澤井信一郎氏の訃報に接して

澤井信一郎氏の訃報に接して

 

昨日、映画監督の澤井信一郎氏が今月3日に多臓器不全のため83歳で死去したことが発表されました(注1)。

40歳で監督としてデビューされた澤井氏が監督された映画作品は10本強と決して数多いものではありません(注2)。そのうち筆者が劇場で見た作品は、デビュー作からの3作(注3)に過ぎませんが、これらの作品を通じて映画の見方の歪みや観客として持っている偏見を実感させてくれた監督でした。

 

大学生の頃は毎週23日は映画館に通う映画ファンだった筆者にとって、当時のアイドルが主演する映画というのは、鑑賞し批評するに値しない作品という先入観が強くありました。大林宣彦監督などごく一部の監督の作品については、名画座やオールナイトで過去の作品を振り返る特集上映が行われる際に目にすることはあっても、アイドルが主演する映画をロードショー(封切り)館に見に行くことはなく、二番館や三番館でもほとんど観ていませんでした。

当時でもかなり遅咲きの監督デビューの作品として、伊藤左千夫原作の「野菊の如き君なりき」のリメイクを松田聖子初主演映画という、今改めて考えれば、これほどプレッシャーのかかる状況はない状況で、初監督として仕事に臨んだわけです。普通の人であれば、力が入りすぎてしまったり、反対に思うように意図が通じず力が発揮できなかったりしそうなものです。それまで20年にわたって東映で助監督や脚本に携わってきた氏は結果を出してみせ、ポスト山口百恵として歌だけでなく映画やドラマも期待されていた松田聖子をスターに成長させる大事な作品を作り上げました。

個人的には、「野菊の墓」はまったく観る気もなく何の期待も抱いていませんでした。ただ、当時購読していた“イメージ・フォーラム”という映画・映像作家向けの専門誌で、映画評論家か映画批評家のどなたか(多分、蓮見重彦氏、または編集主幹だったかわなかのぶひろ氏)が「野菊の墓」と澤井監督の演出について好意的に書かれていたものを読んで、どの程度のものか見てみようという気持ちになった記憶があります。

アイドル映画という先入観が“イメージ・フォーラム”の記事で補正されていたためか、実際に劇場で「野菊の墓」を観るとそこには松田聖子が写っているわけではなく、「野菊の墓」の民さんをスクリーンに観ることができたのです。言い換えれば、アイドルの出演している映画ではなく、明治時代の恋愛というひとつの世界を映像で描いた作品を観ることになったわけです。それだけ強く、アイドルが主演する映画は作品と呼ぶに値しないと思い込んでいたわけです。

「野菊の墓」以降、映画に限らず舞台や音楽においても、アイドルだからという見方は次第にしなくなり、ひとつひとつの作品としての出来・不出来を観て考えるようになった契機を澤井監督から与えられたと言わざるを得ません。

 

そうした見方は、Wの悲劇」や「早春物語」でより強化されたのかもしれません。いずれも既に角川映画のアイドル女優としての地位にあった薬師丸ひろ子と原田知世を主演に据えていますが、アイドルの魅力を引き出すためだけの映画ではなく、それぞれの作品の世界をしっかりと描き出すことに成功しています。別言すれば、主演女優を変えてリメイクしても作品が成立する可能性が高いと思われるのです。実際、いずれも改めて製作されています(注4)。

もちろん、アイドルだけでなく、歴とした女優にも作品と呼ぶに相応しい演技を引き出すのに成功しています。その結果は、たとえばWの悲劇」で三田佳子に助演女優賞をもたらしたことからもわかります。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

「Wの悲劇」の澤井信一郎監督死去。83歳、多臓器不全 : スポーツ報知 (hochi.news)

〝アイドル映画の巨匠〟澤井信一郎監督、逝く松田聖子「優しい笑顔が忘れられません」 - サンスポ (sanspo.com)

 

【注2

氏の映画作品一覧は、ウィキペデアや映画関連のサイトを参照してください。

 

【注3

製作・公開された順に、「野菊の墓(1981年)」「Wの悲劇(1984年)」「早春物語(1985年)」です。主演はそれぞれ、松田聖子・薬師丸ひろ子・原田知世です。

 

【注4

Wの悲劇」は、2019年にNHK-BSプレミアム・リバイバルドラマで夏樹静子の原作を劇中劇ではない形でドラマ化しています。

「早春物語」は、1986年にTBSで連続ドラマとして製作されています。

 

 

  作成・編集:QMS代表 井田修(202197日)