岩波ホール閉館へ

岩波ホール閉館へ

 

先週、岩波ホールの公式HPに今年の729日をもって閉館するとのお知らせがありました。昨年2月にリニューアル・オープンしたばかりでしたが、コロナ禍の影響をまともに受けてしまい、今後の事業運営が成り立たなくなったものと推察されます。1980年代から90年代初頭にエキプ・ド・シネマの会員だった筆者にとっても、まさか1年後に閉館を公表するところまで厳しい状況に陥っていたとは思いませんでした。

ご存じの方も多いと思いますが、岩波ホールは神保町の岩波書店(岩波神保町ビル)の10階にあり、定員制・各回入れ替え制(必ず着席して鑑賞できる)・予告編上映時の企業CMなし・予定された上映期間の厳守(途中で打ち切らない)・注目されにくい名作の上映を目的とした会員制などの特徴をもっています。

これらの特徴は、特に1980年代以降のミニシアターの運営方針に影響を与え、定員制・入れ替え制・会員制など多くのミニシアターに導入されていきました。特に、シネヴィヴァン六本木やシネマスクエアとうきゅうなどの大手資本参加のミニシアターのありかたに影響していました。

 

さて、岩波ホールで鑑賞したことがあると思い出せる作品には次のようなものがあります。(以下の表記は、「作品の日本語タイトル」岩波ホールでの上映年、“原語でのタイトル”制作年と制作国”の順になります。なお、本稿で言及する映画作品および岩波ホールについては、岩波ホール公式HP及び映画作品紹介のデータベースなどを参照してください。)

 

「フィオナの海」(1996年上映、“The Secret of Roan Inish1994年アメリカ)

「林檎の木」(1994年上映、“Apfelbaume1990年ドイツ)

「女と男の危機」(199394年上映、“La Crise1949年フランス)

「森の中の淑女たち」(1993年上映、“The Company of Strangers1990年カナダ)

「婚礼」(1993年上映、“Wesele1973年ポーランド)

「ジャック・ドゥミの少年期」(1992年上映、“Jacquot de Nantes1991年フランス)

「ミシシッピー・マサラ」(199192年上映、“Mississippi Masala1991年アメリカ)

「コルチャック先生」(1991年上映、“Korczak1990年ポーランド=西ドイツ=フランス)

「ジプシーの時」(1991年上映、“Dom za Vesanje1989年ユーゴスラビア

「安心して老いるために」(1990年上映、1990年日本)

「チュ・ニャ・ディン」(1990年上映、“Tjoet Nja’Dhien1988年インドネシア)

「サラーム・ボンベイ!」(1990年上映、“Salaam Bombay!1988年インド)

「三人姉妹」(198990年上映、“Paura e Amore1988年イタリア=フランス=西ドイツ)

「八月の鯨」(1988/89年上映、“The Whale of August1987年イギリス)

「悪霊」(1988年上映、“Les Possedes1987年フランス)

Tomorrow 明日」(1988年上映、1988年日本)

「ローザ・ルクセンブルク」(1987年上映、“Rosa Luxenburg1985年西ドイツ)

「ベルイマンの世界」(1987年上映、“Dokument, Fanny och Alexamder1986年スウェーデン)

「エミリーの未来」(1987年上映、“L’avenir D’Emily1984年西ドイツ=フランス)

「オフィシャル・ストーリー」(1987年上映、“La Histoia Oficial1985年アルゼンチン)

「ジャンヌ・モローの思春期」(1986年上映、“L’Adolescente1979年フランス)

「マルチニックの少年」(198586年上映、“Rue Cases Negres1983年フランス)

「遠い道」(1985年上映、“Sadgati1981年インド)

「ファニーとアレクサンドル」(1985年上映、“Fanny och Alexamder1982年スウェーデン=フランス=西ドイツ)

Akiko―あるダンサーの肖像―」(1985年上映、1985年日本)

「国東物語」(1985年上映、1984年日本)

「白樺の林」(1985年上映、“Brzezina1970年西ドイツ)

「伽倻子のために」(198485年上映、1984年制作日本)

