· 

クロード・ランズマンの逝去

クロード・ランズマンの逝去

 

先週5日、映画監督のクロード・ランズマン氏が92歳で死去しました(注1)。ユダヤ人であるランズマン氏は、49時間半ほどの大作“Shoah”(注2)を含む、ホロコーストをめぐるドキュメンタリー映画3本などを制作しました。

どうしても、聞き採った内容をテキストとして書き起こし文字として記録すると、語っている際の表情や声のトーンなどが抜け落ちてしまいます。“Shoah”は当事者へのインタビューを中心に、被害者・加害者・第三者(傍観者)の各々の視点からホロコーストが描かれる構成とすることで、映像や音声(肉声)を残しておくことでテキスト(文字情報)とはまた違ったメッセージを伝えるのに有効な手法となっています。

いま日本で公開されている「ゲッべルスと私」(オーストリア2016年)も、ナチスドイツの宣伝相だったパウル・ヨーゼフ・ゲッべルスの秘書だった老婦人へのインタビューを基にした、4人の監督による映像作品です。このように、いまもインタビューによるドキュメンタリーの映像作品が作り続けられています。

 

ドキュメンタリーにはインタビューだけでなく、現場にカメラを持ち込んで映像と音声を記録するという手法もあります。たとえば、小川伸介および小川プロダクションの諸作品(日本19661991年)が代表的なものです。

また、原一男監督「ゆきゆきて神軍」(日本1987年)はカメラが現場に巻き込まれた作品とも言えます。実際、撮影対象であった奥﨑謙三氏が引き起こした刑事事件では、弁護側がこの映画作品を証拠として採用するように主張し、裁判所が証拠採用するに至ったそうです。

Bowling for Columbine(USA2002)でアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞などを受賞した マイケル・ムーア監督は、アポなし突撃取材という形で現場の感覚を高めたドキュメンタリーを得意としていることで有名です。

インタビューという手法なしで、事実を切り取って見せるということでいえば、映画・映像というメディアの創世記にリュミエール兄弟が制作した「ラ・シオタ駅への列車の到着」(フランス1896年)のエピソードが有名です。それは、自分たちがいる方向に走ってくる蒸気機関車に驚いた観客が劇場から逃げ出したというもので、一説には都市伝説に過ぎないとも言われていますが、それだけ高度な迫真性をもって事実を記録した映像作品であったことは、今見ても納得できるものがあります

さらに、レ二・リーフェンシュタール監督の「意志の勝利」と「オリンピア(第1部『民族の祭典』+第2部『美の祭典』)」は、映画・映像がプロパガンダとしていかに有力であるか実証したとも言えます。監督の制作意図を超えたところで、このふたつの作品はナチスドイツを世界中にアピールしたことは間違いないでしょう。

この後も、特にオリンピックのドキュメンタリー映画は、開催した国のイメージアップに資するものであるということは、前回の東京オリンピックにも当てはまる事実です。冬季大会も例外ではなく、「白い恋人たち」(フランス1968年・グルノーブル大会)や「札幌オリンピック」(日本1972年)はテーマ曲とともに記憶している人も多いでしょう。

ちなみに、記録するカメラという存在のひとつの極致は、「市街劇『ノック』」(日本1996年、演劇上演は1975年)であると言えるかもしれません。この作品は、寺山修司を中心とする天井桟敷のメンバーが杉並区阿佐ヶ谷周辺の現実の市街地で、アパートの一室や路上などでいきなり演劇(パフォーマンス)を始めるというもので、観客は事前に購入した地図を基に見て回りながら参画します。その模様を記録したのがこのドキュメンタリー映画です。

音楽、特にライブステージとドキュメンタリーというのも切っても切れない関係があります。ライブステージのドキュメンタリーの代表作として、マイケル・ウォドレー監督“Woodstock”(USA1970年)があります。196981517日のウドストック・フェスティバルの模様を収めたもので、ステージと同様に集まった観客の熱狂をも記録した、今でも語り継がれている作品です。

