大林宣彦氏の訃報に接して(3)

 

大林宣彦氏の訃報に接して(3

  

大林監督の作品を初めて観たのは「時をかける少女」(1983年)でした。当時、既に映画を観ることが趣味であったとはいえ、それまでは、大林宣彦という映画監督・映像作家のことを特に気に留めていたわけではありません。 

映画にしても、音楽にしても、小説や絵画にしても、あるジャンルのものを好きになり興味や関心が一気に深く広くなっていくには、特定の作品との出会いが大きく影響すると思います(注5)。「時をかける少女」との出会いは、まさに大林監督作品、原田知世出演作品、そして角川映画全般への興味を一気に高めるものとなりました。 

実際、「天国にいちばん近い島」(1984年)や「彼のオートバイ、彼女の島」(1986年)はいずれも公開直後に観た記憶がありますし、金田一耕助シリーズしか観ていなかった角川映画も、より幅広く鑑賞するようになりました。 

後々知ったことですが、「時をかける少女」の前に「ねらわれた学園」を大林監督が薬師丸ひろ子主演で制作していました。筆者はまったく観ていませんし、作品の評判という点では当時も今も必ずしも評価が高いとは言えないもののようです。にもかかわらず、その作品を撮った大林監督を再度起用して、オーディションで発掘したばかりの原田知世を主演に据えて、薬師丸ひろ子主演の「探偵物語」と二本立てで公開した角川春樹プロデューサーの判断には、改めて驚くべきものがあります。もちろん、自らのスタイルを崩すことなくその期待に応えた大林監督の力もたいしたものです。 

大林監督にもう一度、「時をかける少女」を観たときのように、観た人の映画観や映像鑑賞の姿勢を大きく変えてしまうような影響力を振るってほしかったと思うのは、筆者だけではないでしょう。  

 

【注5

筆者個人の映画鑑賞に大きく影響した作品という点では、「時をかける少女」のほかには、たとえば、「戦場のメリークリスマス」がありました。この作品から大島渚監督作品に嵌まり、更に松竹ヌーベルバーグの諸作品(篠田正浩、吉田喜重、中平康などの監督作品)を観るようになりました。 

大きく広がったという点では、「ケンタッキー・フライド・ムービー」からジョン・ランディス監督作品(映画だけでなくマイケル・ジャクソンの“スリラー”のPVなども含む)、そして出演していたドナルド・サザーランドが主演した「カサノヴァ」からフェデリコ・フェリーニ監督作品や戦後のイタリア映画全般に広がり、そのなかには、ルキノ・ビスコンティ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ロベルト・ロッセリーニ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ピエル・パオロ・パゾリーニ、タビアーニ兄弟、ベルナルド・ベルトルッチ、アメリカでも活躍することになるフランコ・ゼフィレッリ、セルジオ・レオーネ、ティント・ブラスなどの監督作品を広く観るようになりました。 

イタリア映画と言えば、「サスペリア・パート2」からダリオ・アルジェント監督作品、そしてイタリアン・ゴシック・ホラーの諸作品、更にゾンビやスプラッターなどから、ルチオ・フルチのようにイタリアとアメリカで活躍した監督のものまで観ることになりました。 

ホラーやサスペンスといえば、「殺しのドレス」からブライアン・デ・パルマ監督作品、そしてその元ネタというかオマージュを捧げる対象であるアルフレッド・ヒチコック監督の作品を回顧してみて、再び現代のホラー映画におけるヒチコックの影響を見出すことになります。  

 

  作成・編集:QMS代表 井田修(202051日)