになります。ソフトウエアやブランドといった無形資本も、ITシステムが古くなり昔のものでは使えなくなったり、技術的にサイバー攻撃に耐えられなくなったりすれば、否応なく新たな投資が必要となります。

人的資本でも同じことが求められます。即ち、リスキリングという形の投資が必要なのです。仕事の内容がビジネスの変化に伴って新しくなれば、新しい仕事のやりかたに対応していかなければなりません。

たとえば、定型的な事務を処理する仕事においては、RPAが普及し自動化・機械化が進んでいます。それらを使いこなすためのトレーニングが必要なのは当然ですが、同じ仕事量をこなすのであれば、人員削減は不可避です。同様の仕事を他社から委託されて処理量を増やすことができれば、その会社において人員削減はないかもしれませんが、仕事を委託した組織においてはその仕事がなくなり人手は不要となります。社会全体で見れば、削減された人員を別の仕事に充てていくのに必要な再教育が要請されます。一企業におけるリスキリングとは意味が違います。

また、アパレル業界では店舗自体が少人化・無人化が進んでおり、販売スタッフの数は次第に減少するでしょう。単なる販売員からコーディネートやEC(購入だけでなく再販売も含めて)をサポートできるアパレル流通のアドバイザーのような仕事に転換していく時期に差し掛かっているのかもしれません。

営業もそうです。伝統的な接待や人間関係で勝負するタイプの出番はなくなり、プロダクトやテクノロジー、取引先の顧客や市場に関する情報で顧客を支援するといった情報提供に価値を見出されるスタイルの営業が求められるようです。

ライターや翻訳、イラストレーターやデザイナーといった、これまでは人間の能力や感性が必須の仕事においても、AIを活用して自動化・低価格化が進みつつあります。こうした職種についても、既に工場の現場で見られるように、生産から製品検査まで全て自動化され、人間はモニターをチェックし、何かトラブルがあった時に対応するか、事前にAIが予測したトラブルを未然に防ぐために部品交換や修繕などのメンテナンスを行うようになるかもしれません。

自分の仕事は、プロジェクトの立案・予算作成・発注・納期管理・品質管理だから仕事がなくなることは当分ありえない、と思っている人もいるでしょう。こうしたタイプの仕事は、実は多重下請け構造のなかで中抜きをしているだけというケースが実に多いので、社会全体のIT化が進展するに従って高コスト構造の元凶であることが明確になり、取引の多重構造から外されていくでしょう。最終的には、最初の発注者(仕事の結果の受益者)と最後の受注者(実際に現場で仕事をする者)が直接取引できれば、発注者はより安く、受注者はより高く、契約することが可能となります。代理店やゼネラルコントラクターなどと呼ばれる中間業者の仕事はなくなり、そこに従事していた人々の仕事もなくなります。これは、事務仕事のRPA化とは異なり、仕事そのものの喪失ですから、従事していた人々は当然、リスキリングの対象となります。ただ、会社そのものがなくなりかねないため、リスキリングを組織が主導権をもって行うことは難しいでしょう。

 

『リスキル・学び直し』に成功したからといって、給与や賃金(昇給、新たな手当の獲得、賞与など)、その他の経済的な報酬や非金銭的な報酬(さまざまな特権や心理的な褒賞なども含む)が得られる保証は原理的にありません。その理由は次の通りです。

もし、リスキリングと報奨制度を直結させようとすれば、まずは新たに習得すべきスキルの内容と習得すべき水準を定義しなければなりません。たとえば、「〇〇事業に関する××業務を△△の程度で処理できる程度に◇◇のスキルを習得し、今期の☆☆の案件で実行してみせることがあった」から、1万円(3%)昇給させるといったルールを整備すべきです。

このルールを厳格に適用しようとすれば、スキルの金銭的な価値が減少すれば給与や賃金も減少することになります。VUCAといわれて久しい状況で、昨日までは価値のあったスキルが今日は無価値となることは珍しいことではありません。従って、不要となったり価値が低減したスキルに対して支払っていた賃金や給与はゼロになったり減額されたりしなければなりません。

もちろん、現実的には、そして法律的にも、一方的な減額はできません。その代わりに、価値のあるスキルを新たに習得してもらうことで、減額すべき分に相当する価値を身につけて発揮してもらうことが望ましい解決策となるでしょう。

