マイケル・ロンズデールの訃報に接して

マイケル・ロンズデールの訃報に接して

 

一昨日、イギリス系フランス人の俳優で舞台演出家でもあったマイケル・ロンズデール氏がパリ市内の自宅で亡くなりました(注1)。200本を超える映画映像作品に出演したそうですが、そのうちの5本しか観ていない筆者にとっては、それだけでも強く記憶に残る俳優でした。

そのうちの4作品は1970年代のもの(注2)で、正体不明の殺し屋を追う主任捜査官(「ジャッカルの日」)、フランスからアジアに赴任した外交官(「インディア・ソング」)と「ヴェネツィア時代の彼女の名前」)、ジェイムス・ボンドの敵役となる大富豪(「007 ムーンレイカー」)というように、さまざまな役を演じています。

 

「ジャッカルの日」は、ジャッカルという通称で呼ばれる主人公の殺し屋をエドワード・フォックスがスマートに寡黙に冷徹に演じているのに対して、ロンズデールの演じたルベル警視は見た目からしてスマートとは言い難く、妻には全く頭が上がらず、部下に怒鳴り散らしたり疲れて眠りこけたりしつつも、殺し屋を追うためなら、事情を知る政府要人たち全員の盗聴を秘密裏に行い、情報漏洩の元を絶ち、最後は大統領暗殺を正に実行中の現場に踏み込んで殺し屋を自ら射殺する、実に人間味溢れる役を演じています。

ただ、映画を観終わった後には、結局、本名も年齢も国籍もわからないまま埋葬されたジャッカルのクールな姿が記憶に残るでしょう。それも、ルベル警視の姿との対比があるからこそ、より強く残るものと思われます。

007 ムーンレイカー」では、分散型の敵役(注3)のためか、アクションやコミカルなシーンは殺し屋ジョーズに扮したリチャード・キールに持っていかれた感があります。とはいえ、サディスティックなキャラクターであっても余裕をもって演じているのは、さすがに大物の敵役です。この作品では、演じるというよりも、キャラクターになりきるというほうがふさわしいかもしれません。

一方、アート系のフィルムと見なすことができるマルグリット・デュラスが原作・監督である「インディア・ソング」と「ヴェネツィア時代の彼女の名前」では、サロンで優雅の踊る姿も見せていました(注4)。サロンの女主人に扮したデルフィーヌ・セイリグと囁き合うように語る台詞、紫煙を燻らす立ち姿、カルロス・ダレッシオが弾く“インディア・ソング”の音楽などが相俟って、誰かの記憶の中にいるのか、いまその場にいるのに夢の中にいるかのような感覚に陥っているのか、なんとも言えない曖昧な感覚に囚われてしまいます。

ちなみに、デルフィーヌ・セイリグとは「ジャッカルの日」でも殺し屋を追う警視と事情を訊ねられる男爵夫人として共演しており、「インディア・ソング」と「ヴェネツィア時代の彼女の名前」では主人公とその愛人らしき外交官という関係で、相異なる情況で大人の関係を感じさせるものでした。

偶然なのか、キャスティングの狙いなのかわかりませんが、いずれの作品でも重要な役を演じているのですが、主役や他の脇役を引き立てる力が実に強い印象があります。そして、それぞれの役を演じる能力が高いがゆえに、マイケル・ロンズデールという同じ俳優が演じていたという記憶が欠けていたのです。後々改めてそれぞれの作品を見直す機会があったおかげで、実は同じ俳優が見事に異なるキャラクターを演じ分けていたことに気づかされました。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

https://www.afpbb.com/articles/-/3305842

 

【注2

もう1本は80年代の「薔薇の名前」で修道院長に扮していました。

 

【注3

007シリーズでは、主人公の敵役が首領と殺し屋に二分されるものと、それらが1人の敵役に集約されている場合があります。前者の代表例が、「ロシアより愛をこめて」におけるスペクターの首領ブロフェルドと殺し屋グラント、後者の例が第1作のドクター・ノオや「黄金銃を持つ男」の殺し屋スカラマンガでしょう。

 

【注4

 

「インディア・ソング」予告編

「ヴェネツィア時代の彼女の名前」本編

 

  作成・編集:QMS代表 井田修(2020923日)