同じライブを記録したドキュメンタリーといっても、ジョナサン・デミ監督“Stop Making Sense(USA1984)になると、カメラの視点はステージ上のアーティストかスタッフに同化しているようで、アーティスト(Talking Heads)およびステージクルーが全編に亘って映し出されており、観客が描かれることはほとんどありません。“Woodstock”がウッドストック・フェスティバルという伝説のイベントを体感させてくれるとすれば、“Stop Making Sense”はツアー・ステージを体感させてくれるものです。

Woodstock”に編集として参画したマーティン・スコセッシが監督した“The Last Waltz(USA1978)は、今年40周年記念上演ということで日本でも再度、劇場公開されています。この作品は、The BAND の最後のツアーに同行しながらインタビューやステージを記録しており、Woodstock”とも“Stop Making Sense”とも異なるテイストをもったドキュメンタリー作品となっています。敢えて言えば、カメラはこのラストツアーのスタッフの一員となって、当事者となっているのかもしれません。

ドキュメンタリーの映像作品には風景映画(この呼称が適切なのかどうかわかりませんが)と呼ばれるような作品もあります。これは、観光PRのように風景を紹介することが主たる目的で制作されたわけではなく、風景だけを映像に収めることで、描くテーマ(対象となる人物の主観)を追体験するかのような作品です。

この代表作としては、足立正生監督「略称連続射殺魔」(日本1969年制作1975年公開)があります。これは、永山則夫死刑囚の生い立ちから事件までに目にしたであろう景色を丹念に実地に追った作品です。

最後に、典型的なドキュメンタリーの方法論で作られている映像作品として、高畑勲監督「柳川掘割物語」(日本1987年)を紹介します。

ここで典型的というのは、映像の撮り方を定めて撮影を行い、撮った映像のなかから使うべき映像を選び出し、その順序を定めてつなぎ合わせるという編集という作業を丹念に行い、音楽や音響効果そしてナレーション(脚本家や監督がテキストを指定し読み方も決めるという意味で演出があるもの)がはいって、ひとつの映像作品として完成された商業ベースの作品ということです。劇映画やドラマとの違いは、指示された演技を行う俳優の不存在だけかもしれません。

「柳川掘割物語」は、アニメーションの演出家・制作者として著名な高畑勲監督が、ロケハンで訪れた柳川市で掘割の歴史や再生への取り組みを取材するなかで、発注が事前にあって制作した作品ではないという意味で自主制作ともいうべき形態で作られた作品です。そのため公開も極めて限定的で、劇場公開等を通じての制作費回収の目途が立たず、製作者となった宮崎駿監督が自宅を担保入れて資金調達をしたというエピソードも残っています。

「柳川掘割物語」はこのドキュメンタリーを作りたい(作らざるを得ない)から作ったという表現の欲求に基づくものがあることを物語っています。「略称連続射殺魔」も制作する欲求がまずあって、劇場公開などの商業ベースの取り組みは後日、さまざまなタイミングを見計らって実現していったものです。

こうした事情は、ユダヤ人であったランズマン氏が、“Shoah”などのホロコーストをめぐるドキュメンタリーを制作し続けたことにもつながるものでしょう。

もちろん、ひとつの仕事として引き受けるドキュメンタリーも数多いと思いますし、それは劇映画やドラマを制作するのでも同様でしょう。しかし、現実の誰かにカメラを向けて現実を問いながら記録するドキュメンタリーであるからこそ、今誰に何を問いたいのか、制作する側に「これを撮りたい」という欲求が不可欠ではないのか、ランズマンの訃報に接して、そんなことを改めて考える機会となりました。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

https://jp.reuters.com/article/filmfestival-cannes-idJPKBN1JW0FL

 

【注2

作品の概要紹介はウィキペディアにあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A2_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 

【注3

Shoah”以外の作品については特に紹介するサイトなどを示していませんが、作品名を検索すればすぐに概要はわかります。

なお、小川プロダクションの作品については、以下のアテネ・フランセでの上映会の案内資料が参考になります。

http://www.athenee.net/culturalcenter/program/og/ogawas.html

 

 作成・編集:QMS代表 井田修(2018712日)