ピーター・フォンダの訃報に接して
昨日、アメリカン・ニューシネマの代表的作品である「イージー・ライダー」(注1)の製作・脚本・主演であったピーター・フォンダ氏が、病気のため、79歳で死去しました(注2)。氏は俳優一家に生まれ、1960年代から映画俳優や製作者としてキャリアを積み、いわゆるB級映画からアカデミー賞候補作品まで幅広く出演しました。
「イージー・ライダー」で主人公のキャプテン・アメリカに扮して、デニス・ホッパー演じるビリーとともにハーレーに跨ってアメリカを旅する姿は、まさに自由の国アメリカを表していました。この旅に途中から加わる弁護士(演じたのはジャック・ニコルソン)とともに3人がハーレーで走る姿は、ステッペンウルフの“Born to Be Wild”(注3)と完全に一体化しています。
筆者が「イージー・ライダー」を初めて観たのは製作されてから10年以上経った頃でした。それでも映画のラストが衝撃的で見終わった後に呆然とした以上に、そのラストに至るまでのロード・ムービーの自由さにこそ、呆然とするほどの憧れを抱いた覚えがあります。
氏は、「世にも怪奇な物語」(1968年フランス・イタリア合作)の『第1話 黒馬の哭く館』(ロジェ・ヴァディム監督)で姉のジェーン・フォンダと共演し、美女の誘いを拒絶する美男子を演じていました。この作品は3話からなるオムニバスの怪奇映画で、他の2話はアラン・ドロンとテレンス・スタンプという当時の美男俳優の代表的存在がキャスティングされています。
また、村上龍が原作・脚本・監督を担当した「だいじょうぶ マイフレンド」(1983年日本)では、主人公の異星人(スーパーマン?)に扮して、たどたどしい台詞回しで珍妙な日本語を喋っていた記憶があります。作品そのものも珍妙なものでしたが、「イージー・ライダー」のピーター・フォンダがなぜこういう役を演じているのか、公開当時は理解不能でした。
ただ、今改めて考えてみると、若い頃からさまざまな作品、それもB級C級といわれるような作品にも、俳優として挑んできた人ですから、単身日本に来て若いスタッフやキャストに混ざって仕事をすることに本人は何の違和感もなかったのかもしれないと推測されます。それどころか、台詞の内容や表現もしっかりと理解して、おバカな映画を主演する俳優というものを楽しんでいたのかもしれません。
これらの3作品しか見たことはありませんが、これらだけでも俳優としての幅広さやさまざまな役柄にチャレンジする姿勢を看て取ることができます。近年も出演作品があり、生涯現役として仕事を続けてきた俳優でした。
【注1】
映画「イージー・ライダー」(1969年アメリカ)予告編
【注4】
「世にも怪奇な物語」予告編
作成・編集:QMS代表 井田修(2019年8月17日)