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「図説 北欧神話大全」に見る“語り継がれるストーリー”(4)

「図説 北欧神話大全」に見る“語り継がれるストーリー”(4

 

 北欧神話を一言でまとめれば、世界の生成と神々の誕生、神々とさまざまな種族との物語、そして神々の最後の戦いを描いたものです。

 

 最後の戦いが行われるのはヴィーグリーズという野だ。そこはどの方向から見ても100リーグ(約480キロメートル)先まで広がる平原で、この野で、計り知れないほど膨大な軍勢が相まみえることになる。(中略)

エインヘルヤル(ヴァルキュリーという「盾持つ乙女たち」が生死を決めてヴァルハラに集めた戦士たち)の先頭に立つのはオーディンだ。……隻眼の神が向かっていったのは狼のフェンリル、かつて自らの手で餌を与えた生き物だ。(中略)

流血で真っ赤に染まった野で殺戮が繰り広げられるなか、神々がつぎつぎと倒れていく。オーディンはフェンリルの怪物のようなあごにのみ込まれ、みずから何度も思い描いていた最期を遂げる。

オーディンを破ったフェンリルは、闇が深まる天空に向かって遠吠えを上げるが、この勝利を長く楽しむことはできない。オーディンの息子ヴィダールが父親の復讐のため進み出てくる。……ヴィダールはフェンリルが大きく開けた口のなかに片足を踏み入れ、みずからの体を狼の上あごにあてがうと、ぐいっと全力で腕を突き上げ、狼の口を引き裂く。フェンリルは死に、オーディンの復讐が果たされる。(「図説 北欧神話大全」436441ページ)

 

 フェンリルは、最後にオーディンを倒しますが、オーディンのライバルというよりも死すべき運命を具象化したようなき存在です。自身が自らの死を予想していた通りの姿で、もともと餌を自ら与えていたフェンリルによってオーディンは殺されるからです。

 オーディンは戦士を集め、知識を求め、来るべきラグナロクに備えていたはずですが、運命には逆らえないことも知っていたのでしょう。このように、わかっていながら、とうとうその時(悪い命運)を将来してしまうことは、多くの人々にとって避けられない運命に思われます。

とはいえ、実際には、日頃の生活習慣や言動が、その時を招いていると客観的には見える場合が少なくないこともまた、事実です。生活習慣病という呼び名ひとつをとっても、そのことは明らかです。オーディンについていえば、飼い犬に手を咬まれた、レベルの話ではなく、そもそも飼うことが妥当な判断だったのかと疑問を持たざるを得ません。

企業経営においても、経営危機につながりそうなシグナルは財務的にも営業政策的にも組織文化や従業員満足度などの面で見ても明らかなのに、抜本的な対応策を先延ばしにしているうちに、最悪の事態を迎えてしまうケースが、あまりに多くありすぎます。北欧神話が語っていることは、私たちの身近なことでもあります。

さて、フェンリルはもともとオーディンとどのような関係や因縁があったのでしょうか。その出自は次のようなものです。

 

 ロキと女巨人アングルボダのあいだに生まれた長子、狼のフェンリルは、どの狼よりも恐ろしい。フェンリルの息子である狼のスコールは、天空で太陽を追いかけ、ラグナロクでは太陽を飲み込む。フェンリルの別の息子、狼のハティも、月を追いかけ、やはり最後には月に追いつく。(中略)

フェンリルが手に負えなくなるまえに何か手を打たねば、と考えた神々は、鉄の鎖で足を縛ることにした。……(フェンリルが)片足を枷に入れて力を込めただけで、枷はまっぷたつに割れた。神々はもっと強い足枷が必要になった。……神々がしっかりとつけ終えたところで、フェンリルがぐっと力を込めてその重い足枷を押した。足枷を地面にたたきつけ、全力で脚をひねった。足枷がはずれ、その破片が遠くまで飛び散った。(中略)

世界最強の生き物でも壊せない足枷を作るつもりなら、神々には助けが必要だった。そこで、世界最高の鍛冶師に頼むことにした。ドヴェルクである。(中略)

フェンリルの最後の力試しに、オーディンは特別な場所を選んだ。真っ黒な湖の中央にあるリングヴィという島だった。(中略)

