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久野綾希子氏の訃報に接して

久野綾希子氏の訃報に接して

 

昨日、俳優の久野綾希子が71 歳で乳癌により今月22日に亡くなっていたことが報じられました(注1)。劇団四季でミュージカルを始めとしてストレートプレイを含む数多くの舞台に立つ一方で、四季を退団した後は舞台だけでなくテレビドラマや映画など映像作品にも出演したり声優を務めたり、歌手としてもライブ活動を行うなど、歌と芝居に幅広く活躍されました。

その中で特に印象に残っているのが、「キャッツ」(初演)のグリザベラ役で歌う“メモリー”と、シェイクスピアの後期ロマンス劇と呼ばれる作品のひとつである「冬物語」で16年前に亡くなっていたはずの王妃ハーマイオニが姿を現すシーンです。

 

小学生の時に日生劇場で「ふたりのロッテ」を見て以来10数年ぶりに経験する劇団四季のミュージカルとして、代々木上原の近くに造られた仮設の専用劇場で日本初演の「キャッツ」を観ました。

当時、ミュージカル映画は相当に見ていても、舞台でのミュージカルはあまり気が進まない情況でした。「キャッツ」も、舞台装置にあまり馴染めず、演者がどこから登場するのかということばかりが気になって、音楽やダンスをあまり楽しめないまま、舞台が進行していった記憶があります。

そうした中、元娼婦の猫グリザベラに扮した氏が歌う“メモリー”です。まさにショーストッパーでした。ミュージカルという表現形式で描くことで、最も美しく説得力のあるシーンが現前しました。

たぶん、同じ内容を独白で語ったり、台詞のやりとりで見せることも可能ではあるでしょう。しかし、ミュージカルであるために、またその役を氏が演じたこと故に、このシーンから「キャッツ」は他のものに代え難い作品となりました。そして、劇団四季の他の作品、特にミュージカルを鑑賞していく直接の契機となったのです。

 

もうひとつの「冬物語」は、ギリシア悲劇か同じシェイクスピアが描く「タイタス・アンドロニカス」のような、酷い運命の悲劇か血腥い暴力の劇となってもおかしくはないプロットでありながら、後半の展開は「テンペスト」に近い和解と救済の物語です。

ハッピーエンディングとも思われるラストシーンで、主人公のシチリア王リオンティーズが不貞を疑って投獄されたまま自害した王妃ハーマイオニが、実は生きて匿われていたところから登場人物たちの前に姿を現すのです。

氏の立ち姿は、単に凛々しいとかきりっとして見事というだけでなく、寛容とか赦しといったものを同時に見せていたように思います。劇場ではなくイベントスペース(表参道のスパイラルホール?)での公演であったせいもあり、より近いところで目にすることができて、その立ち姿から現れ出てくるものを感じ取ることができたのは僥倖と言わざるを得ません。

「冬物語」では氏は主役ではないため、さほど登場シーンが多いわけでもありませんが、芝居全体を締めるこの瞬間に、立ち姿だけで観客の目を奪うのは、演技者として一流としか言いようがありません。あの姿をもう一度目にしたかったと思うのは、私だけではないでしょう。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

俳優の久野綾希子さん死去、71歳:時事ドットコム (jiji.com)

ミュージカル女優の久野綾希子さん死去 71歳、乳がん「エビータ」「キャッツ」劇団四季などで活躍スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

  作成・編集:QMS代表 井田修(2022825日)