「超越の棋士 羽生善治との対話」に見るリーダーシップ(8)

「超越の棋士 羽生善治との対話」に見るリーダーシップ(8

 

「囲碁と将棋を比べたときに、囲碁のほうが勝負も長いし、厚みとか、感覚的なものが必要とされると思うんですよ。長期的な戦略やプランを立てた上で、大局的に全体を観ることがより求められるので、経験値が活きそうな世界じゃないですか。でも、実際に活躍しているのは、圧倒的に若い世代の人たちなんですよね。(中略)勝負が長い囲碁のほうが経験値が活きるとか、瞬発力を要求される将棋は若い人が得意だとか、今まで自分の中でこういうものだと思っていた定義が違うんですよ。表れている結果が違うので。」(「超越の棋士 羽生善治との対話」高川武将著・講談社刊391ページより、以下の引用はすべて同書より)

 

 これは、直近に行われた昨年1月のインタビューで羽生氏が高川氏に語った言葉です。今思うと、まるで、史上最年少でプロ棋士となることが発表された仲邑菫さん(注1)の出現を予言していたかのような発言です。

しかし実際は、昨年、羽生氏とともに国民栄誉賞を受賞した井山裕太氏および韓国のイ・セドル9段や中国の柯潔9段といったグローバルなトップクラスの囲碁棋士たち(注2)を念頭に置いた発言ではないかと思われます。

 同様の若い世代の台頭や活躍は、ビジネスの世界にも起きています。むしろ、デジタル化が進行してきたここ40年ほどは、ビジネスこそ若い世代が次々に出現し活躍してきた分野といえるのではないでしょうか。羽生氏の言葉にあるように、「表れている結果が違うので」、「今まで自分の中でこういうものだと思っていた定義が違う」ことに、しっかりと目を向けるべきでしょう。

 そうした状況で、誰もが次第に年を重ね、昔の若者が40代、50代となっていきます。それは羽生氏も同様です。

 

「自分自身の変化を感じることはほとんどないですね。(中略)個人の能力や持っているものが、40歳から45歳で極端に変わったかと言われたら、たぶんそんなに変わっていない。ただ、外的な環境は、5年経てば5年分、変わっているわけですから、それに対応できるか、適応できるかは、また別の課題としてありますね。」(同書325ページより)

 

20166月のインタビューで羽生氏はこう語っています。あくまでプロの将棋について語っている言葉なのですが、そのまま、あらゆる分野に当て嵌まるでしょう。

スポーツでもアートでも、そしてビジネスでも、第一線で活躍している当人の能力や技術などはさほど変化がなくても、周囲の環境は数年で一変するのが普通です。

ここで注意したいのは、個人の能力や技術というのは、その人の視点からは絶対的なものと思えるかもしれませんが、競争環境における実績という観点からは、環境や競合との相対的な関係のなかでしか評価できないものであることです。

たとえば、時速160キロのストレートを投げる投手が高校野球に出現したとします。今すぐにこれだけの球を打ちこなすことができる打者は、高校生ではそうそういないでしょう。しかし、他の投手も160キロの球を投げるようになってくる(ピッチングフォームや練習方法などがレベルアップして定式化できれば実現できる)と、それに対抗するためにバッティング技術も向上して早晩、160キロのストレートを苦にしない高校生の打者というのも珍しくはなくなるでしょう。

また、高校野球では160キロのストレートは打てないとしても、プロ野球では今でもそれなりに打てるでしょう。

要は、競争環境が異なれば、そしてその変化が速ければ速いほど、本人の認識はどうあれ、変化への対応・適応が必要になってくるわけです。対応・適応できているかどうかは、過去の自分の実績と比べて「表れている結果が違うので」いやでも自覚せざるを得ません。

ビジネスは、将棋のように個人の力量だけがダイレクトに結果に反映されるわけではないため、こうした自覚を持ちにくいかもしれません。特に就職してから20年以上過ぎたビジネスパーソンともなると、組織の力と個人の力量との区別がつきにくくなっている虞があります。

これは、ひとつの組織に長く勤めている人だけでなく、転職経験のある人でも同様です。むしろ、転職での成功体験があるため、自分はどこでも仕事ができるという錯覚を生む虞が大きくあります。転職といっても、一般には職業を変わることは稀で、変わるのは所属する組織です。したがって、組織のもつ有形無形の力を、知らず知らずのうちに活用していることに十分に注意したいものです。

どうしたら、4050代、さらに上の世代となっても、相当の結果を残し続けることができるのでしょうか。この点にも、羽生氏の言葉のなかにヒントがありそうです。

 

「将棋も含めて、同じサイクルや同じ思考法にとらわれないようにしよう、ということは心がけています。たとえば、タイトル戦のときなど、通常は、関係者の人たちと一緒に対局地まで移動して、一緒に帰ってくるわけですけど。たまには自分一人で行くとか、空港へのルートを変えてみるとか――小さなことでも、常に何か変化をつけることはありますね。ちょっとアクセントをつけるという感じで」(同書326ページより)

 

 ビジネスパーソンのなかには、在宅勤務などのテレワークを行っている人もいるでしょう。ただ、まだまだ大多数の人々は日々の通勤通学というサイクルのなかで活動していることでしょう。こういった日常習慣から変化を起こしていかないと、変化へのチャレンジをしにくいのかもしれません。

 たとえば、通勤時にいつもの降車駅の1駅前で下車して1駅分歩くとか、昼ごはんはいつもの社食ではなく、週に1回は入ったことのない店に行ってみるとか、ちょっとしたきっかけで変化への対応の第一歩を踏み出すことは可能です。

 

「練習で10回試しにやるよりも、公式戦やタイトル戦など緊張感のある場で1回やるほうが、いろいろ得るものがあるのは間違いないんです」(同書332ページより)

 

 実際に変化に対応・適応するには、真剣勝負の仕事の場で新しいことにトライしてみるのが一番です。これは、頭ではわかっていても、なかなか実行できません。まして、年齢が上がれば上がるほどそうでしょう。

タイトル戦という最高の真剣勝負の場で、それをやり続けてきたのが羽生氏です。これからも目の前の対局で変化に挑戦し続ける姿を観ることができるでしょう。そして、それがまた、いつの日にか結果につながることでしょう。

そうした姿を見せ続けることこそ、リーダーシップそのものなのかもしれません。

 

【注1

囲碁の天才少女として史上最年少でプロ棋士となる仲邑菫さんについては、たとえば、以下のような紹介記事があります。

https://www.huffingtonpost.jp/2019/01/05/ten-year-old-pro-go-player_a_23634058/

 

【注2

Go Ratings”(本日参照)によると、現在のランキング1位は、韓国のシン・ジンソ9段(18歳)です。イ・セドル9段(35歳)は35位、柯潔9段(21歳)は4位です。

なお、囲碁棋士のレイティングについては、以下のサイトを参照してください。

https://www.goratings.org/en/

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(201918日更新)