「超越の棋士 羽生善治との対話」に見るリーダーシップ(2)

「超越の棋士 羽生善治との対話」に見るリーダーシップ(2

 

「将棋の世界は、やっていることは同じことの繰り返しなので、その中でどう変化をつけていくか、工夫していかないと煮詰まってしまう(中略)。どうしても決まったルーティンの中に埋没しやすいので、意図的に、意識的に、何か変化していく必要はあるのかな、と」(「超越の棋士 羽生善治との対話」高川武将著・講談社刊39ページより、以下の引用はすべて同書より)

 

 これは、将棋界において30年以上、トップレベルの第一線で活躍し、今年は国民栄誉賞と紫綬褒章を授けられた羽生善治氏が、8年前のインタビューで語った言葉の一節です。

 

「もう公式戦で1500局以上も指しているので、よっぽど変ったことをやらない限り、過去に類似した展開になることが多いんですよ。まったく同じでなくても、何年か前に指した将棋と似た形とか局面になりやすい。そこで何かもうひと工夫したいという思いはもちろん持っています」(同書46ページ)

 

 「商い」とは「飽きない」こととよく言われますが、いかにして飽きずに続けていくことができるのか、ビジネスの世界でも将棋の世界でも、実に難しいことでしょう。

実際、仕事でも趣味やスポーツでも、ある程度まで上手にできるようになると、無理に頑張らなくてもそれなりの結果が出てしまうことはよくあります。

新人時代には事前準備を教科書通りにきっちりやって、全力疾走という感じで、がむしゃらに結果を出していた人が、それから23年もたつと、悪く言えば手の抜きどころを覚えて、あまり事前準備もせずに出たとこ勝負で商談を進めても、そこそこの結果が出てしまう、そういうことはビジネスの世界でよく見られるものです。経験を積むほど、顧客の累積やスキル・知識の蓄積などがあるため、新たに何か別の知見や手法にチャレンジして失敗するリスクを冒すよりも、従来のやりかたをそのまま踏襲しているほうが結果もでやすいと言えるかもしれません。

 これが組織全体に蔓延すると、いわゆる「ゆで蛙」現象(注3)をもたらすことになりそうです。

 将棋は個人の対局ですし、その結果が勝敗という形で自分の評価・評判・収入などにダイレクトに跳ね返ってくるので、「ゆで蛙」現象は起きにくいように思われるかもしれません。

一方で、勝負がはっきりしている世界では、実績に裏打ちされた信用というものが、その時点の実力以上にその人を強く見せる効果もあります。羽生氏ほどの実績をみれば、対局する相手の棋士たちは羽生氏の指す手が自分の予測していた範囲から外れるほど、羽生マジックにしてやられたと思いがちでしょう。

ただ、この信用を過信すると、その信用が実は周囲の思い込みに過ぎなかったことが明らかとなった時に、一気に実力が低下し結果が出なくなります。こうした例はスポーツでもビジネスの世界でもよく見られるものです。

 ゆで蛙というのは、過去の成功していた状況に浸りきってしまい、新たな知見や手法にチャレンジしないまま、いつの間にか時代の変化に取り残されることです。これは将棋もビジネスも同じです。その結果は、負けること、新たな打開策が見つからないまま負け続けていくこと意味します。

 棋士もビジネスリーダーも、負けてうれしい人はいないでしょう。むしろ、負けず嫌いという面が強い人が一般的には多いでしょう。そういう人々の集団であっても、うまくいっている時に敢えて新たな知見や手法にチャレンジし続けることは容易でないはずです。勝ちパターンを変えることへの恐怖も、実績がある分、人一倍大きいかもしれません。

 ある時、勝つことができることと長期間勝ち続けることには、何か大きな違いがあるのかもしれません。言い換えれば、リーダーになることとリーダーであり続けることには、決定的な相違がありそうです。

それは、羽生氏と同じレベルの実力をもつであろう棋士の一人である渡辺明棋王の言葉からも窺い知ることができそうです。

 

「対局があるときに勉強するのではなくて、『毎日、会社に勤めている人が働くのと同じくらいの時間は勉強をしよう』と決めたんです。考えてみると、タイトルを保持しようとか、トップレベルでやろうと考える棋士にとっては、普通のことなんですけどね。」(同書82ページ)

 

 本書のインタビューのなかで渡辺棋王は、奨励会(プロ養成機関)の会員だった頃は最も将棋のことを勉強したが、プロ棋士になった当時からタイトルを獲得した頃の自分はプロとして勉強不足だった、とはっきりと語っています。

考えようによっては、プロの棋士になれなければそれまでの人生をすべて否定しかねない奨励会員の時代というのは、プロになってからのプレッシャーとは比較にならないものかもしれません。そのプレッシャーを小中学生の頃に受けていたわけです。

 その渡辺棋王にしても、プロになってから、それもプロとして一流と呼ぶにふさわしい結果(竜王というタイトルの獲得・防衛)を出してから、負けたくなければ毎日でも勉強するという習慣を自らに言い聞かせながら実践するようになったそうです。

これは、一流のプロが一流であり続けるための必須条件のようにも思われます。言い方は悪いですが、プロとしての仕事なのだから日々勉強するのが当たり前です。それができないと、遅かれ早かれ、一流のプロの座から滑り落ちるわけですが、頭ではそう理解していても、仕事や勉強のほかに楽しいことがいっぱいある世界で、飽くことなく仕事や勉強を何十年間も続けていくのは、たぶん、それはモチベーションといった言葉では言い表すことができないものでしょう。

 渡辺棋王が、一流のプロであり続けるという意味において、仕事の一環として毎日、勉強=新たな知見や手法にチャレンジし続けること=をしているのと同様に、羽生氏も日々の勉強をしていることは間違いないでしょう。ただ、それ以上の何かがあるのではないか、とその実績とトップであり続けている時間の長さが示唆しているように思われてなりません。

 

(3)に続く

 

【注3

詳しくは、サイト「日本の人事部」における“ゆでガエル理論”の解説を参照してください。

https://jinjibu.jp/keyword/detl/737/

 

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2018112日更新)