フェンリルがグレイプニル(ドヴェルクたちが作った紐状の足枷のこと)から逃げられないと確信した神々は、グレイプニルのもう一方の端をギョッルという大きな石にくくりつけ、この石を地中深くに埋めた。そして、ひとりの神が、オーディンに突っかかっていこうとする大きく開けたフェンリルの口に、剣をさっと差し入れた。その剣は垂直にはまり込み、フェンリルは口をあんぐりと開けたままになった。(「図説 北欧神話大全」174178ページ)

 

 こうした記述を読むと、オーディンたち神々はフェンリルの育て方を間違ったのか、もしくは自分たちとは異なる外見や出自をもつフェンリルを恐れるあまり、現代で言う「いじめ」や「迫害」の対象として扱っているように思われます。

フェンリルは、ロキという神々のひとりから生まれた子です。にもかかわらず、力が強い(強すぎて神々のコントロール下に置けない)からといって、言葉巧みに罠を仕掛けて、足枷をはめて拘束するというのは、いかがなものでしょうか。

狼は「赤ずきん」や「三匹の子豚」などの童話でも悪役です。森の近辺で暮らしていた人間にとって、力や獰猛さや畏怖の象徴的存在であることは想像できますし、人狼伝説のように近くにいる人間が狼であるかもしれないという恐怖も理解できなくもありません。

神々の姿は自然の前に力の限界を思い知らされる人間を反映しているはずです。とはいえ、巨人たちと神々との間から生まれた存在に対して、あまりに一方的な扱いです。半ば近しい存在であるが故に、より厳しい手段に訴えているようにも思われます。

それでは、こうしたフェンリルを生んだロキとはどのような神なのでしょうか。

 

 ロキはつかみどころのない登場人物である。……ロキは神々の一族としては異端で、ふつうの場合とは違い、ロキの父親はファルバウティという残酷な巨人、母親が女神のラウフェイだ。ロキが母親の名を冠してロキ・ラウフェイソン(ラウフェイの息子)と呼ばれるのは、神々がロキの父親の血筋を疑っているしるしである。……ロキの妻は忠実なシギュンで、ナリとナルフィという息子たちが生まれた。ただし、この息子たちはふたりとも父親の無分別のせいで罰せられ、陰惨な最期を迎える。またロキは巨人族の愛人もおり、怪物のような子供たちを3人もうけた。こちらの子供たちは、ラグナロクの際に神々の強敵となる。(中略)

ロキはいつも外見を変えてばかりいる。とくに、鳥や魚、かむ虫に変身するのが好きだ。女性にも複数回化けたことがわかっている。……盗みを働くこともあれば、莫大な富をもたらすこともある。大切な仲間となることもあれば、陰口をたたき、殺人を犯しかねない狡猾で残忍な悪党でもある。ロキはオーディンと兄弟の契りを結んだ間柄だが、(中略)ラグナロクの際に(神々の罰した捕縛を解いて)逃亡し、巨人の国からムスベルの息子たちを運ぶ船の船長となって、神々の住まいを破壊する。こうして最後の最後に、大の厄介者ロキは仕返しをすることになる。(「図説 北欧神話大全」8788ページ、98ページ)

 

 神々のなかに神々を滅ぼすもとになるものがロキなのです。言い換えれば、神々の存在そのものが神々の終末をもたらします。

このように、主人公や物語の枠組みに「死」や「終わり」の原動力が内包されていると、物語がダラダラせずに、収束に向かって自然とテンションが高まります。

こうした構成は、フィクションとしては成立させることが可能ですが、ノンフィクションとして現存する組織や人物を描こうとすると、客観的に表現できることでも関係者の主観に無神経に触れることになり、実行は難しいでしょう。私たちがフィクションとしての物語に惹かれる理由の一端は、ノンフィクションでは「死」や「終わり」を描き切れない点にあるのかもしれません。

 ちなみに、主人公オーディンが死んだ後は、生き残った神々と辛うじて助かった二人の人間が、神話と大地を引き継いでいきます。滅亡と再生が最後に語られるのも、大きなストーリーになるほど必要な機能でしょう。

企業でも、ビジネスでも、ブランドでも、ひとつの物語の終焉が次の物語の端緒となることが求められます。仮に会社が倒産したり事業を清算したりすることがあっても、それで「終わり」ではありません。そこから再生する物語こそ、語られるべきストーリーであるはずです。

 

(5)に続く

 

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(20211220日更新)