『リスキル・学び直し』といっても、そもそも、自社内部にリスキリングできた人を配置転換する部署があるかどうかも問題です。そうそう都合よく仕事とスキルの過不足が一致するとは思えません。

つまり、リスキリングに成功したこととそれが報奨に反映される(できる)こととは、別に扱うべきテーマです。リスキリングに成功したから可能なことは、新たな仕事への挑戦です。その仕事がどこに存在するのか、探してみなければわかりません。まだ社会にはない仕事であるかもしれません。

一方、『リスキル・学び直し』に要する投資コストは、自社内だけで考えるべきではありません。リスキリングに成功した社員が社外に出て雇用されることも成功として捉えるべきです。早期退職の割り増し退職金を支払うのか、リスキリングの費用を会社が負担するのか、社会的なコストも含めてより経済合理性の高いほうを選択するのが企業経営というものです。

 

さて、スキルと一口に言っても、スキルにはいくつかの種類があります。ここでは、ロバート・カッツのビジネススキル論をベースに、コンセプチュアル(概念化能力)、ヒューマン(対人関係能力)、テクニカル(職務遂行能力)について考えてみます。これらは、マネジメントのレイヤーが上がるほどコンセプチュアルがより求められてテクニカルの占める比率が低下し、実務の現場に近いほどテクニカルスキルが求まられるとされます。

誰しも想像できるように、テクニカルスキルは教材などツールを用いて学習するのが自然です。一例を挙げれば、時代が変わればビジネスツールも変わるものです。書類を作成するのに、昔は手書きだったでしょう。それがワープロになり、パソコンが普及するにつれて、一太郎を使い始め、ウィンドウズがほぼ標準となるとワードに切り替えていくことになりました。同様に、表計算の作業では、そろばんと電卓の併用から、エポカルクやランプランといったオフィス用コンピューターにメーカーごとに付属していた表計算ソフト、一時期パソコンで流行ったロータス123、そしてウィンドウズ標準化によりエクセル、更にはグーグルのスプレッドシートへと変わっていきました。グラフやチャートなどは、手書きから花子やフリーランスを経てパワーポイントに変わっていったのではないでしょうか。このように、仕事をするためのツールが変われば、その習得が必要になります。テクニカルスキルとは、正にこのスキルです。

ヒューマン(対人関係能力)は、文字通り、対人関係を維持・発展させて仕事を進めていくのに必要なスキルです。口頭や文書による表現能力もあれば、聞く力や他者の感情を感受する力、いわゆる折衝力や調整力といったものも含まれます。ただし、昔ながらの飲みニケーションは、もはやスキルとして認められないでしょう。

コンセプチュアルスキルは、マネジメントや意思決定に関わるスキルです。情報を収集・整理・活用して何らかの判断を下す能力、数値データやレポートを読んで何らかの兆候を読み取ったり対策を打ち出したりする力、現状を分析し組織を統括して指示・方針・ビジョンなどを打ち出す力、潜在的なニーズを読み解き新たな製品やサービスを着想しビジネスモデルを打ち出す力、必要な経営資源を特定しその調達に当たる力、時間軸を定めて事業や組織や職務を次に伝えていく力、リスクを感知しタイミングよく対策を取る力、M&Aや事業の分割・組織の統廃合など計画し実行する力、計画や予算を立案し実行を管理する力、などなどです。

 

スキルを別の面から分類してみると、普遍性と個別性という区分もあります。

普遍性のあるスキルというのは、社外でも通じる普遍的で一般的なスキルのことで、時には公的資格として定義されるものもあります。

個別性の高いスキルといえば、特定の職場で特定の仕事をしている人が使っている社内の隠語とか、個人が使っている補助的な帳票類(手書きメモなども含む)の使い方といったものがあります。社内の人間関係を熟知して、その人脈(出身大学による派閥とか趣味による集まりで非公式な意思決定が行われて公式な意思決定は追認にすぎない仕組みなど)を活用する力といったものも個別性が高いでしょう。

両者の中間に、業界での固有のスキルといったものもあります。その業界に特有な商慣習や専門的な知識や経験などは、普遍性と個別性の中間に位置付けられ、同業他社から即戦力となりうる人材を採用する際には最も重視されるものでしょう。

 

普遍性が高いコンセプチュアルスキルのひとつとして、学習する力(メタラーニングスキル)があります。これは、仕事を通じてであろうがなかろうが、環境の変化に応じて絶えず学習し続ける力を言います。これは、学習を継続する力、学習の意欲を持ち続ける力、自らの能力に疑問を突きつける力、過去の成功体験や知識・経験を自ら破却する力、継続的な知的好奇心などから構成されます。言葉で表現すれば、誰でも実行できるし現に実践していると自負する人も少なくないでしょう。