「歌っているのはだれ?」(1984年上映、“Ko To Tamo Peva1980年ユーゴスラビア)

「ドイツ・青ざめた母」(1984年上映、“Duetschland Bleiche Mutter1980年西ドイツ)

「エミタイ」(1984年上映、“Emitai1971年セネガル)

「ダントン」(1984年上映、“Danton1982年フランス=ポーランド)

「イフゲニア」(198384年上映、“Iphegeneia1978年ギリシア)

「インタビュアー」(1983年上映、“eskolko intervyu po Lichnym Voprosam1978年グルジア)

「新しい家族」(1983年上映、“Muzhiki!……”19816年ソ連)

「モリエール」(1983年上映、“Moliere1978年フランス=イタリア)

「曽根崎心中」(1983年上映、1981年日本)

「アギーレ・神の怒り」(1983年上映、“Aguirre, Del Zorn Gottes1972年西ドイツ)

「恋の浮島」(1983年上映、“A Ilha dos Amores1982年日本=ポルトガル)

「熊座の淡き星影」(198283年上映、“Vaghe stelle dell’orsa1965年イタリア)

「ゲームの規則」(1982年上映、“La Regle du Jeu1939年フランス)

「落葉」(1982年上映、“Listopad1966年グルジア)

「無人の野」(1982年上映、“Canh dong hoang1980年ベトナム)

「早池峰の賦」(1982年上映、1982年日本)

「鏡の中の女」(1982年上映、“Ansikte mot ansikte1975年スウェーデン)

「アレクサンダー大王」(1982年上映、“O Megalexandros1980年ギリシア=イタリア=西ドイツ)

「山猫」(198182年上映、“Il Gattopardo1963年イタリア=フランス)

「秋のソナタ」(1981年上映、“Hostsonaten1978年スウェーデン)

「約束の土地」(1981年上映、“Ziemia Obiecana1975年ポーランド)

「アメリカの伯父さん」(1981年上映、“Mon oncle d’Amerique1980年フランス)

「株式会社」(1981年上映、“Simabaddha1972年インド)

「チェスをする人」(1981年上映、“Shatranj ke khilari1977年インド)

「ある結婚の風景」(1981年上映、“Sceneur ett aktenskap1974年スウェーデン)

「鏡」(1981年上映、“Zerkalo1975年ソ連)

「ルードヴィヒ」(198081年上映、“Lutwig1972年イタリア=西ドイツ)

「大理石の男」(1980年上映、“Cziowiek Marmuru1977年ポーランド)

 

多分、岩波ホールで最初に観たのは「大理石の男」です。この作品は、当時のポーランドで盛んになっていた連帯という自主的に結成・運営された労働組合を中心とする自由化を求める政治運動を、アンジェイ・ワイダ監督の次の作品「鉄の男」とともに強く後押しした作品でした。この作品を観るために岩波ホールのある10階から階段を下って長い列ができるほど、日本でも注目を集めた作品でした。

その次に、ルキノ・ヴィスコンティの「ルードヴィヒ」、アンドレイ・タルコフスキーの「鏡」、インゲマル・ベルイマンの「ある結婚の風景」と、アンジェイ・ワイダ監督作品とともに筆者の映画観とか映画の見方を大きく広げていくことになる作品が続いていました。特にインゲマル・ベルイマン監督作品(「ある結婚の風景」「秋のソナタ」「鏡の中の女」「ファニーとアレクサンドル」)は同時代の作品を全て岩波ホールで見ており、ここからベルイマン監督の多くの作品に触れていくことになりました。

こうして観たはずの作品をリスト化してみると、映画の見方が多様化していった大きな契機が岩波ホールであったことが自覚できます。アジアの映画(インドおよび東南アジア諸国)についても、岩波ホールで観たことがきっかけとなり、国際交流基金の東南アジア映画祭など他のところでも観ることがよくありました。同様に、ソ連および東欧の国々の作品についても、岩波ホールで見てから映画祭などの場(文芸座や三百人劇場などで行われていた記憶があります)でより多くの作品を観る機会をもちました。

