ピーター・ボグダノヴィッチの訃報に接して

ピーター・ボグダノヴィッチの訃報に接して

 

昨日、映画監督のピーター・ボグダノヴィッチ氏が82歳で亡くなっていたことが明らかになりました(注1)。若い頃には年間400本以上の映画を観るシネマディクトから映画史家・映画評論家として執筆活動を行う一方、1960年代後半からは映画監督としても活躍しました。特にコメディ映画で観客を楽しませてくれました。

個人的に鑑賞したことがあるのは、次の4作品(注2)です。

 

「ラスト・ショー」(The Last Picture Show1971)

「おかしなおかしな大追跡」(“What’s Up, Doc?1972年)

「ペーパー・ムーン」(“Paper Moon1973年)

「ニッケルオデオン」(“Nickelodeon1976年)。

 

実際に観た順番は制作年とは異なり、80年代になって「ニッケルオデオン」がようやく公開となり、シネマスクエアとうきゅう(注3)の開業第23作として鑑賞したのが最初でした。その後、他の作品を名画座などで見たはずです。

この作品はタイトルそのままに、ニッケルオデオン5セントで見られる映画館という意味)でかかるような映画を作ろうとしていた映画創成期の人々のコメディです。とはいえ、自分たちの作品が映画史に残る作品として今も言及される「国民の創生」(D.W.グリフィス監督)とのレベルの違いを実感させられる登場人物の姿に、ボグダノヴィッチ監督の姿が重なるような気がします。商業映画の形を借りて、映画および映画史への敬意と自己反省を見せているように思われた作品でした。

「ペーパー・ムーン」では、「ニッケルオデオン」と同じくライアン・オニールとテイタム・オニールの父娘共演を楽しむとともにアメリカ映画とは思えないほのぼのとした感じと苦さや苦しさを同時に味わうことができます。コロナ禍の今こそ、改めて見たい映画のひとつです。

「おかしなおかしな大追跡」では、ライアン・オニールとバーブラ・ストライサンドなどのドタバタとしたコメディを堪能できます。特にバーブラ・ストライサンドは、それまで「追憶」や「スター誕生」の印象が決定的だったので、コメディに出演していること自体に驚くとともに、その世界を楽しんでいるようにも思われました。

「ラスト・ショー」は「ペーパー・ムーン」同様にカラーではなくモノクロで制作された映画です。映画創成期を舞台とする「ニッケルオデオン」はもちろん、19050年代のテキサスの田舎町に1軒だけある映画館を重要な場所とする「ラスト・ショー」も映画を抜きにしては成り立たない作品です。描かれている世界は、もしかするとボグダノヴィッチ自身の若い頃の姿が多少なりとも投影されたものだったのかもしれません。

フランスのヌーベルバーグが映画作家だけでなく映画批評家や映画研究者を中心とした運動であり、そこから多くの映画監督がパリから輩出されたように、ジョン・フォードの研究者としてニューヨークの映画史家から監督となったボグダノヴィッチは、そうした映画研究・映画史研究の面でもいくつもの業績を残しました。

まさに映画抜きには仕事も人生も成立しなかった人でした。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

CNN.co.jp : 米映画監督のピーター・ボグダノビッチ氏が死去 82歳 アカデミー賞ノミネートの「ラスト・ショー」など

「ペーパー・ムーン」のピーター・ボグダノビッチ監督が死去 82 - おくやみ : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

 

【注2

 

各作品のご紹介まで。

 

【注3

来春開業予定の「東急歌舞伎町タワー」の場所にあったミラノ座・新宿東急・ミラノボールなどが入っていたビルの一角にあったミニシアター(1981年に開業)。営業していたころの様子は以下の記事に詳述されています。

シネマスクエアとうきゅう (港町キネマ通り) (cinema-st.com)

 

  作成・編集:QMS代表 井田修(202217日)