しかし、学習する力は「言うは易し、行うは難し」の代表的なものです。なぜなら、学習する力を発揮し続けた代表的な人物というと、葛飾北斎やベートーベンといった芸術家は浮かんでも、あまり経営者やビジネスパーソンでは浮かばないからです。

学習する力は、スキルの定義(内容と水準)をしている間に事業環境が変わり、スキルの再定義が必要となるVUCAの時代にこそ、より一層、その必要性が高まっている力に他なりません。それは、何を学ぶか、ではなく、どのようなマインドセットで自らを振り返るのか(どんなに優れた人でも、自分の立ち位置を冷静に振り返れば、学ぶべきものが見えてくるはず)が問われるものです。

むしろ、日常の仕事がある種の行動様式として身についてしまっているとすれば、それを変えるのは容易ではありません。学習する環境が整備され、学習に要する資源も十分に供給されているとしても、自分が優れていると自負している人には学習する力はありません。周囲の同僚や部下が仕事の内外で学習している姿を目にしたり、先輩や上司が自宅や留学先で学ぶ姿を見聞きしたとしても、本人に学習する意思や習慣がなければ無意味です。

これは本当の意味での生涯学習と呼ぶべきかもしれません。ちなみに、昔のサラリーマンにはこの力が欠如した人がよくいました。学習する力がないとどういうビジネスパーソンになってしまうか、その実例をひとつ挙げましょう。

東大法学部卒でそれなりに昇進し上場会社の取締役になった人がいました。さすがに業務知識は、配属になった部署ごとに学んだようですが、それ以外は専らゴルフと飲みニケーションです。その人物が子会社に常務執行役員として転出しました。そこでは、役員個室もないため、日常的に部長クラス(その中の1人は高卒で同期入社して先に子会社に部長として出向していた)との中身のないやりとりを多くの社員の目にするところとなり、今度の常務は役に立たないとか無能だという評判が1ヶ月もしないうちに子会社中に広まりました。半年も経たないうちに、新入社員ですらあの人よりバイトの人の方が使えると陰口を叩く始末でした。とはいえ、子会社の社長とはゴルフ仲間であったせいか、そのまま4年ほど在任しましたが、次の再就職先はなく、ビジネスパーソンとしてはそこで終わりました。

こうした役員に対して3千万円は下らない報酬を毎年支払うのであれば、せめて1億円単位の案件を取ってくるとか、(仮にあったらの話ですが)社外の人脈を紹介して子会社の製品開発や新規顧客開拓に多大な貢献するといった成果を求めたいものです。

報酬とは、出身校名よりも、社会人になってから学ぶ姿勢を継続して実践してきたことに対して支払うべきであることは論を俟たないでしょう。事業環境が変化し仕事もまた変化するものである以上、学習することは仕事(雇用されること)の最低限の条件です。従って、わずかなレベルであっても学習する力があることが最低賃金に含まれるものと解すべきです。仕事上必要だから学ぶにしても、趣味や道楽の延長で学ぶにせよ、継続して学び続けることが肝要です。

ちなみに、スキルに対して報酬を払う際に、目に見える、評価しやすいスキルほど、実は価値が低いことに注意が必要です。それらは、テクニカルスキルであることが多く、すぐに陳腐化してしまいます。反対に、目に見えにくく評価しにくいスキルが、コンセプチュアルスキル、中でも学習する力です。

実は、『リスキル・学び直し』が単にDXなどに関するテクニカルスキルを指しているとすれば、人的資本経営とはあまり関係のないテーマとなってしまいます。学習する力こそ、リスキリングの肝です。

報酬、特に金銭的な報酬という面では、『リスキル・学び直し』を行ったから昇給させるとか賞与を多くするといったやりかたは再考すべきです。リスキリングの結果、新たな仕事のチャンスが生まれ、その仕事の結果が形となったところで、金銭的な報奨は与えるべきものでしょう。結果が出るまでは、現金給与よりも仕事のチャンスや教育研修プログラムや社外学習の機会を与えることこそ、一種の報奨プログラムとして機能させるべきものです。

 

(6)に続く 

 

  作成・編集:人事戦略チーム(2022114日)