岩波ホールの特徴のひとつにドキュメンタリーを数多く紹介してきたことがあります。実際に観た作品としては、「早池峰の賦」「曽根崎心中」「国東物語」「Akiko―あるダンサーの肖像―」「ベルイマンの世界」「ジャック・ドゥミの少年期」があります。特に「ベルイマンの世界」と「ジャック・ドゥミの少年期」は得難い経験となる作品でした。

「ベルイマンの世界」は、インゲマル・ベルイマン監督の制作(演出)プロセスを見ることができた貴重な作品でした。「ジャック・ドゥミの少年期」は当時亡くなったジャック・ドゥミ監督がどのように子供の頃を過ごしてきたのかを、妻でドキュメンタリー映画監督のアニエス・ヴァルダが制作したもので、ジャック・ドゥミのミュージカル映画の温度(体温)のようなものがどこから生じてくるものなのか、少しは感じ取ることができるような気がしました。

また、「曽根崎心中」は文楽の記録映画で、母といっしょに観に行ったことがある唯一の映画でした。この点でも岩波ホールは忘れがたいところです。

 

次に、岩波ホールで上映された時には観ていなかったはずで、岩波ホールでの公開後、別の場所(いわゆる名画座や自主上映のミニシアターなど)で見た記憶があるものを挙げてみます。

 

「旅芸人の記録」(1979年上映、“O Thiassos1975年ギリシア)

「木靴の樹」(1979年上映、“L’Albero degli zoccoli1978年イタリア)

「家族の肖像」(197980年上映、“Gruppo di famiglia in un interno1974年フランス・イタリア

「ピロスマニ」(1978年上映、“Pirosmani1969年グルジア)

Black and White in Color(1978年上映、“La Victoire en Chantant1977年コート・ジボワール=フランス)

「白夜」(1978年上映、“Quatre nuits d’un reveur1974年フランス・イタリア)

「トロイアの女」(1977/78年上映、“The Trojan Woman1971年アメリカ)

「糧なき土地」(1977年上映、“Las Hurdes1932年スペイン)

「自由の幻想」(1977年上映、“le Fantome de la liberte1974年フランス)

「惑星ソラリス」(1977年上映、“Solaris1972年ソ連)

「フェリーニの道化師」(197677年上映、“I Clowns1970年イタリア)

「大いなる幻影」(1976年上映、“La Grande Illusion1937年フランス)

「オール・ザ・キングスメン」(1976年上映、“All The Kings’Men1949年アメリカ)

「狂った一頁」(1975年上映、1926年日本)

「十字路」(1975年上映、1928年日本)

「メキシコ万歳」(1980年上映、“Que Viva Mexico!1979年ソ連)

「緑色の部屋」(1980年上映、“La Chambre Verte1978年フランス)

 

 これらの作品も作品選択の多様化に大きく影響しています、たとえば、アンドレイ・タルコフスキーは「鏡」を見た前後に「惑星ソラリス」をどこかで観ており、他の作品も日本で公開されれば必ず観に行くようになりました。

フェデリコ・フェリーニの「フェリーニの道化師」、ルイス・ブニュエルの「自由の幻想」「糧なき土地」、ルキノ・ヴィスコンティの「家族の肖像」、セルゲイ・エイゼンシュタインの「メキシコ万歳」、フランソワ・トリュフォーの「緑色の部屋」なども、それぞれの監督の他の作品とともに特に忘れがたいものです。これらの作品がもともと岩波ホールで公開されていたとは知りませんでした。こうした作品を紹介してくれたことに改めて感謝したいと思います。

 

 神保町の岩波ホールが閉館する一方、下北沢では20日(明日)シモキタ-エキマエ-シネマ「K2」が小田急線の線路跡地の開発による複合施設(tefu)lounge(テフラウンジ)の2階にオープンします。

下北沢には、以前はすずなり一番館(現在のシアター711の場所)というミニシアターがありましたが、今は下北沢トリウッドというミニシアターが20年以上にわたって活動しています。下北沢がミニシアターの新たな拠点となり、岩波ホールとは別の形で、映像作品を目にする機会をより多様にしていくことを願わずにはいられません。

 

  作成・編集:QMS代表 井田修(2022119日)