ベルナルド・ベルトルッチの訃報に接して

ベルナルド・ベルトルッチの訃報に接して

 

昨日、ベルナルド・ベルトルッチ氏が77歳で亡くなりました(注1)。

残念ながら筆者は、「ラスト・エンペラー(原題The Last Emperor)」、「1900年(原題Novecento)」、「ラストタンゴ・イン・パリ(原題Last Tango in Paris)」の3作品しか観ていませんが、いずれも忘れ難い迫力十分なものでした。

 

一般的に最も知名度が高いと思われるのが、1987年(日本では1988年)公開の「ラスト・エンペラー」でしょう。この作品は、いま再開発が計画されている新宿歌舞伎町の新宿TOKYU MILANO(注2)にあったミラノ座(当時の座席数は1000席を超えていたはず)の巨大なスクリーンで上映されていて、その最前列で観ました。3時間弱の上映時間中ずっと、首をほぼ垂直にしたまま、集中して観ることができましたが、さすがにもう一度観てみようという気にはなれないまま、今に至っています。

この映画をご覧になったことがあれば、皇帝に即位した幼少の溥儀の眼下に広がる故宮のシーンを覚えている方も多いでしょう。この辺りで、ベルトルッチ氏の描く世界に完全に浸りきってしまったような気がします。この映画を史実として見ると批判すべきところが随所に出てくるかもしれませんが、20世紀の中国を生きたひとりの個人の物語として見れば、画面や音響のスケールも含めて歴史の大きな動きを実感できるような映画です。

 

イタリアを舞台に壮大なスケールで歴史に翻弄される個人の姿を描いたのが「1900年」です。

これはどこの映画館でみたのか思い出せませんが、途中休憩をいれる2部構成の大作の上に、ロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューという主役を演じる2人の俳優の存在感の大きさもあって、「ラスト・エンペラー」以上に観る者に気力や体力を求める作品でした。それでいて、5時間を超えてラスト近くになり、デ・ニーロとドパルデューがふたりで線路に寝転ぶシーンは、ユーモアとか軽やかさを感じさせるところもありました。

実は、先に「1900年」を観ていた筆者にとって、「ラスト・エンペラー」は「1900年」のベルトルッチにしてはさほど長くはなくて重くはない作品と思っていたため、場内が混んでいたとはいえ、大スクリーンの最前列で鑑賞するという無理を押し通してしまいました。

 

もうひとつの「ラストタンゴ・イン・パリ(原題Last Tango in Paris)」は、映画公開当時も今も作品のありかたや演出方法などでさまざまな議論があるようです。

この作品はどこかの名画座で2本立てのうちの1本として見たはずです。その当時を思い起こすと、「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」、「波止場」や「欲望という名の電車」といったそれまでに観ていた作品からイメージされるマーロン・ブランドのキャラクターとは、大きく異なる役柄に戸惑った印象があります。

「ラスト・エンペラー」や「1900年」といった大作を撮るだけでも監督としての意思を貫徹させるのは大変でしょうが、いわゆる問題作というものを撮るのも、精神的なエネルギーを並みはずれて要求されるものでしょう。

そうしたエネルギーを映画製作に注ぎ続けることができたという点で、ベルトルッチ氏は正に20世紀後半を代表する映画監督であったと言えそうです。そして、映画を観る側にも相当なエネルギーを要求する作品を作り出し続けることができた氏は、実に稀な存在であったと言わざるを得ません。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

https://www.cinematoday.jp/news/N0105187

https://www.asahi.com/articles/ASLCV61C6LCVUCLV00H.html

 

【注2

ミラノ座のあった新宿TOKYU MILANOの再開発計画については、たとえば次のような記事があります。

https://www.decn.co.jp/?p=95887

https://norman.jp/review/sinjuku-mirano/

 

 

 作成・編集:QMS代表 井田修(20181127日)