1兆ドルコーチ(6)

 

1兆ドルコーチ(6

  

(6)コーチを超える役割

 

 既に紹介したように、ビル・キャンベルはアップルの社外取締役を長く勤め、スティーブ・ジョブズのコーチとして彼を支えました。その信頼は、ジョブズを追放したジョン・スカリーの引きでアップルに入社しながらも、ジョブズがアップルを追放された際には、そのことに抵抗した数少ない経営幹部のひとりとなった頃からのものでしょう。 

 誤解を招くおそれがあるので敢えて指摘するとすれば、ジョブズは自分を支持してくれたという個人的な感情だけで信頼したのではなく、アップルに必要なものは何かという点で自分の存在が必要であると認めていたビル・キャンベルの姿勢を評価してのものだったのでしょう。 

 というのも、グーグルや他の会社についても同様の事例が見て取れるからです。ビル・キャンベルの一貫した姿勢がそこにはあるはずです。たとえば、グーグルでは、2004年のIPO(株式公開)の際に、当時、会長兼CEOだったエリック・シュミットの地位が大きく揺らぐ事態が発生しました。

  

数十億ドル規模のIPOを間近に控え、投資家と創業者、上級幹部が、困難な問題を議論していた。(中略)一人ひとりのエゴの先にあるものを見通し、全員が力を合わせればどれほどの価値を生み出せるかを理解できる人物が必要なのだ。(「10兆ドルコーチ171ページより) 

間近に迫ったIPOと会社の構造に関する議論、そして自身が会長を解任されるという考えによって、エリックが感情を逆なでされていることを、的確に察知した。彼はエリックが傷ついていることを理解したが、チームが彼の力をこれからも必要とすることも知っていた。また、これから当面のあいだ、グーグル会長としてエリック以上にふさわしい人物がいないこともわかっていた。 

ビルはそうした状況を考え、翌日エリックに電話をかけた。君は辞めるわけにはいかない、チームは君を必要としている、と彼は言った。ここはひとまず会長を辞任し、CEOに留まってはどうか? そしていつかそう遠くない先に、君が会長として復帰できるよう、私が取りはからおう。(中略) 

エリックはビルが正しいことを理解し、ビルがこの申し出を必ず実行してくれると信じたから、承諾した。それから二人は翌日に迫っていた取締役会の進め方について話し合い、エリックは準備万全で木曜当日を迎えた。彼は会長を辞し、CEOに留まった。そして2007年に会長に復帰し、20114月には経営執行役会長となり、20181月まで同職を務めた。(「10兆ドルコーチ169170ページより)

  

ビル・キャンベルは、単にエリック・シュミットの個人的なコーチをしているわけではありません。グーグルの経営チーム全体に対するコーチをしているのです。したがって、エリック・シュミットの個人的な感情や損得勘定などといったものよりも、より大きなもの=グーグルの成長・発展という大義=を説いて、今は一旦、会長職を退くように勧めたのでしょう。その一方で、エリック・シュミットの存在価値も高く評価していたからこそ、タイミングを見て取締役会会長への復帰に尽力することを約束することも忘れていません。 

こうした役割は、もはやビジネスコーチとかエグゼクティブコーチというものを超えて、本来の社外取締役(ビル・キャンベルはアップル・グーグル・インテュイットの社外取締役をこのころ長く勤めていた)の役割、特にCEOの指名委員会のメンバーである社外取締役に最も強く求められる役割ではないでしょうか。 

 

こうした姿勢は、自らが社外取締役として関わっていた企業に対してのみ示されたものではありません。ときには、他の社外取締役の代行者ともいうべき仕事を任されて、その期待に応えることもあります。その実例がアマゾンでありました。 

 

2000年に、アマゾン創業者でCEOのジェフ・ベゾスは、家族と過ごすために休暇をとった。彼はCOO(最高執行責任者)にジョー・ガリを雇い、アマゾンのことをまかせていた。だがベゾスが戻ってくると、会社がひどい状態になっていた。 

ドーアとスコット・クックを含む同社の取締役会は、そもそもの社内の混乱を招いたベゾスにCEOを退かせるべきか、後任としてガリを昇格させてもよいかどうかを検討した。この方法は、ビルがインテュイットでスコットからCEOを引き継いだ際にはうまくいった。だがドーアらは決めあぐね、ビルにシアトルでしばらく様子を見てきて、報告してほしいと依頼した。 

ビルは東海岸北西部(注3)に通い、週2日はアマゾンのオフィスを訪れ、経営会議に参加するとともに、業務やカルチャーをじっくりと観察した。そして数週間後、彼はアマゾンの取締役会に対し、ジェフ・ベゾスはCEOとしてとどまる必要があると報告した。 

(中略)「ビルが出した結論は、ガリは報酬やプライベートジェットなどの特典にやたらとこだわっている、従業員はベゾスを慕っている、というものだった」 

ビルの提案は、一部の取締役には意外なものと受けとめられたが、最後には彼の評価が通った。ジェフはビルのおかげでCEOにとどまることができ、知っての通り大成功を収めている。(「10兆ドルコーチ259260ページより)

  

 こうしたエピソードを見聞きすると、社外取締役がCEOを指名するには、形式的な面接や経歴チェックなどではいかに不十分であるか思い知らされます。そもそも社外取締役の能力や実績に、ビル・キャンベルに相当するほどのものを求めるならば、候補者と検討するに値する適格者はアメリカでもそうそう見つからないでしょう。日本では、まずいないものと思われます。 

だからこそ、本書をひとつのガイドブックまたは参考書として、経営者だけでなく社外取締役となっている人やその候補となりうる人は、CEOを選ぶ立場(社外取締役の指名委員会メンバー)に要求される能力やマインドセットについて、読んで身につけることを強く求めたい本です。 

本書の紹介の最後になりましたが、1兆ドル単位でビジネスを成長・発展させるのに寄与してきたビル・キャンベルが最も嫌ったのが「学ぼうとする姿勢や意欲のない人」であったことを改めて思い出してください。 

ビル・キャンベルのような優れたコーチに出会う機会にはなかなか遭遇できないとしても、この点を自らの指針としてビジネスパーソンとしての成長を心がけていくだけでも、少なからぬ価値があります。

  

【注3

シアトルは米国西海岸の北西部の都市。引用文中に「東海岸」とあるのは、西海岸の誤りではないかと思われます。

 

文章作成:QMS代表 井田修(20191230日更新)