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「皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上・下)」にみる無から有を生み出すリーダーシップ(2)

「皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上・下)」にみる無から有を生み出すリーダーシップ(2

 

 祖父に赤髭王(バルバロッサ)と呼ばれた皇帝フリードリッヒ一世、父にハインリッヒ六世をもって生まれた皇帝フリードリッヒ二世ですが、その出自から自動的に何の苦労も困難もなく皇帝となったわけではありません。フリードリッヒ二世が正式に神聖ローマ帝国の皇帝となったのは、3歳で遭遇した父親の死(母親コンスタンツァは翌年死去)から20年以上の時が経っていました。

その間には、幼少期からのイタリア南部のシチリア王国の統治を形式的には行ってはいたものの、封建諸侯同士の争いに巻き込まれるだけで、これといった有効な打開策がない状態が続きます。一方で、叔父フィリップ(ハインリッヒ六世の弟)が暗殺されてザクセン公オットーがローマ皇帝(オットー四世)となるも、直後にオットー四世がローマ法王インノケンティウス三世により破門されるなど、フリードリッヒ二世の子供時代は政治的な混乱ばかりでした。

自前の軍事力も経済力もなかったため、これらの混乱に対処する方策がないまま、自ら一方的に成人(=後見人であるインノケンティウス三世からの独立、シチリア王国に摂政を置かず自ら直接統治すること)を宣言することで、何とか苦境を打開しようと試みます。

成人したフリードリッヒ二世は、インノケンティウス三世の薦めで、スペインのアラゴン王の息女コンスタンツァと結婚し、持参金代わりにアラゴン王国から贈られた500人の騎士を手に入れることになります。この時、フリードリッヒ二世は14歳、一度はハンガリー王に嫁ぎ一児を儲けたが夫も子も亡くしたコンスタンツァは24歳でした。

法王インノケンティウス三世はもう一人の人物をフリードリッヒ二世に薦めました。それが、べラルド・カスタッカというバーリ(南イタリア)の大司教です。

 

法王の真意は、大司教ベラルドを通してフリードリッヒをコントロール下に置くことにあった。初めて会ったときの年齢が、フリードリッヒは十六歳で、ベラルドは三十三歳であったから、年齢的にもお目附け役には最適であったのだ。(中略)

だが、法王の期待はほとんどすぐに裏切られた。三十三歳が十六歳に何を見い出したのかは、大司教が何も書き残していないのでわからない。はっきりしているのは、これ以降のフリードリッヒの生涯を通じてのこのうえなき伴走者になるのが、パレルモの大司教ベラルドになるということである。(「皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)」63ページ)

 

実際、皇帝フリードリッヒ二世の最期を看取り、その死の2年後に息を引き取るまで、大司教ベラルドは皇帝の側近として、大司教でありながらローマ法王の意向とは相容れない皇帝の施策を実現すべく活動し続けます。

皇帝と歴代の法王との関係は、時が進むに従って、見解の相違から政治的対立、更には法王のローマからの追放へと精鋭化・激化していきます。そのプロセスにおいて、大司教ベラルドは一貫して皇帝の意向に従って動くとともに、時には皇帝とともにローマ教会から破門とされることもありました。

もう一人、ヘルマン・フォン・サルツァという15歳年上のチュートン騎士団の団長の存在も、年長の側近として忘れてはなりません。

 

ベラルドもそうだが、ヘルマンの徹底した協力ぶりは、彼が属する騎士団の利益のためという枠を完全に越えている。(中略)

もしかしたら、この二人のこれほどの献身には、夢を、つまりは理想を共有していたことに加えて、フリードリッヒのこの二人の「使い方」にもあったかもしれない。

フリードリッヒはこの年長者二人を、徹底的に活用する。だが、徹底的に信頼し、徹底的にまかせることで活用したのである。徹底して信頼されてうえで徹底して活用されることも、男にとっては喜びになるのでは、と思ってしまう。(中略)

これだけの協力者ともなると、信頼のおける情報の提供者にもなる。二十歳にもなるやならずでフリードリッヒは、正確で客観的な情報収集の必要性を知り、同時にその活用が重要極まりないことも知っていたようである。(「皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)」110ページ)

 

自分に何もない状況であっても、そこからリーダーシップを形成していくには、わずかなチャンスでも掴んで限られた範囲であっても実績を積み重ねていくことがまず求められます。フリードリッヒ二世で言えば、アラゴンからやってきた騎士500人は、初めて手にする自らの軍事力です。それを活用して、まずはシチリア王国を安定させる意思(本気である姿勢)を見せることが、統治者として最初に示すべき実績でしょう。

また、特に自分とは異なるタイプ(性格や行動など個人的な属性)や出自・経歴・能力などを有する「信頼に足る」人材、特に世代が異なる程度に年上の人材を引き付けることができれば、実績は後からついてくるというものです。

可能であれば、婚姻関係や女性関係といった個人的な人間関係についても、メリットがあれば積極的に活用することです。フリードリッヒ二世にとって最初の結婚の最大のメリットは、既に指摘したように、妻コンスタンツァについてきた騎士たち、すなわち自前の軍事力を持つことでした。

 

リーダーシップ、特に政治的なリーダーシップにおいて、情報や人脈の重要性は改めて述べるまでもないでしょう。多くのリーダーにとって課題となるのは、重要性はわかっていても、耳にしたくない情報でもはっきりと入れてくる側近は疎ましく思いがちであり、気心の知れた仲間内の人間関係から逸脱するには不快感や恐怖心が必要性や好奇心に勝ってしまうことでしょう。フリードリッヒ二世には、もともと人脈がなく、情報と言っても読書から得るくらいですから、ある時点から思うがままに情報や人脈を活用するようになったのでしょう。

起業などビジネスにおいても同様のことが言えます。ビジネスリーダーだからといって、顧客開拓もできれば技術開発もできて、財務もわかれば人事もできる、などというのはあり得ません。ビジネスリーダーとして、自分にとって何ができることで、何ができないこと・苦手なことであるのか、まずは、その洗い出しをしてみましょう。そして、できないこと・苦手なことは、信頼のおける人に任せましょう。

もちろん、信頼のおける人、それも自分よりも年長の人というのは、そうそう見つかりません。だからこそ、リーダーになる前の時期にこそ、さまざまなタイプの人々と交流して、信頼に足る人を見つける時間と労力を惜しんではいけないのです。

そして、結婚などの形で得たパートナーやパートナーの実家から得られる支援は堂々と受けるということも、リーダーシップの無視できない要素のひとつでしょう。

 

(3)に続く

 

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2022725日更新)